前置きがとても長い、牛腸茂雄の写真展に行ってきたという話

※このあと、ゴキブリに関する文章があります。
 写真や動画などはありませんが、苦手な方はご注意ください。

ゴキブリを嫌う人は多いです。
私自身は見るだけで叫び声をあげるほどではないですが、やはり同じ部屋にゴキブリがいたとしたらいい気分はしません。蟻くらいの大きさなら無視できたのでしょうが、知らんふりできない微妙な大きさ。不潔感でいっぱいの油ぎったフォルム。そしてスピードと飛行性能による行動範囲の広さ。このあたりが嫌われる理由でしょうか。
これだけ嫌われてるせいか、真偽不明のゴキブリに関する雑学も老いです。クローゼットの中の着替えに潜んで暖をとる習性があるだとか、または寝ている人の口元に忍び寄って唾液を吸って水分補給するだとか…。

大学生のころ、ゴキブリが苦手な人に対して上記のような噂話を伝えて反応を見るという趣味の悪いいたずらをしたことがあります。ある時、この話をするときに

「ゴキブリがやってくる様子をカラーで想像してごらん」

という一言を付け加えると、嫌がらせの効果が倍増することに気づきました。これは何を意味しているかというと、多くの人は頭の中で想像していることはカラフルなものではなく、モノクロ写真に近いということなのだと思います。
(同様に「音付きで想像してごらん」「動画で想像してごらん」という言葉も大きな効果があるのですが、本題から外れるので省略します。)

まさに今現在体験しているものは色に満ち溢れたカラーでこの身に迫ってきます。しかし、これが過ぎ去って頭の中にだけ残ったもの、つまり過去になったとたんに色は失われてモノクロになるのだと思います。かなり昔の曲で「思い出はモノクローム」なんて歌詞もありましたが、まさにそのとおりなのでしょう。だからこそ「君は天然色」だったのであり、二度と戻らないカラーの時代を懐かしむ歌なのです。


やっと本題です。
伊丹ミュージアムで開催されている「牛腸茂雄 写真展 “生きている”ということの証」を見に行きました。

私はこの方については初めて知りました。若いころに脊椎カリエスを患い、その後遺症で体が丈夫でなく常に死を意識しながら創作を続けるものの、30代半ばで亡くなった方だそうです。
彼の主な作品は、1971年に刊行された「日々」、1977年に刊行された「SELF AND OTHERS」、1981年に刊行された「見慣れた街の中で」の3つの写真集に収められています。

「日々」は関口正夫との共著で、当時の街中のモノクロスナップが収められた自費出版本です。全体的に対象物と撮影者である自分が切り離されていて、傍観者的な立場からの写真となっています。

『日々』/牛腸茂雄/関口正夫より

ほかの写真は「MEM」という画廊のサイトでいくつか見ることができますが、雰囲気が伝わると思います。


その6年後に刊行された「SELF AND OTHERS」は、「日々」とは雰囲気がガラッと変わり、そのほとんどの作品で撮影対象者が撮影者を見つめているというポートレート写真となっています。

『牛腸茂雄 写真集 SELF AND OTHERS』より

こちらも「MEM」でほかの写真を見ることができます。

構図の点からは大きく変化したということになるのでしょうが、いずれも過去のある瞬間に閉じ込められたような雰囲気を持つという点では、私には似たような写真集に見えました。冒頭の話に戻るのですが、これはモノクロームだということが影響しているようにも思います。時代の制約としてカラー写真が今ほど普及していなかったというのもあるのでしょうが、カラー=現在性に対応する、モノクロ=過去性とでもいうべきものを、意図的に強調した写真集だったように思います。

そして1981年の「見慣れた街の中で」です。カラーでしかも、流行の服装、化粧をした人が集まる繁華街の写真です。

『見慣れた街の中で』/牛腸茂雄 より

撮影の舞台を街中に移したことにより、被写体となった人々の格好や建物の看板、自動車などにより時代を完全に特定できるようになりました。当時のカラー写真ならではのコントラストの濃さもあいまって、撮影している「まさに今」が感じ取れる作品だと思います。個人的には、過去2つの作品集では過去を閉じ込めたのに対し、この「見慣れた街の中で」は当時の「今」を写したもののように感じました。

牛腸茂雄の作品は、主に3つの写真集に収められたと書きましたが、実は死後見つかったいくつかの写真が一冊にまとめられて出版されています。それが「幼年の「時間」」(1983年)です。これに収められている写真の多くは「SELF AND OTHERS」と同じく対象者が撮影者を視ている構図ですが、被写体がすべて子供だということが特徴です。

体調不良で死を予感した牛腸は、ふたたび過去に目を向けて、脊椎カリエスに感染せずに健康いられた場合に「あり得た」はずの人生に思いをはせたのでしょうか。私の思うことがどこまで妥当なのかは、自信ありませんが…。

あと、短編映画がいくつか放映されていましたが、こちらはだいぶんまた雰囲気が違っていました。なんというか、女の子を可愛く撮るぞ!という気合を感じる作品でした。画質も粗くて、今見るとものすごく面白いわけではないのですが…。


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