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最前線の『彼ら』へ

⚠️注意

これはCoC「最前線の僕らと絶海のデザートイーグル」のシナリオに関係したSSです。

よって、当シナリオのネタバレを多分に含みます。現行未通過の方はご注意ください。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「木本さ〜〜ん」

午後2時。昼食にしては少し遅い時間。
そのせいなのか、航空自衛隊第三基地の食堂で昼食を取る数人の間には、いつにも増して妙な緊張感があった。
俺はそんな場の雰囲気に配慮しつつ、割り箸をゆっくりと、極力音を立てずに割る。
しかし、そんな冷えた空気中に突然、あんな場を弛ませるような気の抜けた男の声が、あろうことか、俺の名前を呼んで来たのである。
周りに座る少数の人々が、まるで俺を腫れ物にでも触るかのように一瞥する。そんな彼らに、俺はぎこちなく笑って小さな会釈し、そしてほどなくして、そんな俺の状況を知ってか知らずか、その声の主が俺の向かいの席へと、どっかりと無遠慮に座った。
「あれ木本さん今お昼ですか?!遅いですね!?
あ〜〜〜そういえば、今日は第二部隊午前でしたね、お疲れっす!」
「………あ〜〜、うん。
まあ、おつかれ、"森田"も。」
少数とはいえ、こいつには周りに人がいることが見えてないのだろうか。
声を顰めることもなく堂々とした口ぶりの森田に、俺は少し眉間を寄せた。
しかしその意図が彼には伝わらなかったようで、森田はその後も今日の昼のラーメンがどうのだの、昨日の夜のテレビがどうのだの、どうでも良い話を大音量で垂れ流し、その度に俺が愛想笑いをするというやりとりが数回続く。
そして、とうとう周りの人たちは、おそらくやっとこんな時間にありつけたであろう折角の昼食をその口にかっこむと、そそくさと俺たちから逃げるように食堂を後にしていき、だだっ広い食堂は、そんなことを強いてしまった俺と森田の2人きりとなる。
「……ったくお前ーー」
そんな彼に釘を刺そうとする俺の言葉は、すぐに制された。
「ま、人払いも済んだことですし、本題に行きますね。」
森田は一変して真面目な表情になり、そう言う。その様子に、俺は反射的に言葉を詰まらせた。
「………あ〜〜こんな雑なやり方ですみません。
後で木本さんの肩身が狭くなるようなことになったら、ちゃんと謝りますから。」
と、そんな俺の雰囲気を察してなのか、森田は顔を綻ばせてそんな冗談を言う。それに、癪ではあるが俺の肩の力がスッと抜けた。
「………ったく、これ以上肩身狭くなったらどうしてくれるんだよ……
で、本題って?」
そう言って俺は昼食のうどんを啜ろうとするが、続けて、「さっき」と語り出す森田の声が妙に重々しくて、俺は再びその箸を器の淵へ置いた。
「さっき、木本さんのお父さんに呼び出されたんです。」
「親父?何でまた」
そう聞けば、森田はにこりと笑う。
その笑顔が妙に誇らしげで、話を聞く前だというのに少しムカついた。
「聞きましたよ〜〜木本さん?
『信頼のおける隊員』として、僕のこと紹介してくれたって。お陰で僕、航空幕僚長から
『直々に』任務、賜っちゃいました。」
一瞬の静寂。
しかし、その静寂を破ったのは俺の方、しかも俺の箸の音だった。
俺は器の淵に置かれた箸を取ると、そのままうどんを食べ始める。
「……やめとけ、その任務。」
うどんを啜りながら、俺は目の前の森田の顔も見ずにそう呟く。
「え〜〜?何でですか?!
木本さんが僕のこと紹介したんでしょ??」
「……まぁ、そりゃそうだけど。
俺はてっきり、昇進かなんかの話だと思ったんだよ。」
そう言うと、俺は割り箸の先をビシッと森田に向けると、彼への言葉を続けた。
「ていうかなんだよ『航空幕僚長から直々に任務』って??
字面が怪しすぎるし、何よりも、その怪しさ溢れる任務を下したのが親父なのもますます怪しい。」
そう指摘する俺の言葉に、森田はでも〜〜と駄々をこねる。
けれどそう言う彼のその表情は、『航空自衛隊の長である航空幕僚長から直々に任務を受けた』ことへの喜びと自信と、その重荷への心地よい緊張を全く隠し切れてはいなかった。
「……まぁ、で?
その任務ってのはどんな任務なんだよ?」
「あ〜それは当日になれば言われるらしいです。まだ何も。」
「当日って?」
「明日です。」
俺は再び箸を置いた。
「………それ確定で2階級特進したりする任務じゃないだろうな??」
俺は、やりがいがあるであろう任務へのやる気で、目の前で息巻かんばかりの後輩の胸ぐらを掴む勢いで声を荒げる。
しかし当の本人は、なぜ俺がここまで反応しているのかを理解していないようで、キョトンとした表情で目の前の俺を見つめている始末。
そんな反応に、なんだか俺も力が抜けて、深く深くため息をつきながらも元のイスに座り直した。
「……とにかく、考え直せ。
そんな任務、別にお前じゃなきゃいけないってわけじゃないんだろ?
『お前じゃなきゃできない』なんてことはないだろうし。」
「………そう、ですけど。」
そう言うと、森田は姿勢を正し、俺の目を見る。
「なんか………こんなこと言ったら、めちゃくちゃクサい奴みたいかもしれないですけど。
この仕事についた以上は、僕にできることで、人のためになることなら、やっぱ、なんでもやりたいかなって。」
真面目な彼の表情に、またしても言葉が詰まる。
そして、そのわずかな間に、彼は俺の後ろの掛け時計を確認したのか、はっとすると慌ただしく席を立つ。
「まぁ、じゃあ、それが伝えたかったんで。
紹介してくれてありがとうございました!
あと木本さん、その箸で人を指差す癖そろそろやめた方が良いですよ。」
彼はそう余計なことだけ言うと、呼び止める俺の声も聞かずに、小走りで食堂を後にした。

