地震・雷・火事・親父。
今でも雷がなると
思い出す。
綺麗な模様の
雨傘(和傘)を買って
貰い悦に入っていた
私。
夕立ちが始まって
雷もなり始め
"危ないから家に
入りなさいよ"と
何度も云われていた。
可愛い傘をくるくる
回しながら
庭で
1人夢心地の私。
雷の音が近くなり
大人たちが
盛んに“中に入りなさい”というが
生意気な
私は知らん顔。
綺麗な雨傘に夢中だった。
すると凄い稲光
と共にドッカァンと
雷が家の前の電信柱に
落ちた。
今でも不思議だが
私は瞬間。
雨傘を
さしたまま縁側に
飛びのっていた。
かなりの高さを
ジャンプしていた。
見ていた大人たちが
笑う。
火事場の馬鹿力?
普段の私からは
想像出来ない素早い
動きだった。
思い出す度に苦笑する。
火事は
両親も弟もいない冬のある日に突然起きた。
高台のうちから見ると
凄く近い。
おとこしさん(男性のお手伝いさん)
と呼ばれる人たちが
当時病を得ていた祖父を車に乗せた。
祖母と私を
祖父の姉のうちに
番頭さんが運転して
避難した。
小さな村で住宅が
密集していた場所が
全て焼けた。
うちは幸い何事もなくて
市内から両親も弟も
戻り
おなごしさん(女性のお手伝いさん)やおとこしさんが
火事場の後片付けに
忙しくたち働いていた。
親父。
父親は若い頃は
瞬間湯沸かし器タイプで怒ると本当に怖かった。
いつまでも泣いていると
"シワ泣きするな"と
怒声が飛んでくる。
シワいは土佐弁で
渋といという意味。
父親がいない日が
嬉しかった。
しかし
私も成長するにつれ
父の人としての魅力に
目覚めた。
苦労の多い人生だったが
人としての優しさや
真っ直ぐな気性。
何よりも純粋で
汚れのない心根。
どれだけの人に
持てる物を惜しみなく
分け与えた事か。
生き方下手だったが
人間として尊敬する。
58才であっけなく
天界に旅立った。
父の教えを今
私は反芻しながら
生きているのだ。
まだまだ足元にも
及ばないと思う。
近づきたいな。
と思いながらの日々。
地震
前年に
福岡は後2000年は
地震が発生する事は
ないと〇〇大学の
地質学教授から
聞いたと友だちが
教えてくれた。
何でも直ぐに信じる
私だから
その日ベランダで
洗濯物を干していて
"あらっ?今日の
街宣車はえらい
大きな?"と思った。
近くに〇〇党の本部が
あり当時は
度々街宣車がきて
批判演説をしていた。
下を覗くといない。
間もなくグラグラと
揺れる。
とっさに玄関のドアを
開けた。
テレビをつけると
地震警報が情報を
流し始めた。
後に
福岡西方沖地震と
云われた。
火山列島に住んでいる
私たちだから
いつだって油断大敵だ。
今や
怖くないのは親父だけ?
最近の若いパパは
とても優しい。
もう少し
威厳を持っても
いいんじゃない?
と独り言。