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「信じる」ということ-4年間を振り返って

同期でサッカーを続けていた選手たちが次々に引退していきます。社会人という新たなステージに向けて、少し羽を伸ばしている時期でしょうか。部員ブログなどで、みんなの4年間を読むことが多く、充実した期間だったことが伝わってきました。

僕もどうせなら4年間を振り返り、今後の自分へのメッセージも込めて綴ろうと思います。しょーもない文章ですが、興味がある人は読んでみてください。そして読む人は以下の問いについて考えてみてください。「あなたが思うカッコいい人ってどんな人ですか?」僕なりの答えを後半に書いています。前半は僕の4年間なので無視してください。笑

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●1年
朝練に行き、楽な授業に潜り込み、テキトーに聞き流し、帰って眠る。高校3年間の情熱的な生活とはかけ離れた、怠惰な生活に慣れ、周りの人と同じように、楽しくダラダラと、愚痴ばかり。夏を過ぎたあたりから、心の奥の方から「お前何やってんの?」そんな声が聞こえてきました。日に日にその声は大きくなってきます。内側の声と、自分の生活実態に乖離が生まれ、自分を苛む日々が続きました。半年ほど悩み、僕は逃げました。プロになることを諦め、1年生の3月にサッカーを辞めました。

●2年
サッカーを辞める直前、心はボロボロでした。朝、吐いてから練習に向かう。そんな日々からの脱却だ!ハッピーライフが来るかと思いきやそんなことはありませんでした。サッカーしかしてこなかった自分は、何者でもなくなりました。この時に、「孤独」とは何かを知りました。誰からも必要とされていないことを強く感じました。一人で食事をする辛さ、ハンパないです。
セミが鳴き始め、夏を迎えようとする頃、僕はパン屋のバイトを始めました。そうパン屋さんになりました。パンの値段を覚え、レジを打ち、袋詰めする。誰にでもできる仕事かもしれませんが、僕にとっては「誰かが必要としてくれている!」と、涙が出そうなほど嬉しかったです。
12月になり「サッカーの世界に戻りたい!」というどうしようもない情熱を抑えられなくなりました。恩師の清水監督に電話をかけ、久我山でコーチをやることが決まりました。感謝してもしきれません。
文章にすればあっという間にサッカーの世界に戻ってきたように思えるかもしれませんが、そんなことは決してない。この1年間は人生で最も辛かった。

●3年
久我山でコーチを始め、仕事も進み始め、研究会は2つに所属しました。上山信一教授、諏訪正樹教授の元でひたすら勉強し、世界を見るためのたくさんの物差しを手に入れました。ミクロとマクロの物差し、社会システムは政治/経済/文化システムで成り立っていること、資本主義と民主主義の本質、人間の認知は情報処理モデルでは説明できないことなど、多くを学びました。
5月に付き合っていた彼女と別れました。僕の心の中の泥をたくさん掬い、僕の寂しさに付き合ってくれた人でした。申し訳なさでいっぱいです。感謝しかありません。
暇で空虚な2年生の時と比べると、とてつもなく忙しかったことを記憶しています。ひたすらインプットをした、そんな1年間でした。

●4年
久我山でT2とT4を任され、TimeLeap inc.では3つ目のイベントを成功させ、研究は大詰めを迎えています。T4は昇格、T2は4位という結果を残しましたが、7月はT2、T4共に1勝もできず、めちゃきつかったです。合宿で喉が潰れるほど怒ったこともありました。この1年間を共に戦った選手たちを一生忘れることはないです。ありがとう。トップチームは東京四冠。清水監督を胴上げしている姿を見た時は涙が出そうでした。参入戦と選手権、死ぬ気で頑張ろう。

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さてここから、冒頭の「カッコいい人ってどんな人か?」に対するこの4年間で醸成された、僕なりの答えを書きます。
それは、「自分を信じ続けている人」です。人によって答えが違うと思います。ただ紆余曲折した僕の4年間での答えは「自分を信じている人」がカッコいいです。僕の周りにもたくさんいます。

「自分を信じる」とは何か。僕は「自分を信じる」ことは難しいことだと思っています。うまくいかない時、未知の世界に飛び込む時、人は「不安」に駆られます。この不安に駆られるという状態は、ごく自然なものです。
イメージしやすいように、狩りをして暮らす原始人の生活を思い浮かべてみてください。

獲物の取り方を学んでいる子どもが、何日も獲物が捕れなかったらめちゃ不安ですよね。
「え、獲物全然とれないやん、いつかとれるようになるの?」みたいに。
見たこともない獲物を目の前にした時の子どももめちゃ不安ですよね。
「なにこいつ、強そう。やば。」って感じで。

