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山笠

博多に山笠が戻ってくる。

コロナ禍の影響で
2年の空白があったが
今年は山が動く。
皆が楽しみに待っていた。

1241年から始まった
博多祇園山笠は
博多の総鎮守櫛田神社の
神事として執り行われて
いる。博多の街の大事な
行事の1つだ。
疫病退散を願い始まったと
云われているのだ。

勇壮なかき山を1度
櫛田神社の境内でみる
機会を得た。正に
男の祭だった。

この男たちを影で
支えるのが御寮さんと
呼ばれる女性だ。

舅が満州から愛知県の
実家に戻り 無職の身を
もてあましていた頃に
櫛田神社に近い場所に
ある会社を人に
紹介されて支店長として
赴任したが1年後には
社長が2500万円の負債を
残して行方不明になった。

真面目で実直な舅は
昭和25年に、この負債を
引き受け遂には
自社ビルを持つ迄に
なった人だ。

町内の名士として
山笠の台上がりも体験
している。

会社を軌道に乗せた後
姑の実家(鹿児島市内)で暮らして
いた子どもたちを
博多に呼び寄せたのは
夫が小4の春だったとか。

夫は自分に父親がいると
実感したのは
この時以来だと聞いた。

因みに姑と夫が
本格的な鹿児島弁で
話し始めると通訳が
欲しいと思った。

百田尚樹さんの小説
“海賊と呼ばれた男”を
読んで
あの大出光が昭和28年に
2800万円の資金繰りに
苦闘したと読み
しみじみ舅の人間としての
凄さを思い知った。 

舅は息子がこうありたい
と思う人間の規範として
存在していたようで
息子のHPに
祖父。として文章が
掲載されている。

創業の地
冷泉町から会社は移転
している。
しかし、舅の心の寄り所
として櫛田神社は
大切な場所だった。

寡黙な舅から沢山の話を
息子は聞いていたようで
先達としても
祖父としても尊敬し
愛し又
直系男子として
唯一の孫として遺言を
残してくれていたのは
何より息子の今後の人生の
励みとなった。

さぁ
街の中に長法被の男たちが
溢れる季節が巡ってきた。
博多祇園山笠だ。
「山笠の
  勇み太鼓で
   梅雨があけ」

 本格的な夏がくる。




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