証券取引のルーツ 基礎の基礎その①

日本の証券の取引というのはお米の取引から始まったといわれています。

↑大阪証券取引所のお米のモニュメント

お米の取引自体は大昔から取引はあったのですが、今のお米の取引と似たような取引が始まったのが時代でいうと、豊臣秀吉が大阪で豊臣時代を作っていたころ、だんだんその頃から盛んになって1620年代徳川幕府ができたころに大阪にお米の大きな市場が、淀屋橋にできました。

お米の米俵、これ、3つで1石っていうです。1石って言葉聞いたことありますか?豊臣秀吉が太閤検地をして以降、武士は「石高」で規模を表していました。

米俵3つで一石と言います。
この米俵は1つ60キロ
この米俵3つ180キロで1石
昔江戸時代の人はこの米俵3つあれば一年間生きていけるって言われていました。
人を一年間雇うには米俵3つあればいい、ということで1石といいます。

このお米の単位でいろんなものと交換していました。
その交換するときに、米俵のままだと重くて交換できないですよね。
そこで「米切手」という短冊くらいの大きさのものを取引に使うようになりました。

このお米の代わりの「米切手」が最初の証券といわれるものなのです

淀屋橋にあったお米屋さん、淀屋さん。
淀屋さんが自分のお金で作った橋なんですけど、この店先で売買してたんです。

お米の値段は上がったり下がったりします。
それを取引して儲けようとして集まっています。
柄杓をもっている人たちは頭を冷やせと水をかけているんです。
これが取引所で働く人たちの大先輩。

こうやって道端でしていた市場の取引っていうのが、証券取引所の一番最初の原型といわれています。

また東京でも、築地の魚市場っていうのは日本橋のたもとにあったんです。
日本橋の橋のたもとには米の市場もあったんです。八百屋さんもあった。実は魚もお米も野菜も同じ人が取引していました

実は築地市場でやっている手のサインと、昔、証券取引所で使っていた手のサインはルーツが同じなんです。
証券取引をやっていた人たちはお米や魚や野菜の取引をしていた人たちがその取引の仕方を使ってお金の取引をするようになったんです。

米取引が発展して証券になったんだねと思っていただければと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?