スケベ心 / コラム
とある本を読んでいて、「スケベ心」についての記述があり、なるほどと感じた。最強の麻雀師である、櫻井さんの対談記事だったように思う。しかし、指摘されて見ると、確かに世の中には「スケベ心」が溢れている。
その本で、「スケベ心」とは、「損得」で物を量ること、と表現されていた。男女のことだけではなく、商売や日常の至るところに「スケベ心」で溢れていると。そして親は「スケベ心」で子を育て、子は「スケベ心」を持った大人へとなっていくと。
誰でも人に良く思われたい。異性にモテて気持ちいいセックスしたい。美味しいものを食べたい。いい車に乗りたい。いい服を着たい。楽をしたい。儲けたい。他人からの称賛を得たい。そういう欲はあるだろう。
私だって、そういう気持ちが全くない訳ではないし、特に若い頃は強かったと思う。しかし、今やその「スケベ心」は疲れを生み出し、不毛な感情を生み出すということに気がついている。別に格好をつけている訳ではない。
男女の関係で言えば、若い頃は外面きれいで身体が美味しそうな女とやれればそれでよかった。しかし、今では全く欲がない訳ではないが、あまり重視しなくなった。もちろん、美しい女性は今でも好きだ。しかし付き合うのは、素直で信頼ができ、気が置けない相手が一番だ。言葉ではなく実感としてそう思える経験が今の自分をそう考えさせる。
人付き合いもそうだ。私自身はもともと他人の事にあまり頓着しないし嫉妬心もない。一方であまり干渉されたりするのも嫌だ。孤独が好きでありながら、一方で寂しがり屋でもある。他人に無関心なように見えるのかもしれないが。
さらに、特定の人やグループでつるんで遊ぶのが嫌いだ。(スポーツは別だが。)
一方、苦手なのは、他人に過度に干渉されたり依存の関係に浸ったりすること。
さらに「スケベ心」が相手に見えた瞬間、途端に冷めてしまうのは昔から変わらない。勿論それは程度による。
最近、特に悲しく思うのが、「スケベ心」が世のなかに溢れたせいで、「スケベ心」を前提にした判断で他人に評価を下す人が増えたことだろう。好きであるとか親しくしたいという感情が、「スケベ心」としてとらえられてしまい、そこからなかなか発展しないのは、至極残念なことだと思う。
そうでない人の方が、受け入れられにくい社会になりつつあるのだろうか?
なかなか他人を信用できなくなった風潮は、「スケベ心」が溢れた社会にも一因はあるのかもしれない。
しかし、素直な人間関係と、その素直な心を尊重出来る人が沢山いた方が、幸せな社会になるのは間違いないし、人間不信にあえぐよりも、例え結果として裏切られることがあったとしても、他人を信用する生き方を選んだ方が、素敵だと思うのだが。
そうはいかない事情を抱えた人が増えているのなら、それは本当に切ない事だと感じる。
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