森田 隼人。
年齢は俺の3つ下だから、多分28くらい。
俺の防衛大時代の後輩にあたる男だ。
「航空幕僚長の息子」なんていうでかい看板を背負った俺に気負うどころか、初対面から今の今までずっと馴れ馴れしい奴。それに俺と同じく、自衛隊員にしてはそこまで運動自慢というわけでもなかったためか、気づけばもう10年来の付き合いになる。
しかしその一方で、頭脳というか、勘だけは妙にキレるやつで、もしあいつが昇進を意識するようになれば、きっともっと上手く立ち回ることもできるのだろう、と側から見ていても思う。
しかし、あいつにはそれを成すことができない最大の欠点があった。
あいつは、『人を疑うこと』をまるで知らない。
つまり森田隼人は、致命的に『バカ』な男なのだ。
そんな彼だ。あんな、明らかに怪しい任務だというのにあの有様。
しかし俺には、そんな『栄誉ある』と彼が思い込んでいる任務を命ぜられた森田を止める術も、ましてや、森田にその任務を課した親父を説得する度胸もなく、ただただそこでため息をつき、もうすっかり冷めてしまったうどんをすすることしかできなかった。

2日後
俺が森田の姿を見かけたのは、帰宅する直前、基地と射撃場を結ぶ渡り廊下で、だった。
夕陽の照らす連絡通路から、新人達だろうか、もう日が傾き出したというのに射撃練習を続ける隊員達を物憂げに眺めながら、森田はいつになくぼーっとしている。
「……森田?」
そんな様子に、俺はつい心配になり声をかける。
すると森田は、過剰反応じゃないかというくらいに肩を震わせて驚く。そしてすぐに、取り繕うように、いつものように笑った。
「……な〜んだ、木本さんでしたか。
お疲れ様っす。」
目の前の彼の、どこが変というわけではない。
ただ、どことなく、いつもと雰囲気が違う。そんな気がした。
「……あー、えっと。
この間言ってた任務ってやつ。あれ、って、どうだったんだ?」
声をかけたものの、何を話せば良いのか。
咄嗟にこの間の話を振る。
一瞬、森田の表情が強張ったように見えた。
「…………あ〜〜、まぁ、ぼちぼちって感じですかね。大丈夫だと思いますよ。」
そう言って、森田は穏やかに笑う。
『大丈夫だと思いますよ。』
やはり確証はない。ただ、ただなんとなく。自分自身に言いきかせているように聞こえた。
「……そういえばさ、任務って何だったんだよ。やっぱり怪しいことだったのか?」
まるで誘導尋問のように、表皮を剥くように、俺は努めて明るくそう言う。
すると、当たり前のように森田も笑って口を開いた。
「機密事項なんで、いくらあの木本さんでもこればっかりは内緒ですよ〜〜」
そう言って森田はけたけたと、いつものように笑う。しかし、直後。その表情が一瞬、曇る。
「ただ、やっぱり。間違ったことではないと思います。
これは、人のためになることですから。」
一瞬の陰りの後、気がつけば、森田は再びいつもの笑顔に戻っていた。
今の言葉が、森田の心からの本心ではないことは、俺がこいつと10年来知り合いだからわかったことではないだろう。きっとこれは、誰の目にでも明らかだった。
「人のため、って。
………それは勿論、お前自身もその中に入ってるんだろうな。」
俺は森田を試すように、揺さぶるように、目の前の彼の瞳を見つめそう言う。
しかし、そんな俺の意図に反し、その言葉は目の前の彼を揺さぶることはなく、むしろその返事はその笑顔のまま、すぐに返された。
「勿論ですよ。
だって、僕は、僕にできることなんて、せいぜい人のためになることの手助け程度なんで。」
一瞬、その目にまたしても影が宿り、それに俺はハッとした。
俺は森田はその『任務』とかいうものに、何か過酷なことを強いられているのだとばかり思っていた。勘違いしていた。
しかし、今彼の目に滲んだ感情は、そんな苦しみでも辛さでもない。
あの目をした森田を、俺は見たことがある。
初めて森田が自衛隊として派遣された豪雨災害の現場。目の前で流されていった、2階建ての木造住宅。最後まで聞こえた、小さな子供の泣き叫ぶ声。
その時も、同じ目をしていた。
全てを抱えていては仕事にならない。そう俺が声をかければ、その時の森田も、そうですよね、と言って笑っていた。けれど、その時の彼の目は、今になっても忘れられない。
あれは、そしてこれは、自己嫌悪だった。
「……っていうか、誘導尋問やめてくださいよ。情報を吐いて怒られるのは僕なんですから。」
気がつけば、目の前の男はいつものように飄々と笑って、真っ赤な夕陽に照らされている。
それが眩しかったからなのか、それとも、それが、そう言うのが森田だったからなのか。俺には、目の前の男を直視することが出来なかった。
「………すまなかった。」
目を細め、そう言う。それが精一杯だった。
「いや、別にいいんですよ?航空幕僚長勅令の内容なんて、普通に気になりますし。
………あ、そうだ。
さっきまたその航空幕僚長にお会いしたんですけど、上着をお忘れだったんで、帰るついでに届けてもらっても良いですか?
確か木本さんって実家暮らしでしたよね?」
そう言う森田が手渡した、勲章だらけの白い上着を、俺は何も言わずに受け取る。
そしてそんな彼に小さく声をかけると、俺はまるで逃れるかのようにその場を去った。


父親に言われるがまま、何も考えずに自衛隊員になった。
それが自分の人生だとわかっていたし、別にそれを苦に思ったことなんてない。
けれど、初めて森田に出会った時。
あの男は、俺と同じ場所に立つあの男の目は、正義を見つめていた。
『人の命を守る。国を守る。明日を守る。』
文章でしか見たことがないようなそんな綺麗事が、森田の視界には広がっていたのだ。
正義なんて夢幻のようなものを求めるなんて、俺には考えられないことだった。
それは今だって変わらないし、きっとこれからもそうなのだろう。
けれど正義なんてクサイことを言う森田は、俺と同じ場所に居ても、俺とは違うものを見ていた。
そしてそれは、俺には決して見えないもの。

