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25歳の自分への祝辞

先ほど、25歳になった。
3月28日12:34。24年間をこの世で過ごしたことになる。

昨年は自己紹介を書いていたが、今年は己を俯瞰し、律する祝辞を残すことにする。
書くとは、生き様を区切り、形を示すことだからだ。
示したことは、振り返ることが出来る。だからこそ、noteに書き認めておこう。



さて。
君は己の才のなさと事実を何度も悔やんでいるようだ。

出来る範囲の全力を注ぎ、迷惑をかけて謝り、出来ぬことばかり悔しがり、出来たことを褒めることのない愚かな者へ、3つの戒めを送る。

【25の自分へ】
1. 変えらない自分に向き合い続けることは責務である。
2. 己を認められる時を大事にせよ。似た他者へも提供を怠るなかれ。
3. 器を増やす努力をせよ。そして自ら注ぐべし。

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器の話をしよう。


人はそれぞれ、器を持っている。
器量を超える物事を、人は受け止めることは出来ない。


君は自分の器について、こう思うだろう。
「なんと小さき器に、溢れても、溢れても、盛り続けてばかりいるのか」と。
己の小ささを弁えず、器を超えようと足掻き、溢れるまで盛ろうとする自分に呆れている。



本来、器とは拡げられるものではない
縁や底を削って深めても、注がれる量を変えなければ溢れ続ける。



溢れるまで入れる自分を愛すしかないのだ。
......時には責任を放棄してまでも受け止めんとし、結果溢れさす自分を止めることは、誰にも出来ない。


君は溢れさせる度に、こぼれたものを拭かんと立ち止まり、拭きながら悔やんでばかりいるな。


1つ目の戒めだ。
続けよ。これからも、諦めるなかれ。
変えらない自分に向き合い続けることは責務である。
溢れないよう、減らす努力は変えられなくとも怠るな。




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2つ目の戒めの前に振り返ろう。
立ち止まった時にいただいた言葉を


君は全力を尽くした果てに、お客様からある言葉をいただいた。


「頑張ってくださっているのは十分に伝わっています。感謝しています」


溢れても受け止め続けた自分でなければ、いただくことは出来ないものではないか。


君は、こう返した。

「このような結果ながら、そのようなお言葉を掛けてくださる貴方に、感謝の旨を伝えたいと思います。
ただ、事実は事実。最後まで出来ることをさせてください。」


1つ目の戒めを行動まで落とし込み続けるように。
その上で、2つ目の戒めを伝えよう。

事実を誇れ。そして、同じく言葉をかける者であり続けよ
エゴであれ、それが人を救うことがあることを最も理解しているからだ。
「 己を認められる時を大事にせよ。似た他者へも提供を怠るなかれ。」



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最後の戒めはアドバイスだ。


器を増やせぬからこそ、素晴らしい仲間の器に頼れ
溢れるものを零す前に、受け止めてくださる器を探せ。


君が無理をしてでも受け取らんとする理由を示した時、
受け止めてくださる方がいる。
それは、世のため人のために事を成すことが自然と生み出すからだ。

己の器へ注ぐ者がいるように、自らの器を溢れる分を仲間の器へ注げ。
募れ。頼れ。注ぐことが、仲間の器を豊かにすることさえある。
器を増やす努力をせよ。そして自ら注ぐべし。



君は、器を広げられないことを理解し、向き合うことも怠らず、自分の器への姿勢を受け止められる時間を誇るマインドを持てるはずだ。
そして、25歳をより良きものとするため、恥を知り、頼る意味を受け止めている。



来年、ここを振り返るまで生き抜けたとしたら、また君の生き様を祝おう。
学び続けるために、いつでも学べるサービスを自ら開発して作るようになった君が、次は何を成していようと。

25歳の自分、ならびに、共に読んでいただいた方へのご多幸を願い、祝辞の言葉に代えさせていただく。

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