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私の幸福論。

私は世界的な
自動車メーカーに
勤めていた。
1627名中1名の採用だった。
嬉しかったのは
初日だけだった。
地方の営業所で
女子2名
男子4名
で県下の販売店を
掌握するのだ。

仕事は多忙を極め
残業時間は長くなる
ばかりだった。

夜中に帰宅する
娘を案じて
母が怒るのだ。
「若い娘をこんな
時間迄働かせて
〇〇基準局に訴える。
世間の人が何て云うかね~恥ずかしい」
父が諌める。
「世間が何と云うか関係ない。懸命に仕事している娘を自慢しろ。
いい勉強をしているのだ。必ず今の経験が役に立つ。黙ってみておれや」


しみじみ思う。
責任を持たされ
充実した内容の仕事に
携わった事で
時間をうまく使い
集中して仕事をこなす
訓練が出来た。

結婚を機に辞めた。

当時の大卒
初任給4万円の時代に
私は倍の8万円が
給料だった。

今でも企業年金を
頂いている。
有難いと感謝している。

この当時の経験が
夫の介護をしながら
2教室を運営して
いけた力の根幹に
なっていると思う。

苦しみのない人生に
こした事はないが
あらゆる経験をした
からこその
今の幸せがある。

感謝する気持ちを
育てた経験は 
何物にも
代えがたいと
思える
自分が今あるのだ。

幸せは順境の時も
逆境の時にもある。

自分の中に感謝の
気持ちがあれば
幸福の扉の
鍵は手の中にあるのだ。

そう思って幸せだ。

アランの幸福論では
ないが長くいきて
私なりの幸福論を
今 
手にして幸せだ。




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