1986年8月31日

⚠️注意
・これはCoC「君はいつも8月31日に死ぬ。」のシナリオに関係したSSです。よって、当シナリオのネタバレを多分に含みます。現行未通過の方はご注意ください。

・このSSは私の個人的解釈によって書かれています。この小説に準拠してシナリオを回す必要は一切ございません



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大きなスーツケースが、舗装が不十分な田舎道をあっちこっちと跳ね回る。それをなんとか制御して、私は実に半年ぶりとなる生まれ故郷をどんどん進んでいった。
こんな夏日のもと、延々と続く田園風景の中を一人歩くのは我ながらそこそこの苦行であると思うが、やはり8月31日ともなると一時の恐ろしいほどの暑さは陰りを見せており、まだまだ暑いものの比較的過ごしやすい気温なのが、この苦行の唯一の救いだろう。
とはいえ未だに蝉は元気に大合唱をしているし、さっきからずっと私の首を伝う汗が止まるわけではなかった。
そしてようやく私は、目的地である村外れの「神社」へと、重たいスーツケースを無理やり引きづりながら曲がる。

夏の乾いた地面に濃い影を刻む大きな鳥居の、そのすぐ横。
そこに、私を呼び出した男は立っていた。
彼は私を見ると、いつものように、優しく、穏やかに微笑む。

今日は、1986年8月31日。
今日は、彼が死ぬ日。

「……ひ、久しぶりじゃん。」
直後、やってしまったと私は反射的に顔を下げた。何とか明るい調子で言おうとしたが、つい声が上ずってしまった。
暑さのせいなのか何なのか、目線の先の自分の濃い影に一滴、汗が滴る。
取り繕うどころか、誰が見ても今の私は平静を保ててはいないだろう。
しかし、平静を保つなんてはなから今の私には無理だ。
そもそも彼と半年近くも会っていなかった、なんてこと自体これが初めてだし、しかもこれが「最後」なのだというんだから、喚き散らかしたりしていない分、これでもうまくやっているようだ。
しかし私のぎこちない挨拶の後に、目線の先の彼の足元が動くことはなく、目の前の彼から言葉が続く様子はない。
何か言葉を発しようにも、蝉の声や暑さに脳がやられたのかわからないが、何を言うべきかと思考がぐるぐる絡まるだけだった。
一体、目の前の男は今、何を見て、何を考えているのだろうか。
探り合うような緊張感の中、私は恐る恐る顔を上げ、目の前の『涼太』の様子を伺って見ることにした。
ゆっくりと少しずつ、目の前の男の口が視界に入る。そしてそれを見たその瞬間、私はバッと頭を上げた。
なんと彼はあろうことか、下を向き悩む私を見つめ、目を細めてニヤニヤと笑っていたのだ。
「ちょっ、何で笑ってるの!?」
私がそう叫ぶと、涼太は堰を切ったように腹を抱えて笑い出し、それにますます腹が立って私は彼の腕を無遠慮に叩いた。
「いたた……いや、ごめんごめん!
あまりに夏子が神妙な様子だったから、からかいたくなっちゃって。」
「神妙にもなるでしょ!?
……だって、今日、19歳の8月31日だよ。」
私がそう言うと、さすがの涼太の様子も少しは落ち着き、また私を見て穏やかに微笑む。
「うん、そうだね。
でもまぁ、とりあえず『夏子』が約束通り来てくれてよかった。これでちゃんと計画通りに行きそうだよ。」
そうとだけ言うと、涼太はさっきのような悪戯っぽい笑顔を見せる。
「あ、勿論ただで頼もうってわけじゃないよ?
夏子が好きなもの何でも買うし、俺の遺産?っていうのかな、それも夏子に相続するからさ。」
「………遺産? なにそれ、なんでそんなのーー」
「俺の全財産の2千円、大事にしてよ!」
再びの私のパンチを、涼太は避ける素振りもなく受け止める。それが嫌に腹立たしくて、私は彼の瞳をキッと睨む。
「だから、そんな風にふざけないでよ!
ねえ、涼太ちゃんとわかってる?! ……あんた今日、死ぬんだよ?」
「うん、わかってるよ。」
目線を逸らすように、涼太は私に背を向ける。
そしてそのまま彼は鳥居を一歩くぐり、その鳥居を囲う木々の陰に入ると、私の方を振り返らないまま、いつもと変わらない明るい声で言う。
「……だから、良いじゃん?
最期くらい、つまんないことしたってさ。」
穏やかな風が吹いて、涼太だけを覆う木陰が揺れる。
そんな影に隠された彼の薄暗い色は、まるで彼だけが私の手の届かない、遠い異次元にいるような感覚にさせた。
いや、きっとこれはあながち間違いでもないのだろう。
だって私の好きな人は、「何百年」も前から、私の知らない「誰か」のことを愛しているのだから。

