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【MBTI】論理的にINFPの思考を解き明かす

INFPの書く文章を要約すると、
「毎日すごく辛いんです。共感してください」
になることが多い。
可哀想だと思うが、それでは他のタイプとの相互理解には繋がらない。MBTIは己の弱さを肯定する免罪符ではないし、新しい血液型占いでもない。
(そういう使い方をしたくなる気持ちは凄くわかるのだが)
自分や他人の心の癖を学び、互いを理解するための翻訳ツールとして使うべきなのだ。
よって私は今回、論理的にINFPの心の動きを説明していきたいと思う。私達とは異なるタイプの人々が、「そうだったのか」と納得できる読み物になっていれば幸いである。

FiとNeが生み出す終わらない夢想

INFPの脳内では常に様々な空想が展開されている。
Fi(内向感情。要は自分のお気持ち)をNe(外向直観。閃きで次々に思考を広げる)でひたすら膨らませ、加速させ続けているからだ。
「自分が今こんな気分なのはきっとこのせいだろう~」「こんなことが起きたらあんな気分になるだろう~」と頭の中は「もしもの世界」でいっぱいだ。

それだけなら妄想の世界に浸っていて楽しそうに感じるかもしれないが、Te(外向思考)が抑圧されているのが曲者である。
Teの性質は「リーダーシップ、効率主義、成果主義、権威主義、批判的ロジカル思考」といったところ。
それらが欠如した妄想とはどんなものか?
要するに無力感に苛まれた悲観的で現実的ではない空想に浸りがちなのだ。
INFPにしてみれば決して良い気分ではない妄想に常時放り込まれているわけである。

過去の失敗、過去に受けた屈辱、小学生の頃に虐めを黙認した罪悪感、明日職場で失敗することへの不安、恋人に見捨てられる不安、いつか訪れる両親の死、中世ヨーロッパのペスト、絶滅したネアンデルタール人の悲哀、終わらない人種差別、人類が滅びの未来へ向かう戦争……といった調子で、どこか影を帯びたイメージが無尽蔵に広がっていく。

中には「なぜ貴方がそれを悩む必要があるのか?」という荒唐無稽な内容も混じっていて、しかも本気で胸を痛めている。実利を重視するタイプからすれば理解不能の思考回路だろう。

INFPの空想は時空を飛び越え、ありとあらゆる世界で悲しみを味わっている。ネガティブな感情の大半は既に脳内でシミュレート済みなのだ。
ゆえに誰かが落ち込んでいる時、INFPは敏感に察する。

「私が脳内で何度も味わった苦しみを、あの人は今経験しているんだ。きっと大変に違いない」

と瞬時に同情し手を差し伸べたくなる。Feの「他人に優しくしてあげたい」という利他感情よりも、自分と同じだから放っておけないという感覚が強い。
一度でも骨折したことがある人は、同じ怪我をした人を見ると思わず顔をしかめるし、同情的になるはずだ。INFPが見せる共感はまさにこれである。毎晩頭の中で己の心を複雑骨折させているため、他人の心が折れる音に敏感なのだ。

もちろんここまで発達したFiにはデメリットもある。
INFPはストレスに弱いとされているが、私達が感じているストレスの何割かは確実に己の想像力に由来する。
Si(内向感覚。過去の経験や具体的な情報を重視する力)が少しだけ使えるのもあってか、どちらかと言えば未来よりも過去に関心が向かいやすいのも災いするのだろう。

たとえば職場で上司に叱られた後、INFPは何度もその時の場面が脳内で再現され、繰り返しダメージを受け続けることになる。
人によっては得意の想像力で加工して、実際に経験した時よりも内容が悪化した回想でストレスを味わい続けているかもしれない。ここまで来るともはや加害者は上司ではなく己の回想である。

Teの代わりにNeを用いる結果――感情的すぎて話が通じない

Teが劣勢機能なことで起きる問題は他にもある。本来であればロジカルな思考で処理しなければいけない出来事を、主機能のFiで処理しているのだ。
具体的にそれで何が起きるかといえば、議論になるとすぐに人格批判されていると思い込んでしまう。
故に「私の意見が間違っているから訂正しようとしてるんだ」とは考えられず、「私が嫌いだから反対意見をぶつけてくるんだ」と考えがちだ。
物事を客観的に見る能力が抑圧されており、代わりに感情を使って処理しているせいで何でもかんでも好き嫌いで捉えようとする。
よって人間的に未熟なINFPは建設的な話し合いがほとんどできないことが多い。一々「貴方を嫌っているわけではない」と前置きを入れなければ話が先に進まないのである。

