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誕生日

今日
一人息子が誕生日を
迎えた。

あっという間に4〇才だ。

当初は
6月19日が予定日だった。

女子校で5年間
教卓の前で共に学んだ
Yと奇しくも
出産予定日が一緒だった。

Yは2人目という事も
あり予定日より早くに
2人目の男児を無事に
授かっていた。

私は、一向に兆しが
ないので
7月1日から入院する事に
なった。

毎日
あらゆる処置がとられて
正直 毎日出産する
痛みがある。しかし
点滴が終わるとピタリと
痛みが遠のく。

病室には
次々に妊婦さんがきて
次々に退院して行く。

段々
私は牢名主的存在って
感じになる。

と愈々心拍が弱くなって
いますので
帝王切開します。

えぇ急な展開に驚く私。

急遽、福岡から夫も 
呼び寄せられる。

そんな時でも
不思議さんの母は
"人はこみしお(満潮)で
生まれますから今日の
こみしおで手術して下さい"

日〇病院の担当医師に
頼んだとか。

この手の話は他にも
あるが本当に恥ずかしい。

そんなこんなで息子は
生まれた。すると
何か母の様子が変だ。


翌日
赤ちゃんのいる部屋に
痛むお腹を押さえて
行くと
我が子は保育器の中で
経管栄養のチューブ姿で
青ちゃんだった。

普通の態度で 
病室にきた夫に訳を
尋ねると  
毎日の
分娩促進剤投与で
子どもも
大変だったようで
心臓が肥大気味になって
いるので大事をとって
いる状態だと云われた。

母の態度の謎が解けた。

元々
生命力の強かった息子は
名前を舅がつけてくれた
事が弾みになったかの
ように保育器からも
間もなく出てきた。

初めて抱いた息子は
世界一可愛いと思えた。

約1ヶ月位の入院生活から
解放されて
無事に福岡に帰宅したのは
秋の始まりになっていた。

まだ
日〇病院に
冷房の無かった時代 
情にあつい父が
私のベッド周りに
毎日
氷柱を立ててくれた。

あの夏の日が明日くる。

よい時代だった。

懐かしい人たちは

天界で息子の成長を
みてくれているだろうか。

素敵な男に
成長しましたよ~~と

ありがとう~~と

叫びたい。

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