「それでさ夏子、付き合ってほしいんだけど。」
突然のその言葉に、私の体は一瞬硬直する。
が、しかし。だてに幼馴染を15年近くもしていない。涼太がこういう人間だということを私は十分すぎるくらい理解していた。
「付き合う、って……何に?」
私がそういうと、涼太はあ、と呟きその言葉足らずさに気づくが、悪びれる様子もなく再び言葉をつづけた。
「夏祭り!」

・・・

正直、私は涼太が好きだ。
初めて彼を好きだと自覚した6歳の時から、そして19歳となった今も。
13年にも渡ってその気持ちが変わることは決してあり得なかったが、かと言って私の想いが報われることも、決してあり得ないことだったのだ。
涼太には、好きな人がいる。
しかも、450年前から。
これは昔、彼が友人の告白を断っていた時に、その理由として私が何日も頼み込んで、やっと私だけに教えてくれたことだった。
450年前、涼太は亡くなった大切な人を生き返らせるために神様と約束をした。
それは、「何度生まれ変わっても19歳の8月31日に死ぬ。」という内容だった。そうしないと、好きな人に不幸が訪れてしまうという。
それ以来、涼太は生まれ変わり、19歳の8月31日に死ぬという人生を繰り返している。
どうにも突飛な話だが、実際彼は何度も生まれ変わり、そして生まれ変わる中で人格や頭脳、性別さえ変わってしまっても、どんな人生の中にあっても、涼太はその大切な人を何よりも愛しているいるのだと言う。
だから、彼は途方もない数の人生の中で、19歳の8月31日に死を選んできた。
涼太にとってその人は、どんな人生の幸福より死を選ぶほど、大切な人。
今回もそれは同じだった。
やはり19歳の8月31日に、涼太は死ぬ。
けれどそれを止める術など私にはなかった。それどころか、
「今回だけは私が嫌だから死なないでほしい。」
なんて言葉は、あまりにも涼太もとい昔の涼太に失礼すぎる。
だから私は何も言えないし、加えて私が何も言わないのをいいことに、涼太は私へ「その日は夏子に協力してほしい。」と言ってくる始末だ。
そして私は、それを承諾した。
きっと私は、彼の唯一の秘密を知る存在であることに優越感を感じていたのだと思う。彼の友達も家族も知らない秘密を、私だけが知っている。
「その日」の話も、それを再確認してこの私達の秘密の関係を続けていく過程でしかなかったはずだ。はずだった。少なくとも今日までは。
「その日」は、とうとう来てしまった。
この日にお別れだということは、5年も前から知っていた。
心の準備をする時間はいくらでもあった。
なのに、受け入れる準備など全くできていなくて、それでも時間は、今日は、規則正しく1秒ずつ過ぎていく。
終わりはもうすぐそこなのに、何一つとして受け入れられていない。
今でも心のどこかで、5年前から涼太が嘘をついていると願ってしまう。そんなことはあり得ないとわかっている。けれど、そんなことを願ってしまう程に、私は彼の最後を受け入れていないのだろう。