ただ、森田の言う『正義』ってやつが、それがもし森田の犠牲の上でしか成り立たないのならば、それは正しくない。
そう俺は胸を張って言えるし、そんな道を進む後輩を止める責任が俺にはあると思う。止めることができる、とも思う。実際今、俺がしようとしていたことだ。
けれど、そうではなかった。
『正義に力が及ばない。』
森田を苦しめていたのは、どうやらそれらしい。
助けたい命が、守りたい何かが、きっと今の森田は守れないでいる。救えないでいる。
それが森田にとってこれ以上ない苦しみだということを、彼を知る人なら誰だって知っていた。あれ以来あの時の豪雨災害の現場に、毎年わざわざ献花しに行く彼を知っている人なら、それがどれ程彼の背中にのしかかるのかを知っていた。

そして俺には、それに悩む彼にかける言葉も、彼に言葉をかける資格だって、きっとない。
正義を追う人間に、正義が見えてすらいない人間がかけて良い言葉なんて、きっとない。
俺は、今しがた受け取った勲章だらけの上着を強く抱きしめた。
ーーーーーだから、気がついたのだった。

翌日、深夜2時。
音を殺すように、森田は資料室を出る。
そして、その前。
薄暗い廊下の先。
そこで俺は、彼を待ち構えていた。
森田の表情は明らかに変わる。
しかし俺は、そんな彼の様子に構う事なく、彼の元へ歩み寄る。
そして躊躇なく、その胸ぐらを掴んだ。
「………なぁ、森田。お前何してるんだよ。」
その声は、夏だと言うのに妙に涼しく、薄暗い廊下に低く響く。
森田は抵抗もせず、返事も返さない。
ただその森田の表情は、焦燥と疑念と、覚悟と悲しみと、強い決意と、多くの感情に侵蝕され、ぐちゃぐちゃになってしまっているのが一目で分かった。
おかしくなったのだろうか、目の前の、この男は。
それとも森田は、もう、『正義』ってやつを見限ってしまったのだろうか。
「………なぁ、お前。これ何だよ。」
俺はそう言って、自分のポケットに手を入れる。そして、そこから3cmほどの黒いブロックのような小さな『それ』を取り出した。
森田が一瞬動揺する。掴んだ胸ぐら越しに伝わった。
「なぁ、森田。これ、昨日お前が渡してきた親父の上着に入ってたんだ。
親父が仕事に使うので持ってるのか、と思って1日は放置してた。
でも、親父は今日もこれを上着のポケットに入れて帰ってきた。親父は何にも気がついてなかったんだよ。
なあ森田、これ…………盗聴器だよな。」
俺の問いかけに、森田が答えることはない。
訪れる静寂。
その時間は、きっと一瞬だった。
けれどその静寂は、耐えられず、俺が声を荒げるには、十分すぎる時間だった。
「なぁ、これ、お前が仕掛けたんだろ。
俺から渡すことで、親父に警戒心を解かせた。
そりゃそうだよな。自分の息子から渡されたものに、盗聴器が仕掛けられてるなんて普通親は思わねえだろうよ。
…………お前、何してるんだよ。
自分にできることで、人のためになることなら、なんでもやりたいんだろ?そう言ってただろ?
だからあんな怪しい任務にお前は従った。
なんだよ?その結果がこれなのかよ?
