とやまの見え方・「我が北陸の中枢に 国の鎮と峙てる」旧制の富山中学校のこと

2021年12月10日投稿

  散らかった書籍を片付けていて、文庫本が崩れ落ちました。そのうちの一冊が『美しい日本語』という本で、著者は、国語学者の金田一春彦(1913-2004)さんでした。

 この文庫には付箋が1枚貼ってありましたが、その項目に記憶がなくて、拾い読みを始めました。それを見た家人が呆れかえって「こんなことしているから、いつまでたっても部屋の整頓が進まないのよ」と、遠慮のない言葉を発します。

 でも、しょうがない、気になるのだからしょうがないと、私は心の中で自己弁護しながら、片付けの手を止めて、巻頭から読み進めたら、次のようなことが書いてありました。

 そこは、相手を考えずに省略言葉を使う配慮の無さを、先生が注意喚起されている部分でした。次のような例が、引いてありました。

(最近の若者が言葉を省略することが、気にかかる。しかし)省略する癖は今に始まったことではなく、昔行った面接でも「フチュウを卒業しました」と言われて困ったことがある。フチュウといえば「府中」しか思い浮かばないが、相手は富山中学(千田注:旧制富山中学校1885-1948)、略して富中のことを言っているつもりだ。

 金田一先生は、こう例示して、「会話をするとは、結局相手への配慮をいつも忘れずにいる、ということかもしれない」と、苦言を呈していらっしゃる。

 しかし、私としては、その富山県人が“相手への配慮を欠くような無礼な人物”とは思わない、母校愛に溢れる麗しい人物だったと思います。きっと、若かりし頃、弊衣破帽で、校歌を、

我が北陸の中枢に 国の鎮と峙てる
名も立山の朝日影 その崇高を仰ぎ見よ
峨々たる峰に雲湧きて 自然の霊威輝けり

と、声高らかに、歌っていたお方だろうと思います。

(引用参考文献)
『美しい日本語』金田一春彦著 角川ソフィア文庫 2016年12月刊

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