INFPは自己評価が低そうなのにプライドが高いと言われることがあるが、上記の理由で自分に対する合理的な指摘にすらヒステリックに反論することがあるせいだろう。
他のタイプからすれば「まさか自分に非がないと思ってるのか? 傲慢だな」と感じるかもしれないが、INFPからすれば「指摘の内容ではなく私の気持ちに配慮してくれない冷たい言い方が気に食わない」と言いたいだけなことも多い。

私は以前、INFP同士の議論を見たことがあるが、
「僕の事を嫌いだからそんなことを言うんだね?」
「いや好きだよ。そうじゃないんだよ」
と言い合っている様は異様であった。なんと成人男性同士でこれなのだ。討論相手の気持ちなどどうでもいいタイプからすれば聴いているだけでイライラするやり取りかもしれない。

集団内の序列を感じ取る能力が鈍い

他にもTeが未発達なことで起きる現象がある。INFPの対人姿勢は誰にでも分け隔てなく優しいと好意的に解釈されることもあるが、どちらかというと動物的なマウンティング能力が機能不全に陥っていると言った方が正しいかもしれない。
群れを作る動物は集団内の序列に敏感でなければならないが、INFPは本来それを行ってくれるはずのTeが抑えつけられ、Fiに全てを委ねている。
つまり自分以外の個体を容姿や能力や社会的地位や実績といった客観的な優劣で評価するのではなく、「感情的に好意を持てるかどうか」で評価している。
小学生くらいの年齢だと、いじめられっ子がなぜ目を付けられているのか理解できないINFPは多いかもしれない。見た目が悪い、勉強ができない、家が貧しい、ドッジボールで足手まといになった……そのような理由でクラスメイトから疎まれている生徒に、平然と話しかけていることが多々見られる。
INFPからすればどんなに落ちこぼれだろうと「性格が嫌いじゃないなら疎む理由がない」のだ。能力の優劣ではなく人柄の良し悪しでしか判断できないのである。
とはいえ他人の感情を読み取る能力はあるので、「どうやらこの子は他の皆から嫌われてるらしい」と感じ取ると、後でそそくさと距離を置くことはありえる。

なぜ能力が低いという理由で他人を嫌うのかは理解できないが、誰が嫌われているのかは皆の顔色を窺って察することができる。
Teがやるべき仕事をFiにやらせている結果このような挙動となるのだ。

もちろんINFPも加齢に伴って人間社会の仕組みを学習していくので、
「能力や権威は重要な指標らしい」
と頭では理解していくのだが、心の底からその価値観に納得しているわけではないのでどうも反応が鈍い。

たとえば私の知人に高学歴でありながら心の病を抱えているINFPがいる。彼女はSNSのプロフィールに学歴ではなく病名の方を書いており、いかに自分が苦しんでいるか、という話ばかり繰り返している。
彼女の学歴を知らない人からは無能な病人だと思われているが、まったく気にしていないようだ。学歴による権威で尊敬を得ることよりも、病気の苦しさに共感してもらうことで頭がいっぱいで、そのせいで侮られていることに気付いていない。
おかげでネット上で高圧的に議論を挑まれることもしょっちゅうで、そこまできてようやく「実は〇〇大学卒です」と打ち明けて露払いをすることとなる。
実にINFPらしい振る舞いだと言える。

よくMBTI界隈で見かけるのは、ENTPは口が達者なのに共感能力が低いため、無自覚に他人の気分を害していることが多いというものだ。彼らは人間的に成長することで「他人の感情に配慮するようになったら意見が通りやすくなった」と学んでいくことが多い。
だが本音では「なんでまだるっこしいお気持ちなんかに配慮しなきゃいけないんだ。非効率だ」と思っていることだろう。

これのINFPバージョンが「権威を利用するようになったら意見が通りやすくなった」なのだ。
そして本音では「なんでまだるっこしい肩書きなんかに配慮しなきゃいけないんだ。無価値なのに」と思っている。

INFPにとって社会的に通りのいい肩書きや資格は、理不尽な攻撃を避けるためのお守り以上の意味合いを持たないだろう。

自己評価にはマイナス補正、他者評価にはプラス補正

次はTeが使えないことによって起こる、自分や他者のイメージに関する話をしたいと思う。実はこれがINFPの対人関係に一番大きな影響を与えている気がしてならないからだ。
Teは自信やリーダーシップ、他者への批判的な思考なども司っている。これが抑圧されているということは常に自分を本来の能力より弱めに認識しているし、逆に他人は本来の能力より強く見えているということである。良い言い方をすれば謙虚だが、悪い言い方をすれば卑屈だ。能ある鷹は爪を隠すという諺があるが、INFPの場合はもはや爪があることを失念して狩に失敗するレベルに達している。

