ルミナスウィッチーズ各話評 9話「星と共に」ー切り取られた空と、切り取った布地とー
優しい話です。ルミナスウィッチーズはシリーズ全般にわたって優しいのですが、9話はジョーという一人のウィッチへの優しさであふれています。ルミナスで秀逸は回はいくつもありますが、青い花と折り紙というモチーフをフル活用した5話「まっしろリボン」、マリアの感情をダイレクトにぶつけてきた6話「夢色コントレイル」ともまた違う、あからさまなモチーフや直接的なメッセージもないのですが、「切り取られた空」と「切り取った布地」という2つを紐解いていくと、ジョーという12歳の女の子への優しさに満ちた回です。
「こういう各話評は放映時にリアルタイムでやるもの」と思うものの、8月に3rdライブに行って以来ひたすらルミナスを見返していて「ああ、そういうことなのか」とふと気付きまして、ネットを見てもこの手の評を見つけられなかったので、書いておこうと思います。決して私が毎回酒を飲みながらルミナスを見てはいつも途中で泣いてしまい、各話評とかできなかったとかそういうことではないです。
切り取られた空と切り取った布
ワールドツアーの最終地、ジョーの故郷・リベリオンのニューヨークで自由時間を与えられ、衣装担当のシルヴィとジョーは服飾のショッピングで、青い綺麗なグラデーションの布を見つけます。「こんなきれいな布に鋏を入れていいのか」と悩むジョー。
他方でマリアとマナは、ニューヨークのど真ん中で空を切り取る高層ビル群、摩天楼(スカイスクレイパー)を見上げます。この切り取られた空でどのようなショーを繰り広げようかと創作意欲を増すマリア。
2つのシーンは連続していますが、強く関連性は示されません。「きれいな青い布」と「切り取られた空」が次に出てくるのは、ジョーの実家の家庭訪問が終わった後です。
彼女が育った街の人たちがコンサートに来れるわけではないという事実を突きつけられたジョー。彼女を見て、アイラはマリアとマナに相談を持ち掛けます。この会話は省略されていますが、「コンサートを見ることができる軍関係者や富裕層」と「コンサートを見られない街の人たち」というグラデーションの中で、どうやってみんなに音楽を聞かせるかといった相談がされたことは、後の展開を見れば分かることです。
他方でジョーとシルヴィは「鋏を入れて切り取った布地」のグラデーションが複雑で縫い合わせられず、壁にぶつかります。しかしそんな2人を見てグレイス少佐は縫製工場を紹介し、あっという間に衣装が完成します。
「街のみんなにコンサートを見せられない」「衣装が完成できない」。2つの壁にぶつかったジョーですが、結果として故郷でのコンサートは、新しい衣装を着て、会場を飛び出して空いっぱいに軌跡を作りニューヨーク中を繋ぐことでやりきります。
コンサートシーンの途中で敢えてジョーの橋の思い出を挟む演出も秀逸です。幼い日のジョーが父親の帰りを待ち、出征するジョーが家族に別れを告げた橋。病弱な両親に代わって大家族を養うために軍隊に入ったジョーも、1人の女の子だということをしっかりと打ち込みます。
切り取られた空も、切り取った布地も、一人では難しくてもみんなの力を借りれば繋げるんですよね。誰もそんな台詞を言わないし、メッセージやモチーフを全面に出してこないですが、一人で抱え込まずに誰かを頼ればいい、もし困っていても助けてくれる人がいるよと、ジョーに向けたやさしさが溢れています。
そしてそれを助けてくれるのは、ルミナスのみんなだけじゃないんです。「国力」すら借りていますからね。星で盛り上がったのは会場の富裕層、ドーナツで盛り上がったのは町の人たちという構図になっていますが、軍人や富裕層といったグラデーションの対局の人たちも同じ気持ちなんだと分かります。だって隣で飛んでいる人が、まさに公女なんですから。
「シリーズでこれまで描かれてこなかったリベリオン」「4話以来のコンサートシーン」「終盤で飛び込むガリア解放の報せ」といったものに埋もれがちですが、切り取られた空と切り取った布地といった要素をささやかに鋏ながら、一つのしっかりとした優しい話を筋として通して成立させている、森悠さんの実力を確かに感じるいい回だと思っています。
(余談)
ほとんどが軍曹で構成されているルミナスですが、「たまたま砂漠で迷っていた狐のおじさんを助けた」マリアの外、最年少のジョーも曹長です。ジョーの出征の場面を見ると、この時点で曹長なんですよね。
内地での勤務で手柄を上げたのか。それとも家族を養うために士官学校にでも入ったのかと考えると、またジョーの覚悟を感じるとともに、「もっと頼っていいよ」というメッセージが強まりますよね。まあここは公式で明言されていないことなので、さてさて。
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