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いい年してお金をスマートに使えない話

先週末、私にとってはかなりの散財をしました。新しいパソコンを注文して、新しいタブレット端末を買い、お掃除ロボットを買い、メタルラックを数セット購入。合計すると25万円くらい。一日で使った額としては、ここ5年では一番だと思います。しかし、今回改めて分かったのは、私はお金を使うのを楽しいと思わない…というより、物を買うのが嫌いだということです。

  • 物を選ぶのが嫌い

  • 物を持って帰った後開封してセットアップするのが嫌い

  • 物をいつの日か捨てることを考えるのが嫌い

よくよく考えると、これは私が小さいから続いてきたことです。

私の父親は子供に対して甘く、ほしいゲーム機やソフト、おもちゃ、本などは比較的自由に買い与えてくれました(限度はもちろんありましたが)。小学校低学年くらいまではおもちゃが増えることを単純に喜んでいたのですが、年を経るにつれて物を買ってもらったその瞬間の嬉しさの中に、暗い気持ちが影のように差してくるようになりました。

ゲームにせよおもちゃにせよ本にせよ、いつかは飽きてしまいます。それなので、直感的に欲しいと思ったものではなく、できるだけ「飽き」が来ないものを親に買ってもらうようになりました。
こういうことを繰り返していたら、物を選ぶのが嫌いになりました。

そうやって厳選したものでも、買ってもらったその瞬間から「飽き」が始まります。そして、その「飽き」を想像してしまって落ち込むのです。買ってもらったものを開封してセットアップすると、その瞬間から「飽き」へのカウントダウンが始まります。
こういうことを繰り返していたら、物を持って帰った後開封してセットアップするのが嫌いになりました。

さらに、いつの日か「飽き」てしまったものは邪魔になるので捨てなくてはなりません。親にお願いして買ってもらったものを「飽き」たからといって捨ててしまう罪悪感を、買った直後から予感するのです。
こういうことを繰り返していたら、物を買った瞬間にいつの日か捨てることを考えてしまうようになりました。

そして、中学生ごろには何か物を買ってもらうこと自体を嫌に思うようにすらなりました。

一方で、後に物が残らないものにお金を使うのは、比較的抵抗感が小さいです。例えば旅行とか食事がそうです。しかし、高い旅行や食事は私のようなみすぼらしい中年男性が一人で行くと場違いな思いをしてしまうので、これはこれでしり込みしてしまいます。
結局、お金の出ていきどころがないのです。

あまりにも現金が余るので、人生経験と暇つぶしだと思って投資信託などを始めたのが10数年前のことです。ちょうどアベノミクスが始まったころでした。破滅的に損しなければいいかくらいの気分だったのですが、円安と株高のおかげでかなりの額の含み益を得ました(タイトル画像は2010年ごろからの日経平均株価の推移です)。ただ、繰り返しですがお金の使いどころがないのです。本当にこれでいいのかと少しむなしい気分にはなります。

ぜいたくな悩みだし、お金がないよりはあった方がいいのは重々承知なのですが、私の人生における長年の課題です。会社辞めても、贅沢しなければ生きていそうなのですが、そうするとますます人生が「無」になりそうで怖い…。なにかよい趣味を見つけられればいいのですが。


(注)
こういうことを書くと、「じゃあ私がお金を使ってあげる」とかいうことをいう人が良くいるのですが、すげーおもんないのでやめたほうがいいと思います。
私はそんなくだらない人にお金をわたす時には、物を買う以上に巨大なマイナスの感情を持つことになるでしょう。「飽き」る以前の問題として、お金を使うことに対するプラスの面すらないわけですから。

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