・・・
「どう? 東京。」
かき氷を手にそう言う涼太に、私は愕然とする。
「どうって、それ聞きたいの?」
私がそう言っても、涼太はいまいちその意味を理解していない様子で首をかしげた。
「いやだって、あまりにも普通じゃん。せっかくお祭り来て、ほら見て! 私浴衣着てきたよ!
なのにそれにも触れず、この後のことにも触れず、東京の話?!」
私はベンチから立ち上がり、隣に座る涼太へと浴衣を見せびらかすようにその場で一周した。
「あれ? 浴衣の話してなかったんだっけ? 似合ってる似合ってる!」
そう言って涼太は再び悪びれもせずかき氷を一口食べた。あまりにものんきなその様子に、つい私の口からはため息が漏れ出る。
自分がいかに涼太の視界に入っていないのかということは、正直小さいころからわかりきっていた。今だって、そうは言ったもののすぐに「私の知らない誰か」の浴衣姿を想像していたに違いない。
「……まあ、別にいいけど。それはそれとして、涼太が何か話しておきたいこととか無いの? 私の東京の話なんかよりもさ。」
「じゃあ夏子は俺が東京のこと知らないまま死んじゃって良いと思ってるってこと?
そんなの 嫌だよ~~これで田舎者って思われたら夏子のせいだからね?」
きっとそれは、「私の知らない誰か」からということだろう。
私は再びため息をついた。
久しぶりに彼と話したからか、彼の盲目っぷりをすっかり忘れていた。
「はいはい、わかったよ。
でも別にそんなすごいものでもなかったけどな、子供会で行った横浜とほぼ一緒。」
「な~んだ。そんなもんなのか。もっとすごいものがあるのかなって期待してたのに。」
そう言って涼太は腕時計を見る。短い針はそろそろ9を指す頃だった。
あと3時間。少し焦燥感が増す。
「あの、涼太はさ、その、前世とかで東京に行ったこととか無いの?
あと、成績とかもそんな良いわけじゃなかったじゃん、どうして?」
私はその焦燥感による勢いで、ずっと疑問だったことを聞いてみる。それを聞いて彼の顔色が特に変わる様子もない。少し安心した。
あと3時間だっていうのに、こんな短い時間に嫌な思い出を作るなんて誰だってしたくないだろう。
「確かに覚えてるけど、なんて言うのかな。実際に体験したっていうより、ドラマを見てるみたいな感覚っていうのかな。
だから覚えてることもあるし、興味ないこと、それこそ歴史的なこととかは全然覚えてない。自分のことじゃないしね。
……でもそのドラマはもう400年以上やってて、面白くても、つまらなくても、ずっと、見せられ続けてる。う~ん、説明が難しいけどそんな感じかな?」
「ドラマ、か。」
きっと今のこの会話も、いつかそのシーンの一部になるのだろう。
そしてその時、いつかの涼太が見返したとき。
きっと私はただの一脇役でしかないのだろう。
涼太の450年の物語には一つの「彼がずっと大好きな誰か」しかない。
私がこの物語に大きくかかわることもないし、そんな関わりも、あと3時間で終わる。
「嫌だ。」
勝手に、口からこぼれていた。
「……どうしたの?」
そう呟く涼太の声があまりに優しくて、私ははっとした。
ダメだ、私が弱気になっちゃ、ダメ。
どんなに別れが嫌でも、どんなにこの会話が無駄なシーンでも。私は、私の人生は明日以降も続いていく。
本当に最後なのは、今私の目の前にいる彼、なのだ。
涼太は、今から死ぬんだ。
私がすることは、未練がましく泣いたりすることじゃない。
目元にたまった熱を逃がすように、一度目を瞑る。
「……何でもない!
それより花火って9時からでしょ、今年も神社の方行こうよ。」
そう言って私は立ち上がり、涼太へと笑いかけた。

花火は、きれいだった。
こんな田舎町の、唯一と言っていい催しだからなのか、毎年花火はきれいだった。
涼太は、笑っていた。
最後の日にこんなのが見れるなんて、幸運だとまで言っていた。
幸運? 今から死ぬのに?
そんなこと、言えるわけなかった。
「……幸運って、毎年見てるでしょ?
確かにすごいけど、もうさすがに見慣れたんじゃないの?」
「まさか、こんなすごいの慣れないよ。一生。」
そう言う彼の顏は、打ち上げ花火に照らされ赤く染まっていた。

・・・

花火も終わり、屋台が全て閉まるのを見届けてから、私たちは町とは反対の方向へと向かう。
時刻は11時半。あの高い崖に着くのが、11時50分といったところだろうか。
「結局、岡部先生にはちゃんと謝ってないんでしょ? 図書館の本なくしたこと。」
「え~~だってもう今更でしょ? 高校卒業して何か月もたって、今さら謝らなくたっていいじゃ~ん。」
私たちの会話と言えば相変わらずで、彼どころか、私の印象にも残らないような他愛のない話。
けれど、きっとこれが彼の望むことなのだ。
最後に私に手伝ってほしいと再三言っていたのも、最後にこういう相手が欲しかったからなのだろう。
彼は日常を生き、そして日常からひっそりと離れていく。
そういう逝き方が、きっと彼の望むものなのだ。

