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「どん底から世界を見る」


相方がInstagramでツイートしていたのでぼくもブログのように文章を書こうとかどうとか悩みながら書いています。
気持ち悪い文章と感情を書くことで忙しいなりに僅かばかりの制作意欲とたくさんの承認欲求を満たす生活をここずっと続けています。

12/1,気がつけば師走ですね。
毎日のように「死にてぇなぁ、大学院行きたくねぇなぁ」と口に出しながら毎日のように作業と研究室業務に向き合ってきた1年もあと少しで終わるらしいです。

時間が過ぎさっていくのは、はやいようで1年前には顔も声も住んでる場所も作っているものすら知らなかったような人たちと遊ぶことが増えました。

ここ数日間はとても楽しい時間をすごさしてもらって
自分の住んでる街の景色を改めて感じることができました。

「どうして自分はずっと田舎の空を毎日眺めているのだろう」
缶コーヒーを啜りながら、知らなかった世界を知るたびに強く思います。

1年前のぼくは卒業制作に追われて
作品とぼくだけがいて、その静謐な場所を世界と呼んで。
思い返せば特別な感覚の中にいました。
今では作品を通して見えた景色がアメーバのように広がってぼくの世界の彩度をあげてくれています。

作品を作るとどこかに行けると信じていた学部時代、ぼくが信じていたものは半分正しく、半分間違っていました。
世界は作品とぼくとそれ以外の人でできているそうです。
人はそれを世界、世間、社会、環境といろんな言葉で形容するのでしょう。
作品を作って、世に出しても
どこかに行くのは作品だけでぼくは変わらないまま時間だけが過ぎていきます。
ぼくを置いていく時間はせっかちで横で一緒に歩かしてくれることを許してはくれません。

どうやらみんな先に先に進んでいくようです。

「作品を作る努力より、環境を変える努力をするべきだった。」
かつてのぼくに助言を与えるなら真っ先にこの言葉を送るでしょう。
これは嘘偽りなく今の生活を見渡して言います。
やめたい大学院だとか、聞こえる変な声、怖い人の目線そういうものに縛られたくはないんです。

ですが黒い光の中にいるような生活の中で
出会えた人と世界があると考えると考えるとこの生活にも意味があるように思います。

知らない街が見知った街になって
知らなかった人が大切な人になって、それを弱さと呼ぶ人もいるのでしょうが
強いも弱いも関係なくただ綺麗なものを、知らない世界をもっともっと見ていきたいな。
とかどうとか今は考えています。

勢いだけで書き進めたまとまりのない文章
少し休んでもバチは当たらんよな。

「夜景観に行かん?」

#ぽて

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