信仰初心者

わたしも日本人だから、お寺や神社には昔からよく行っていた。特に仏教はかなり好きで、幼稚園が仏教幼稚園だったこともあって、一時期はお寺めぐりもしていた。今も仏像が好き。美しいので。

神社でお守りを買うことだってあったし、受験期には担任の先生が全員分買ってきてくれた湯島天神の鉛筆を使った。お正月には年によってお寺に行ったり神社に行ったりして、今年も良い一年になりますようにと定型で祈った。

わたしはほんとうに、1年もしないほど前までは、そういう普通の日本人だった。信仰を持たず、しかし都合よく仏やら神やらに祈り、なんなら愛していた。お地蔵様を蹴ることはできないでしょう? 悪いことをしたらお天道様が見ているようで、誰にもバレなくても後ろめたい気持ちになるでしょう?

そういう自分に疑問を抱くこともなかったし、今後変わることもないだろうと思っていた。結局のところ信仰はツールである。より良い生き方の指針になったり、心を落ち着けたりするための。そう思っていた。そう思いながら、聖書を読みはじめた。だからきっと本当に信仰するということってすごく難しいのだろうと思っていたし、わたしはこういう民族に生まれた以上、できないんじゃないかとも思っていたんだけれど。

すこし前、友人に神社に誘われて、一抹の躊躇いが生まれた。わたしの信仰している神はそこにいないのに、いいのかな?って。

そんな自分にひどく驚いた。そこまで気にするようになると思っていなかったから……。知人が、祈りこそしなくても他の宗教への敬意として礼を守るという視点もあるので行っても大丈夫ですよ、と言ってくれたので迷いはなくなったんだけど、いまだにあの時の躊躇いに対する戸惑いがある。

初心者だから。本当に。今まで真面目に何かを信仰したことなんかなかったから。あ、そんな感情って生まれるんだ。って。この国は本当に宗教への風当たりが強いから、頭がおかしくなったと思われそうで怖いのもあるし、信仰生活始めたいけど私にできるのかな……とか色々考えてたんだけど、もう覚悟を決めろって言われてる気分になりました。

私は結局救われちゃったんですよね。道具とは思えないところまで。馴染みのない感覚すぎてどうしたらいいかわからないんだけど、感謝……感謝するしかない気がする。敬虔により善く生きます。生き続けます。どんなに苦しくとも。

今は実家に帰っているから自宅に戻ってからにはなるけれど、ちゃんと教会にも通いたいですね。だって今私が死んだら仏式で見送られちゃいますからね。神社に行くことにさえ躊躇いが生まれたのに、仏式で弔われるって……まずいです、ただでさえ火葬になりたくないってのに……どうせ火葬になっちゃうならせめて弔いくらいは私の信仰に則ってほしい……

とりあえず、洗礼を受けてクリスチャンになって、死んだら教会に任せてくださいと言えるまでは事故とか病気でうっかり死なないようにしたいです。その前にうっかり死んじゃったら、ここのみんなだけでも私のために祈ってくれ!

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