・・・

11時50分
見慣れているはずの町を見下ろす崖っぷち。
こんな場所を、さすがにこんな深夜に訪れるのは初めてだった。心がこんなにもざわついているのは、きっとそのせいだ。
「いやぁ、とうとうだね。」
そう言って、涼太は崖を見下ろす。
暗くその下が見えないとは言え、ここから飛び降りればまず助からないだろう。涼太はそのことを、5年も前から言っていた。
「とうとうって、何を今さら。
ここまで来て、怖くなったとか言わないでよ?」
「怖くないよ。」
何でもないような声だった。
さっきまでと何も変わらない、涼太の声、仕草、笑顔。
『怖くなった。』と言ってほしかった。
そうすれば、そう言ってくれれば私はいくらでも涼太を勇気づけられた。
そう決めたんでしょ、好きな人の為なんでしょ、私も応援してる。
嘘でもいくらでも言えた。
けれど、涼太は。目の前の彼はもうずっと、遠くに行ってしまっている。
「そっか、死ぬんだ。」
「うん、そうっぽいね。」
死ぬのが怖いとか、別れがつらいとか、そんな当たり前で幼稚な考えはもう目の前の彼にはない。彼の姿を見れば一目瞭然だろう。
私と彼では、住む世界が違うのだ。
たかが15年の私の気持ちと、何百年という彼の想い。
それがどれほど違うのかなんて誰だってわかる。
私の気持ちは、涼太の抱えてきた気持ちよりずっと矮小で幼稚なものだ。
15年間、ずっと好きだったなんて。別れが寂しいなんて。そんな気持ちは。

「………き。」
「? どうしたの、夏子。」
「好き。」
言葉が口からこぼれ落ちる。
この気持ちは、抱えていなければいけなかったのだと思う。
この幼稚な気持ちは、こんなところで吐露するべきではなくて、私が一人で隠していれば丸く収まって、涼太はつつがなく死ねたのだと思う。
でも、そんなことをしても、私のこの気持ちが消えるわけじゃない。
勝手に口から出るほどに膨らみ続けたこの言葉を、私が隠し通せるわけがない。
そこまで上手に生きれていたら、きっと今日私は、こんなところに来ていない。
まったく。誰がすき好んで、好きな人が私以外の人のために死ぬ、なんてところに居合わせるんだろう。
「好きだから、死なないでよ。嫌だ。」
嗚咽を隠すのが精いっぱいで、頬を伝う涙をぬぐう余裕も、隠す余裕もなかった。
涼太のことが、好きで、お別れしたくない。
それは他の何かと比べられるようなものじゃない。
今の私には、それしかないのだから。
「どうでもいい話でも、何でも聞くから!
私より好きな人がいたって、私よりその人の方が大事だったって、何だっていいよ。
涼太と、ここで、永遠に、お別れなんて。ここで終わりなんて。絶対に嫌だ。
お願いだから、死なないでよ……」
そう泣き叫ぶことしかできない私を、涼太は優しく見つめる。
きっと涼太は、こんな経験も初めてではないのだろう。
この秘密を話した人は数えるほどしかいないと言っていたが、その人たちだって皆、彼の大事な人であったはずだ。こんなやり取りも、もう何度も繰り返してきたのだろう。
なら、彼がこの後することも、きっともう慣れたものなのだ。
「ごめん、できない。」
そう言って涼太は微笑む。
月の光に照らされる彼は、いつもと変わらない私の幼馴染だ。
私の好きな人で、もうすぐここからいなくなる人。
そんな彼の言葉に、勝てる言葉なんてあるはずない。
「……あっそ。あはは、そうだよね。ごめん。」
そう言って、私は無理やり微笑む。
これだけ泣いたのだから、うまく笑えているはずないけれど。
「ううん、大丈夫。というか、こっちこそごめんね。」
そう言って、彼は私へ背中を向ける。
「俺、やっぱり死にたい。死ななきゃいけない。
だからさ、謝れない。
俺が今からすること、謝れないや。
夏子を置いていくことは、夏子の気持ちを踏みにじることは、きっとよくないことなんだと思うよ。
だけど、俺はやりたいことをしに行くから。」
「……やりたいこと?」
そう言うと、涼太は勢いよく振り返る。
涼太は、笑顔だった。

「好きな人に、幸せでいてもらう!」

彼の体が、ゆっくりと傾く。
少しづつ、目の前の月の光が、何にも遮られず私を照らすようになる。
「……あはは、何それ。」
その私の言葉に、もう何の音も続かない。
ただただ夜の静寂の中で、私は一人、9/1を迎えたのだった。

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