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例に漏れず、僕にもそういった街があります。小学生くらいから今に至るまでずっと足を運んでいる街です。
その街にはデパートがあります。デパートは3階建てくらいで、縦横無尽に広がっています。まるで果てを感じたことがありません。デパートの地下には電車が通っていて、そこへ急いで駆け込んだ記憶もあります。乗り入れもたくさんしています。
1階、施設内の通路はとても広く、ヒトが10人横になって連なることでやっと横断できるくらいの幅があります。地面は石のようなものでできており、その一つ一つに不思議な柄が描かれています。
ところどころに駅へ繋がる通路があり、その付近は特に人通りも多くいつ訪れても混雑しています。道を訊くために話しかける隙さえ全く無いといった様相です。しかし、そんな騒々しい人通りに反し、昼間は自然光を多く採り入れており、暗いような明るいような暖かみのある雰囲気を醸し出しています。
対照的に2階にはヒトが誰もいません。通路は狭く、飲食店が立ち並んでいるものの、誰も中にはいません。
暖かい光の差す1階に対して、2階には一切自然光が入ってきません。通路は四方を薄汚れた壁に覆われており、ところどころに3,40年くらい前のガチャガチャが置いてあります。
自然光の代わりに通路を照らすのは、明るさ保証満点の蛍光灯です。どれも新品で、その快活な明るさゆえにフロアの汚れた壁を鮮明に照らしているのが皮肉なところです。
2階はいつ訪れてもヒトがいないどころか、これっぽっちも音が無く、一つ下のフロアが鳴らす喧噪がまるで嘘のようです。
僕はそれをデパートだということは認識しているものの、デパートらしい商品の記憶はほぼありません。
服も、インテリアも、雑貨も、ゲームも。そのデパートにはいわゆる“デパートらしい”商品がほとんど無いのです。いや、もしかしたらあるのかもしれませんが、少なくとも僕はそれを認識したことがありません。
しかし、唯一覚えている商品があります。それがテディベアです。クリスマスに贈り/贈られるでお馴染み、テディベア。それだけが唯一記憶に残る、認識している商品です。
特段変わった雰囲気でもなく、テディベアのフリー素材を検索すれば真っ先にヒットするような。シンプルなデザイン。シンプルなデザインではあるものの、そこで唯一の商品となれば不思議と特別感が出てしまうものです。
僕は生まれてこの方「テディベア」というものに触れてきませんでした。そんな自分にとって、それは一種の憧れのようなものなのかもしれません。
3階。デパートのはずなので本来ならショップが立ち並んでいそうなものですが、そこにはショップらしいものは何もありません。電気を使った機械や装置のようなものも無く、そこへ向かうにはボロボロの石の階段を上る必要があります。
上がった先には20畳ほどの広間のようなものがあり、ところどころが崩れかけており、壁には穴が空いています。
僕がその場所を訪れたのは一度きりでした。デパートだと思っていたものの3階がやけに荒廃していたのを見て、本能的な恐怖を覚えました。
階段を登り切り、広間の奥へと目をやると、なんと人が落下しようとしていました。
あっ、死ぬんじゃないか。これってたった今、人が死んでしまう瞬間なんじゃないか。足の先から心臓を射抜く嫌悪感のようなものがぞわぞわと身体を支配していきました。
その人は壁を必死につかみ、数名の学生がハシゴを掛け、救助しようとしています。彼らは自らの危険も顧みず、雄叫びを上げ、必死に周りを鼓舞しながら救助活動をします。
しかし、当の本人は涙目になるでもなく、悲鳴をあげるでもなく、冷静になるでもありません。助けられようとしているその人は感情をどこか遠くへ飛ばしたような表情で、空の向こうの方をすーっと、すーーーーーーっと見つ
「寝ている時、夢を見ている時だけ行ける街」が存在するというのはよく聞く話です。何だか見たことがあるような、ふんわりとした既視感はあるものの、実際にそこへ足を運んだ明確な記憶はないような。夢らしいといえば夢らしい存在です。
“足を運んでいる”とは言いましたが、これは少し違和感のある表現かもしれません。「どこかの街」ではあるので、経路としては間違いなく“そこ”へ“足を運んでいる”かもしれませんが、記憶の中ではそこのとある場所に突如ポツンと立たされたような感覚です。何者かにそこへ配置されたような。そういった具合です。
突如ポツンと立たされました?
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