人の為になりたかったお前が、何でこんなことしてるんだよ。」
つい、胸ぐらを掴む力が強くなる。
しかし、森田は俺を見つめたまま動かない。
それがまたさらに癪に触った。
「お前は、正義の側の人間だっただろ!
お前の手で救えないものに、守れないものに苦しんでたお前は、どこにいったんだよ?
それで良いのかよ、それがお前の正義なのかよ!
お前の正義はーーーー」
『そんなもんだったのかよ』
その言葉は、俺の口から出てこなかった。
俺の額に、冷たい、固い、感覚。
端くれ、とはいえ。俺だって自衛隊員だ。
だから、すぐにわかった。
今、森田が、俺の額に押し当ててるもの。
見間違うはずがない。
これは、『デザートイーグル50AE』だった。
10年来の知り合いで、目をかけてきた後輩である森田が、俺の額に、銃口を向ける。
俺が言葉を失うには十分すぎる状況だった。
「………木本さん、今すぐ手を放して、ここから離れてください。」
そうつぶやく森田は、先にも増してその表情をくすませる。
しかし、俺へと銃を向けるその手が震えることは、一瞬たりともなかった。
「木本さん。早くしてください。
……でないと僕、このままだと木本さんのこと殺しますよ。
今すぐここから離れてくれないと、僕、今なら多分、引き金引けます。
今なら、僕は、木本さんと今まで築いてきた、信用とか恩とか。
全部、裏切れます。」
反射的に、胸ぐらの手が一瞬弛む。
しかしハッとして俺はすぐにその手に力を込めた。
それに気付いたのか、森田はさらに腕の力を強め、俺の額に痛みが増す。
「……本木さん。」
絞り出すような森田の言葉。
誰1人としていない深夜の隊舎に、その小さな声は妙に響いた。
「……これは、俺がやらなきゃいけないんです。
俺がどうにかしなきゃいけない。
俺が、救わなきゃいけない。
だって、こんなの間違ってる。こんなこと、おかしいから。」
おかしい、何が?
そう聞きたくても、情けないことに、声が出なかった。
しかし、森田は俺を睨みつけながら話を続ける。
「『彼ら』は、守られるべきなんです。
あんなことは、この国のために身を粉にするのは、僕たちがしなきゃいけないことなのに。
僕は、それをする覚悟も、勇気だって持ってるのに。
どうして、『彼ら』なんですか?
どうして『彼ら』は、この国のために、全てを強いられなきゃいけないんですか?
どうして『最前線』に立つのは『彼ら』なんですか?
どうして、僕は何もできないで、いつも、『彼ら』を見ていることしかできないんですか?
全部、全部おかしいんです。
正義なんて。そんなものを信じてきた自分が愚かで許せません。
こんな組織を信じて、従っていれば人のためになるなんて思っていた自分が、浅はかで許せない。
正義のために、罪もない人達が、何も知らずに巻き込まれて、何も聞かされないまま『犠牲』になってしまったら。
…………もし、『彼ら』が死んでしまったら。
そしたら、僕はもう二度と、正義なんて信じられません。」
そう言うと、森田は俺を突き飛ばす。
体のバランスがとれず、俺はその場に座り込んだ。
頭が追いつかなかった。
今の状況も、森田の話も。

