とやまの見え方・富山大学附属図書館と米国人コメディアン ボブ・ホープ
2021年10月11日投稿
拙稿「富山と、戦時下のジャズ」(2021年3月)を読んでくれた知人がいます。
彼は、ポピュラー音楽を独自に編曲し、人前でギターのソロ演奏をしている人です。音楽について関心が高く、時折会うと話してくれる彼の音楽知識に、しばし時間を忘れてしまいます。
その彼が、拙稿の参考文献『近代日本のジャズセンセーション』を、貸してほしいと電話してきました。戦前のポピュラー音楽事情を描いた書籍は少ないらしくて、読みたいとのことでした。その代わりにと、気を使って彼が貸してくれたのが、戦後の音楽事情を描いた書籍でした。「どこかで、富山がひっかかってくるかもしれんよ」と、頼りなげに手渡してくれました。
その書籍は、『めぐりあうものたちの群像―戦後日本の米軍基地と音楽1945-1958』(青木深著)です。これを読めば、先の『近代日本の…』と合わせて、アメリカ音楽の、日本における戦前と戦後の繋がりがわかるので、好都合です。
件の本では、当然のことながら、原信夫さんのシャープス・アンド・フラッツのことが、何度か出てきます。
そして、戦後の在日アメリカ軍基地を慰問するアメリカ芸人達に、記述が及んだ時のことです。当時、アメリカにはボブ・ホープというコメディアンがいて、戦後、アメリカ軍の慰問で日本にやってきました。
私の年代なら、彼の名前や、主演映画の「腰抜け二丁拳銃」、その主題歌「ボタンとリボン」は、なんとなく聞き知っているに違いない。
「ボタンとリボン」は、私たち年代の子供の頃に、江利チエミさんなどが「ボッテンボー(Buttons And Bows)」と歌っていたことをご記憶の方も多いかと思います。ちなみに、”Buttons And Ribbons”と歌っていたわけではないんですね…。この稿を書いていて、初めて知りました。BowsはRibbonsの一種とのことです。
で、話は、そのボブ・ホープのことです。著者の青木深さんが、このコメディアンを調べるにあたって、彼の自伝の原書を手にした時のエピソードで、そんなもの、どこから入手したと思いますか? なんと富山大学附属図書館です。ここが、今回のポイントです。
その経緯を、青木さんは、いささか興奮気味に描いていらっしゃいます。
ボブ・ホープは一九〇三年に英国で生まれたコメディアンであり、第二次世界大戦から湾岸戦争まで精力的に米軍慰問を行ったことでも知られる。
ところで、二〇〇七年一一月に私は、彼が一九五〇年代前半に口述した自伝を富山大学附属図書館から取り寄せた。一一月二一日、一橋大学附属図書館の相互利用カウンターで同書を受取り、コピー機の近くのテーブルで表紙をめくったその瞬間に、私の目は印鑑で押された文字に釘付けになった。そこには三種類の印鑑が押されてあった。一つは”US ARMY LYBRALY SERVICE”もう一つは”CAMP FOWLER LIBRARY PROPERTY OF THE U.S.ARMY”それから”TAGAJO”の印である。これらの印は、私が借りたその本が、かつては先代のキャンプ・ファウラーの図書館や多賀城基地の図書館の蔵書だったことをはっきり示している。
富山大学附属図書館へ問い合わせたところ、これは次のような事情であった。一九五八年三月、米陸軍の余剰書籍を寄贈する旨の文書が金沢のアメリカ文化センター経由で富山大学附属図書館まで届いた。当時の担当者は寄贈を希望し、同年五月九日、神奈川県の淵野辺基地に所在した米軍の図書配給部へ赴いた。これをもって寄贈が決定され、同大学図書館は、米軍の余剰図書一五〇〇冊を受け入れた。私が借りたボブ・ホープの自伝は、この時に寄贈された一五〇〇冊の内の一冊であった。―中略― 富山大学附属図書館の蔵書になって約五〇年後、その書籍が一橋大学附属図書館まで届き、私が借り出したことになる。
一つの資料を求めて探し続けた著者の喜びが、ひしひしと伝わってきます。私、富山大学の附属図書館で、その原書をこの目で確認しました。紛れもなくARMYなどという印もついていました(どうぞ、私を、疑り深いといわないでください。好奇心が強いだけですから)。
今回取り上げた参考文献の名前が『めぐりあうものたち…』となっているのも、何かの因縁でしょうか?
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この図書を私に貸してくれた知人は、今回のこの経緯を読んだら、きっと電話してくるでしょう。
「もしもし千田? 貸してやった書籍、役に立ったネ~」電話のむこうで、ニヤッと笑っているに違いない。
(引用参考文献) 『めぐりあうものたちの群像―戦後日本の米軍基地と音楽1945-1958』青木深著 大月書店 2013年3月刊
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