幼い頃のINFPは、自分より運動も勉強もできなかったクラスメイトに主導権を握られていた経験があるのではないだろうか? 年下の子に仕切られていたことも珍しくなかったのではないだろうか?
なにせTeが抑圧されているため、なんとなく自分は大したことがない人間のように感じるし、何かを間違っているような気がしているのである。
逆に周囲の人間は実際の能力よりも「大きく、強く、賢そう」に見えている。他人は根拠のない自信に満ちており、何か正しい答えを知っているかのように感じる。
INFPがどこかオドオドしているように見えるのはきっとそのせいであろう。そして空想が好きなのもあって、社交の場では「自分の意見が正しいとは確信できないし思索に専念して黙っておこう」という選択肢を取りがちだ。
おかげでINFPは大人しい、ぼーっとしているといった印象を周囲に与えやすい。

INFPにHSPの割合が多いのも、この脆弱な自己評価に起因しているように思えてならない。自己イメージが弱々しい存在なため、INFPにとって人混みは猛獣の群れのようなものなのだ。これで周囲が大声で騒いだりした日には、かなりの威圧感を感じてしまう。
INFPであっても男性であれば肉体的には弱々しい存在ではないため、いくらか強そうな自己イメージを持っているかもしれない。あるいは既存のジェンダーロールに影響されて強くあろうとしているのかもしれない。
だが女性のINFPはそういった物理歴な強みもジェンダー面のプレッシャーもないため、HSPを名乗る人が多いのではないだろうか。

なぜ理想主義なのか

ここまで挙げたINFPの特徴を要約すると、

  • 悲観的な想像に陥りがちで、常に思い悩んでいる

  • 自分がよく苦悩しているので他人に同情的

  • 理屈でものを考えるのが苦手で、好き嫌いで物事を判断する

  • 客観的な能力の優劣に本質的には無関心

  • 自己評価が低く、他者評価が高い

となる。これらが全て合わさると、INFPの目には世界がこう見えている。

「大半の人間は私よりも価値がありそうなのに、あまり意味があるとは思えない社会的地位や能力の差によって理解不能の差別が生じている。そんなものより内面の方が遥かに重要な指標なのに、なぜ人々はそこを見ようとしないのだろう。間違った価値観で切り捨てられている人々が可哀想だ」

これだけ読むとINFPは心の綺麗な理想主義者のように感じるかもしれないが、白状すれば私達が夢見がちなのはもう一つ理由がある。
それはある種の反抗心である。

P型なので根っこの部分ではそれほど社会規範を重要視していないのもあり、
「どうにかして既存の体制や価値観に歯向かう形で意表を突き、より道徳的な道を選びたい」
という方向に向かいがちだ。
言ってしまえば逆張りが大好きなヒューマニストなのである。

INFPが訴える生き辛さの正体とは主にこれなのだ。ひたすら利益を追求する現代企業の理念に全く共感できない上に、共感できない自分を心のどこかで誇らしく思っている節がある。
表面上は皆と同じようにやっていけないと嘆きながら、内心では「あんな汚らしいお金儲け集団なんかに馴染めない私の方が正しい」「他人の痛みに寄り添えない人々とは関わる必要がない」と感じているのではないだろうか。

恋愛面においてもかなりのロマンチストで、収入で判断しないでほしい、容姿で判断しないでほしいといったことを訴える人が多いように思う。
おかげで身分や財産を投げ打ってでも愛し合う二人だとか、美女と野獣といったテーマにも弱そうだ。駆け落ち、心中、といった題材にも心惹かれるものがあるかもしれない。

余談だが私は学生時代、「もしも恋人が全身大やけどを負って、二目と見られない姿になったらどうするか?」というテーマで友人と話し合ったことがある。
友人達はさすがにそうなったら別れると主張していたが、私はただ一人、
「魂に誓ってでも別れない」
と力説して驚かれた覚えがある。人格が同じなら何の問題もなく愛せるし、容姿が悪くなっても寄り添い続ければ自分の愛情を証明できてちょうどいいではないか、と思ったのだ。

もちろんここまで理想主義者であればとても社会生活は送れそうにないので、どこかで現実と折り合いをつける必要がある。
なんたってINFPがネットで愚痴や理想論を垂れ流せるのも、現実を見据えて競争を続けている人達が、豊かで安全な社会を維持してくれているおかげなのだから。
もしも世界中がINFPになったら、戦争も差別も激減しそうだが経済成長は恐ろしく鈍化するだろう。

終わりに

私が本記事の執筆に至った理由は、INFPが発信する文章があまりにも「主観的に生き辛さを訴えて共感してもらう」ことに偏っていると感じたからだ。
私もまったく同じ感性を持っているので、それがとても心地よいことなのはわかる。本当はいつだって泣きたいし優しく慰めてもらいたいが、それでは自分達とは違うタイプの人々にわかってもらえないのだ。
今回は論理的に物事を考える人々にもINFPの内面が伝わるように心がけたつもりである。
本記事がINFPとそれ以外との通訳になることを願いたい。






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