気がつけば、もう森田はそこにはいなかった。
暗い廊下には、そこに座り込んだままの俺が1人取り残されているだけ。

『彼ら』、『犠牲』、『最前線』。
一体何のことか、俺にはわからなかった。
けれど、それでも唯一、わかったことがある。

森田がずっと信じてきた正義は、壊れたのだ。



あれから何日が経ったのか。
あれ以降、森田はこの基地に顔を出していない。
念のため一度事務に問い合わせてみたが、彼は辞表の類は出していないようだった。

正義なんてものは、俺には無い考えだった。
だから、この仕事を正義のために行う森田の姿に憧れたことは、正直言って一度や二度ではない。
むしろ、彼には常に正義の側にいてほしくすらあった。あの時の自分の言動を顧みて、そう思う。
けれどおそらく、あの任務を通じて、森田の正義は壊れたのだろう。
だから森田は、盗聴器なんて手を取ったんだろうし、俺に拳銃を向けたのだ。

彼に連絡しようとも思わなかった。
壊れる正義すらない人間が、森田に、正義を砕かれた人間になんて言葉をかければ良いのか。
あの時、あの廊下から去る森田に声をかけることすら出来なかった人間が、何を言う資格があるのか。
これから、森田がどうなるかはわからない。
今はまだしていないというだけで、もしかしたらそう遠く無いうちに、自衛隊を見限って辞めるのかもしれない。
俺が止められなかったせいで、悪事にさえ手を染めるかもしれない。
けれど、それはきっと俺にどうこうできることでは無い。俺が指図することも、俺が説得することも、何も無い。
きっと、俺では役不足なのだから。

