見出し画像

主が右に座すようにあるいはナチス・ドイツ

好ましい人を右へフリックするといいねができ、左へフリックするとお断り。マッチングアプリってほとんどこれなんだけど、結構しんどい。人を値踏みし、値踏みされる、その営みに疲労している。

マッチングアプリをしてみたい男性読者の皆様向けに、個人的萎えポイントを列挙します。プロフィールがテンプレのやつ。同じに見える。「はじめまして!〇〇です!」で始まるやつ。名前は一目でわかるし情報取得の邪魔なので他のこと書いて欲しい。顔が出てないやつ。無限にいいねが来るので顔が出ていない人間とマッチするメリットがない。めっちゃ年上のやつ。30代以上は全員蹴っているのだが、40とか50の人は何考えてるんだ。20代前半の小娘と本気で恋愛したいのか?

放っておくと何百件ものいいねがくるから、こういう基準でマッチする件数を死ぬほど絞り、そのあと会話でも絞り、通話で絞り、そうやってずっと人を値踏みし続けているとだんだん心が硬くなってゆく。「無言で切る人お断りです」みたいな謎に攻撃的なプロフィールの男性を避けた方がいいなと思って左スワイプする時、少なくないお金を払って女性と頑張って会話したものの無言でブロックされ、それが嫌で嫌でプロフィールにまで書いて自衛しようとして、そのことでただでさえ少ない男性側のマッチ数が今ひとつ確実に減ったということを思い、すこしくるしくなる。

右にスワイプしてマッチしたところで、その後の会話でほとんどは切ってしまう。戦略なのだろうけど出会ったばかりなのに恋愛モード醸し出していてだるい、育ちが良さそうで違いを感じて苦しい、友達としてはいいけど恋人には絶対したくない致命的な欠点を見つける、など、いろんな理由で、感情労働をしたというのにブロックされる男たち。現実世界ではあり得ないほどのスピードで縁が切れては結ばれる。ストレスすぎる。

人間を人間として意識しすぎるとしんどいと思う、とある人に言われたけれど、それは本当にそうなのだ。人間として意識するのは交際を視野に入れ始めた時でいいのかもしれない。でも、人間じゃない何かと交際したいなんて思わなくないか。そんなこんなで疲れたから今はすこしお休みしてる。


誰かに愛されてみたい。信じられないぐらい愛されてみたい。荷物全部持って欲しいし、財布出す隙ないぐらい奢って欲しいし、プレゼントでデパコスもらいたいし、毎日世界一可愛いよ愛してるよって言って欲しいし、嫌ってぐらいストーリーに私のこと載せて欲しいし、プリクラ一緒に撮って欲しいし、ペアルックしたいって言ったら恥ずかしがりながらもみえちゃんが言うならってやってほしい。本当はそんなことされたいわけじゃないけど。別にその行動自体に重きを置いているわけじゃない。ただ、そのぐらい愛されてみたい。

荷物を持ってもらったことも奢ってもらったことも、その他にも、今思えば愛を感じるような色々なことをしてもらったことがあるのに、結局その時はわからなかったから。いや、いまも愛されてた自信はないな。愛と呼べるほどのものを受けたことがあるのか、恋人に限らず、家族からだって、本当に自信がない。私が信じられるのは(あるいは、信じたいと強く強く思うのは)、天の父からの愛のみ。

それで、満足できたらいいのに。

誰かから愛してもらえるかどうかってほとんど運なのかも、と思う。私が引け目に感じていた全てを持ちながら、私が求めても得られない全てを持っている人はいる。もっと善い人に。もっと可愛らしく。もっと知的に。もっと素直に。もっと元気に。もっと働いて。もっと。もっと。もっと。私がそうやって得たすべてを持たないで、持たなかったあの頃の私のまま愛されている人というのは、いる。ああ、でも、わたしは、有象無象に愛されたいわけではないのだ。だから、上手くいかないのだと思う。

恋人を作るだけなら、異性と仲良くなるだけなら、小難しいことを考えずにアプリをやればいいのだ。誰かを値踏みすることにいちいち疲れたり苦しんだりせずに。そんなことには関心を持たずに。


少し前に、関心領域という映画を観た。関心領域(アウシュビッツ強制収容所とその周辺のこと)で幸せに暮らすヘス一家を描いているのだけれど……鳴り響く銃声。そこに意識を向けるか否か。ユダヤ人の中で働けるものを右へ、働けないものは左……ガス室へ。悲惨さは全く比べ物にならないけれど、私はマッチングアプリで誰かをスワイプする時、人を値踏みするという意味でナチス・ドイツを連想する。

誰にも関心を持たなければ、疲弊することもない。けれど私は、できるかぎり無関心を避けたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?