この「不安」に駆られている子どもは「安心」を求めます。
「父ちゃん、獲物が捕れないから諦める、ご飯食べさせて。」
「なにこいつ見たことない、別にこいつを捕まえなくても生きていけるよね。」
この選択は安心です。ご飯も食べられるし、無理して戦う必要もない。子どもが生き延びていくためには利口なやり方かもしれません。

誰かの安心に乗って生きていれば、その安心が崩れても、その安心を作っていた人のせいにできます。
「なんで父ちゃん、獲物とってきてくれないの!これで死んだら父ちゃんのせいだ。」
「この見たことない獲物しかいないんだけど、捕まえなくて大丈夫って言ったよね!」

現代社会は人々の不安が募っていかないように、たくさんの安心を用意しています。このレールに乗っていれば安心だよ、と。多くの先人が安心を作ってくれました。あるいは集団で群れていれば助け合えます。安心です。

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少し長めに「不安」と「安心」の話を書きました。何が言いたいか。僕は、不安を誰かの安心に捌ける人をカッコいいとは思わない、ということです。獲物がずっと捕れなくても、死ぬほど考えて空腹のまま何回もトライするやつの方がカッコいい。見たこともない獲物を前に、たとえ足が震えても勇敢に立ち向かっていくやつの方がカッコいい。そう思います。

どっちだっていい。同じように生きられます。でも僕は後者の方がカッコいいと思う。獲物が捕れない時、なんでダメなのかを考え続け、本質の底まで潜り、自分なりのやり方を編み出し、その過程を経た自分をひたすら信じているやつの方がカッコいい。見たこともない獲物を前に、これまでの努力を信じ、勇敢に立ち向かうやつの方がカッコいい。同じ人間で、同じくらい生きて死ぬ。それだけです。だけど自分を信じて生きてるやつの方がカッコいい。僕はそう思ってます。

あと、僕が考える「信じる」というのは何の根拠もなく信じているやつじゃない。ソッコー死んで終わり。カッコいいもクソもない。自分のことを信じるために必要なことは3つあると思っています。

まず、徹底的に学び、考え、行動すること。何も根拠がないものを人は信じられない。死ぬほど悩み、どうやったらいいのかを考え続ける、何回失敗しても学んで考える。これなら信じられるというところまで自分を持っていく。それでもダメならまた考える。その不断の過程が信じることを可能にします。

2つ目は、自分に嘘をつかないこと。自分に嘘をついた時、人は自分のことを信じられなくなります。最後の最後、ギリギリで、嘘をついた過去の自分が顔を出します。嘘をついている人のことは信じられないですよね?それと同じです。日々の自分に、選択をする自分に、嘘をつかないこと。誰かに決断を委ねない。嘘をつかず、自分で決める。

最後に3つ目。それでも不安で仕方がない。自分のことを信じきれない。そんな時があります。そんな時、周りをみてください。自分のことを信じてくれている友人や家族、仲間、大切な人がいるはずです。応援してくれている人がいるはずです。孤独じゃない。絶対に。だから、自分のことを信じてくれている人を信じてください。巨大な獲物を前にし、足が震え、立ち向かえない。ふと後ろを振り返れば、大丈夫だ、お前ならやれる、と言ってくれる父ちゃんがいます。母ちゃんも、親友も、大切な人も。もう一度前を向け、信じろ、お前のことを信じてくれる人がいる限り、お前はお前を信じ続けろ、大丈夫。

この4年間で何度も不安に陥りました。

サッカーでプロになれるだろうか?サッカー部を辞めて道が開けるだろうか?みんなと同じルートを歩まなくて大丈夫だろうか?指導者という職業は僕に向いているだろうか?この練習をしてて選手は上手くなるだろうか?僕の好きな人は僕を好きになってくれるだろうか?これだけ勝てなくて次の試合に勝てるだろうか?進めている研究で論文を書けるだろうか?今取り組んでいることは誰かのためになっているだろうか?本当はすべて意味のないことではないだろうか?僕はこの世界に生きていていいのだろうか?

これらの不安に苛まれながらも、たくさんの支えがあり、地べたを這いながら、よろよろと生きていくことができました。感謝しかありません。そして、これからも何度も不安に陥るはずです。いいか、信じろよ。どんなにみすぼらしい決意であれ、自分に嘘をつくなよ。考えろよ。学べよ。周りの人を見ろよ。自分を信じろよ。カッコいい人になるぞ。


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