午後2時。昼食にしては少し遅い時間。
そのせいなのか、航空自衛隊第三基地の食堂で昼食を取る数人の間には、いつにも増して妙な緊張感があった。
俺はそんな場の雰囲気に配慮しつつ、割り箸をゆっくりと、極力音を立てずに割る。
そんな時だった。
突然、あまりにも突然、腕を掴まれる。
そして、うどんをテーブルに置いたまま、右手に箸を掴んだままの俺を、『その人物』はお構いなしに何処かへと引っ張って行くのだ。
その接近にさえ気づかないほどあまりに突然な出来事に驚き、混乱してか、それともあまりにも強引だったからか、俺は声すら出せないでいたが、『その人物』に『ヘリコプター』の前まで連れてこられたことで、やっと口から言葉が出る。
「っ、おい、”日下部”!
な、何だよ突然。俺今から昼メシ食うところだぞ?!」
俺はそう言って、こんなところまで俺を強引に引っ張ってきた張本人のくせに、ひどく冷静な顔をしている日下部へと声を荒げた。

日下部茜。
隊員歴としては俺が後輩にあたるが、年齢と階級に重きを置くこの世界で、俺は彼女より先輩に当たった。
しかし、そんな先輩後輩といった世間一般の常識がいまいち彼女には適応されていないらしく、彼女は色んな意味で先輩後輩分け隔てなく接するで有名で、昔少し関わった程度で、他部署で殆ど関わりのない俺でさえ、その名前と容姿は当たり前の様に知っていた。
しかし、そんな彼女が何故、自分をこんなところに連れてきたのか。
「本木さん、ヘリコプター、出してください。」
それだけ言うと、日下部は返事も聞かずに俺にヘリコプターのエンジンキーを渡し、ヘリに乗り込む。
俺が状況を理解できずにその場に立ち尽くしていると、ヘリの中から聞こえた「早く!」と言う日下部の言葉に、反射的にヘリコプターへと乗り込む。
すると、そのヘリの後ろにはいかにもな怪しい、黒いカバンに入れられた大荷物があり、俺はそれにハッとして、その荷物の横に座る日下部に言う。
「これ、な、どう言うことなんだよ突然?!
まずは説明ーー」
「目的地は太平洋沖の空沖島です。
詳しい事情は行きながら説明します。」
彼女は俺を見ることなく、俺の言葉を遮りそう言って、そそくさと離陸の準備を始める。
「空沖島?なんでそんなところ、ていうか何の説明も無しに行くわけないだろ!」
俺がそう言うと、初めて日下部は俺の顔を見る。
そして、彼女は口を開いた。
「ーー森田が重症です。
説明してる時間がないから、行きながら説明します。」
そう言う彼女の黒い瞳が、射抜く様に、俺を鋭く見つめる。
「………重症、な、どうして、」
体が芯から冷える。
想定もしてなかった恐怖が、突然目の前に現れたようで、頭が真っ白になる。
なぜ、なぜ、森田が?
重症って、どうして?
森田は、どんな状態だ、無事なのか?
もしかして、俺が、あの時、引き止められていたら?
そんな時。
「木本さん」
そう言い、俺の肩に手を置く日下部に、俺はハッとする。
「ちゃんと考えろ。
今、あなたがしなければいけないことは、今すぐこのヘリコプターを離陸させて、空沖島に向かい、森田の命を助けることだ。」
そう訴えかける彼女の確固とした言葉と瞳。俺はそれに頷く。
前を向き直り、エンジンをつけようとする。手が震えた。
「……そういえば、木本さん。箸で人を指差す癖、まだ直ってないんですね。」
日下部はそう言って、前を向く俺の肩をトンと叩く。
「……そりゃ、治すつもりないからな」
俺はそう言って、少し口を綻ばせる。
手の震えは、いつのまにか収まっていた。

