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歌が好き。

私は随分我が儘に
育てられたので
お稽古事も
続かなかった。

ピアノやバレエ
あらゆるものを
差し出して貰った
のに何1つ身に付ける
事が出来なかった。

恩師のお陰様で

勉強は好きだった。

ラジオを聴きながら
勉強するスタイルが
私には合っていたので
洋楽を聴くのが
楽しみだった。

ビートルズの出現は
衝撃だった。たちまち
魅了された。

来日公演の1週間前
から
校内放送で
"当日、上京したら
退学処分になります"

繰り返し注意喚起
された。
今思うとおかしな話だが当時は不良の聴く
音楽扱いだった。

数年後
ビートルズのコピーバンドをしていた夫と
知り合った。
人生の可笑しさだ。

うちの中には
たえず
ビートルズ等の
音楽が流れていた。

一人息子の胎教も
勿論ビートルズ等。

息子は誕生した時から
ビートルズを聴いて
いた。

赤ん坊の息子に
湯冷ましを飲ませて
いると
夫が
"あっ!見てんやい
こいつリズムとっとう
ぜ"
哺乳瓶に添えられた
息子の手が
それらしく動いて
いた。

2人で親バカだった。
男子校に入り
息子は何故か
クラシックが
好きになった。
のちに
〇都大学のサークルで
能を舞-笛を吹き-小鼓を
打つ
という子どもになった。

唖然とした。

全く
息子の行動は遥かに 
想像を超えてくる。

和楽か。

帰省すると
よ~ポン!よ~ポンが
始まる。

帰省する度に
お謡いや小鼓に笛が
それらしくなる。

病を得た夫だが
成長する息子を 
嬉しそうにみていた。

音楽が家族の中に
暖かなハーモニーを
つくってくれていた。

危篤状態になった夫が
文字通り息を吹き返した日。

社会人になった息子と
3人でゆっくり話を
していた夫に
"あなたの人生で1番
嬉しかった日はいつだった?"

"〇〇が生まれた日が
1番嬉しかった"

と息子に向かって
微笑みながらいった。

17才から父親を
失ったも同然の
息子だったが

あぁ
これで魂が救われたな
と感じた。

痴呆の症状が
後遺症として残った
夫だが父親としての
役割を果たして
この16日後には
天界に旅立った。

斎場では
バンド仲間が
ビートルズを流して
くれた。

大泣きする息子が

愛おしい日だった。
今や
息子も
幸せな家庭をもち
後数年後には
父親の歳をこえる。

楽しみはいつだって
ある。今私はアイドルの歌が好きだ。
SMAP復活コンサートを楽しみに日々を
生きているのだ。
     ファイト。

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