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3月は悲喜こもごも。

私は3月生まれだ。

山奥の田舎で生まれ
私を出産した母は
大量出血で大変だった。
直ぐに止血剤を打たれ
母は一命を取り留めた。
私は
へその緒を巻きつけた
まま暫くほったらかし
にされていたらしい。母の状態が安定すると助産婦さんが
私に様々な処置を
施し始め
やっと産声を上げた
らしい。
生命力のある
私らしい逸話だ。

1人息子の初孫だ。
誕生を祝う お客が
1週間続いたとか。

こういう宴会を
土佐では
おお客という。

酔客の間を
おくるみに包まれた
私が回されていた。

火がついたように
なく私をみた
曾祖母が裸の自分に
抱え込み暖めてくれたとか。冷えきっていた
私に血の気が戻り
皆をホッとさせた。

結婚式も3月。
楽しい事が溢れて
いた3月だったが

私の誕生日に
大切な友をなくした。


当時流行っていた
柏原芳恵さんの
"春なのに
お別れなのねー"

を綺麗な声で
歌ってくれた。

前の週は毎日
互いの自宅に食事を
持ち寄りランチを
した。

お互いの話を沢山した。悩みを打ち明け二人で考えてお互いを
より深く知り一層
親しくなった。
と思っていた。
お互いに出会えて良かったと抱きあって
泣いた。

そんな大好きな友が
3人の子どもを残して
死んだ。
昼に
"〇〇が死んだので
〇〇に食事を作って
下さいませんか?"
と医師である彼女の
夫から電話があった。

次男が風邪気味で
今日は学校は休んで
いると言ってたな。
混乱した頭で考えながら駆けつける。
食事の準備をして
〇〇君に食べさせた。
いつもひょうきんな
子どもだが余りの事に
言葉がない。
刑事から諸事情を
聞かれる。
大事な友は自死したのだ。
人の心の闇は深い。
何故
あの歌を歌った
友の心情を見抜け
なかったのだろう。
誕生日プレゼントにと
渡された手作りの
焼菓子。
ずっと私は後悔して
自分を責め続けた。
心の穴を
埋められなかった。
葬式のあった教会に
毎年 月命日に
ミサ後の集会への
茶菓の差し入れを
続けた。
そんな事しか
出来なかった。
つらく悲しい思い出だ。
その後沢山の本も
読んだ。答えなど
見つからない。
大事な友が死んだ
という事実だけがあった。
憂鬱な誕生日だ。
3月に夫が倒れた。
さらに20〇0年には
誕生日に嫁が
失踪したのだ。
幸い3週間後に
戻ってきてくれた。
理由は聞いてない。

どんな困難も試練も
私は自分で選んだ人生だ。
なるようになると
今考えられる様に
なった。
私は
沢山の人の"愛情"に
よって生かされているのだ。
感謝でいっぱいだ。
今年も3月を私らしく
生きていこう。
大好きな人たちも
いるんだ。
  めげるな私。
春はきた。
「チューリップ
  喜びだけを
   もっている」
  この句が好きだ。


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