太平洋沖にある空沖島。
たしかもう人は住んでいない無人島で、ヘリコプターで行けばそう時間のかかる場所ではなかったはずだ。
「森田は、空沖島の近くの上空まで『彼ら』を連れて行く任務を担っていました。」
ヘリコプターが軌道に乗ったころ、日下部が唐突に口を開く。
「『彼ら』、それって誰なんだ?
確か森田もそう言ってた。『彼ら』がどうこうって。」
時間が惜しいのか、日下部は間髪入れずに返事をする。
「『彼ら』は一般人です。
それ以上は彼らのために絶対に他言するな、と和泉官房に口止めされてるんで。」
和泉官房。確か防衛省の偉い人だった。まさかこんなところでそんな名前を聞くことになるなんて、とつい手に力がこもる。
そんなことはお構いなしに、日下部は言葉を続けた。
「木本さんが森田から何かしら聞いてるなら、森田が色々勝手にやってた、ってことも知ってますか。」
「……いや、何かをしている、っていうのは知ってるけど、それが何かは知らない。」
ますます後悔が募る。
俺があの時何か働きかけてさえいれば、こんなことにはなっていなかったのだろうか。俺が止めなかったせいで、森田は何か無茶をしてしまったのか。
「そうですか。」
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、日下部は淡白にそうとだけ言う。
しかし、すぐに彼女は口を開く。
その口調は、彼女らしい、堂々としたものだった。
「木本さん。あなたには今から私たちの人質になってもらいます。」
人質。
仰々しい、彼女らしい言葉選びだと思った。
「……人質でも何でも良いよ。だから、全部話せ。」
俺がそう言うと、後ろから微笑むような、小さな声が聞こえた。
「そう言うと思いました。
……木本さん、あなたを人質にするということは、あなたにこれから、『今起きていること』の全てを話すことで、あなたを『今起きていること』の関係者にする、という意味です。
あなたの父親、航空幕僚長はあなたがこの件に関わることを酷く嫌がるでしょう。
だから、あなたを人質にすることで、航空幕僚長に対してそれなりにこちらの要求を飲ませる体制を作ります。
それが『彼ら』を救うために、必ず有利に働く。」
「……いまいち話が見えてこないが、でも、まあ良いよ。
要は俺が関われば、俺を脅し文句に親父をそれなりにコントロールできるってわけだろ?
別に人質だろうと勝手にしてくれ。
………ただ俺は、知りたいだけなんだ。」
日下部の満足げな笑みが溢れるのが聞こえる。
「わかりました。初めから、全部話します。」



夕方の空沖島は、その夕日が水面を照らしていてとても美しい景色が広がっていた。
日下部が急いでヘリを降りれば、それと交代で、すぐに森田が乗せられる。
意識はないようだった。
あまりにも痛々しい、全身の傷。
ヘリコプターの部品なのか、大きな鉄の破片が、深々と、彼の腹部に刺さっていた。
そんな姿に、つい目を逸らす。
不意に砂浜を見れば、日下部が誰かと話しているのが見えた。
夕陽でその姿を見ることはできないが、きっとあの人たちが『彼ら』なのだろう。
『彼ら』は、この国を救い得る存在であり、そして森田は、日下部は、そして和泉官房は、そんな『彼ら』を救おうとしている。

すぐに、ヘリは島を後にした。
後ろに寝かせた森田は、まだ息はある。
そんな彼を救えるかは、今、俺に委ねられているのだろう。
「なぁ、森田。」
意識のない彼に話しかけたところで、返事がこないことは自明だった。
「俺、お前はすごい奴だと思ってたんだよ。
人のために働きたいとか、人の命を救いたいとか、俺は考えたことなかった。
だから、今回も、お前の行動に俺が口を出すのは違うと思ってた。」
言葉に力がこもる。けれど、別にそれで良かった。どうせ誰も聞いてないのだ。好きなこと言ったって誰も文句は言わないだろう。
「………俺がバカだったよ。俺が間違ってた。
俺は、正義を語るお前が羨ましかったんだよ。
今考えると、馬鹿らしいよな。
本当に、何が正義だよ。そんなの知ったこっちゃねえよ。
俺は、ただ、お前に死んでほしくない。
それが正義だろうが不正義だろうが関係ない。
お前だって、正しくなくても、戦えなくても、それでもお前は、最前線に居続けたんだろ。
前線にも出ずに、ウジウジしてた俺よりよっぽど立派だよ。
だから、謝らせてくれ。
謝るから、死なないでくれ。
俺もお前たちと一緒に、最前線に立たせてくれよ。」
返事はなかった。
エンジン音だけが響き渡り、ヘリコプターはただ青い海を進む。
「………ばかですね。」
そんな声が聞こえた気がして、後ろを振り返る。
しかしそこには、変わらず意識のない、傷だらけの森田が寝ているのみ。
「………あーそうだよ。俺はバカだった。
まぁ、お前と同じくらいにはな。」
最前線から離れて行くヘリコプターは、次第にその速度を上げて行った。

fin

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