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地図をみる。

私は山奥の小さな村で
育った。
田舎の道は単純で
分かり易かった。
ずっと続く1本道を
歩けば大概の用事は
済むのだ。

そんな私が

中学から汽車通学を
する事になった。
進学する為に父が
建てた家からだった。

最初の2週間は
近所の先輩の
お姉さん2名
近所に住むKちゃんと
4名で登下校した。
暫くすると
Kちゃんは
部活に入ったのだ。

以来1人で
通学する事になった。

方向音痴の私は
書いて貰った地図を
見ながら毎日
ドキドキしながら
汽車に乗る。

駅に着くと
重いカバンを持って
学校迄必死に歩く。
そんな私でも
半年も通えば
近道も覚えて
毎日が楽しくなった。
女子ばかり65名
友だちも出来て
嬉しい事が増えた。
休み時間は嬌声が
あちこちで上がり 
賑やかこの上ない。
色気より
食い気が勝っていた
私は昼休みが2回
あるのが何よりも
嬉しく楽しかった。 
お手伝いのHちゃんが 
作ってくれる
お弁当が美味しい。
短い2回目の昼休み
にはダッシュして
うどんを食べる。
食券を中休みに先ず 
買っておくという
知恵もついた。
売り切れの悲哀を
味合わない為の
可愛い知恵だった。

女子の意地悪にも
耐性がつき
私はマイペースに
過ごした。
単純明快な私は
駆け引き等無縁だ。
信頼する友を
得て日々を有意義に
過ごした。
映画を観たり
ハリウッドスターに
憧れてみたり
洋楽をラジオで
聴きながら勉強したり
うちの中に吹き出した
問題に翻弄されながら
高校生になった。
勉強を本格的にして
兎に角
県外に脱出すると
決めた。

2年生の秋
中間テストの勉強を
学校の図書館でした。
8時過ぎの汽車に
乗った私はうっかり
寝過ごした。
隣の駅で飛び降りた。
直ぐに
駅舎に駆け込む。
次の汽車は11時過ぎと
聞いた。私の最寄り駅で香長平野は終わり。隣駅は四国山脈に入っていく場所にあり山の上にあったのだ。

電話をうちに掛けたが
父は仕事で留守だった。
明日はテストが
ある一刻も早く帰宅したいのだ。
母がタクシーを呼ぶので国道に出るように
駅長さんに頼んだというが国道に出るのには
山道を下に20分近く
降りないといけないらしい。暗い夜道を
重いカバンを持って
歩く?泣きそうだった。
ふと駅舎を見ると
若いお兄さんが
駅長さんと話している。
どうやら同じ事情らしい人だ。
"僕は県警に勤めている
何某です。責任を持って
あの子をうちに届けます。僕は隣町に住んでいます。" と身分証を
見せていた。
親切なお兄さんが
カバンを持ってくれて
駅長さんに借りた
懐中電灯を頼りに
下の道へ降りた
母の呼んだタクシーが
間もなくきた。

無事に帰宅すると
緊張がほどけて
涙が溢れた。
週末には両親と
お兄さんのうちや
駅長さんに
お礼の挨拶に行った。
まだ
人の中に情やゆとりがあった
のどかな時代の話だ。

以来
帰りは1つ前の駅から
立つようになった。
骨身に染みる
いたい体験だが
今も元気でいる事に
感謝している。


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