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YOKO SUZUKI QUINTET2024.06.16(Sun)

2024.06.16(Sun)

YOKO SUZUKI QUINTET

@渋谷BODY&SOUL

鈴木瑶子のコンポーザーとしての豊かな才能と、オリジナル楽曲で自らの音楽を世に問うジャズクインテットのリーダーピアニストとしての資質を堪能できるライブだった。
終演後、エントランスに立ち、客のひとりひとりに声をかけ挨拶する鈴木に話しかけてみた。「天から降るようにおりてくる音を譜面にみごとに書き起こし、またそれを思いのままに演奏できる・・・そういう人の特別な音楽ですね」と。そもそも優れたコンポーザーは、人の演奏できない曲が頭に浮かぶのではないかと思う。たとえその楽曲が自分で演奏できないほど高度であっても、音が天上から降ってきて譜面に書くように促す。音楽の神に選ばれたアーティストは、そのように与えられたイメージを遮断することができない。もはや書き上げるしかない。しかし、ひとりの演奏家として出来上がったその譜面を見渡して、もしそれが演奏できないのであればそれは悲劇ではないか。
鈴木は、数ヶ月に一度、集中して作曲する時が与えられるという。彼女の持つ音楽の引き出しは多く、強烈に疾走するグルーヴがあり、複雑に再構成されたブルースもある。そしてとりわけうつくしいバラードもある。小柄な肉体をバネのようにしてピアノを弾く姿は常に笑顔で、演奏のよろこびに溢れているが、その実とても難しい音楽的挑戦をしているように見えた。クインテットのメンバー(中林俊也・芹澤朋・北澤大樹・小美濃悠太)は名手揃いだが、全員の全力疾走の中で作り上げられるグルーヴは、コンポーザーの予想を超えて、すばらしい演奏として結実してゆく。
弾ける曲を書くのではない。弾きたい曲を書く。その意思が透徹したときに、音楽の神が垣間見せてくれる奇跡の演奏を、鈴木率いるクインテットは実現していたように思う。鈴木の書く譜面は精緻で、今回はじめてクインテットに参加したベースの小美濃悠太は大量の譜読みに苦労したはずだと鈴木はいう。しかし、そのような労苦の果てにこのグルーヴがあるなら、至高のバラードがあるなら、そしてこのメンバーを信じているから、彼らは心からセッションを楽しんでいるのだろう。アーティストならぬ私は、鈴木の音楽的挑戦の仔細についてはなにも知り得ないが、目の前で起きている音楽的事件の重大さは理解できた。そして私は、音楽的joy を彼らと共有できた。満員のオーディエンスの全てがそう感じていたはずだ。
鈴木はクインテットのリーダーだが、自身のピアノで圧倒するタイプではない。小美濃や芹澤の楽曲では、アレンジャーとしての俯瞰的な立場にもたって演奏する。トリオの演奏では弾ける。その自由な音楽的キャラクターが、クインテットの結束をタイトにしている。
このところ毎回満員のオーディエンスを集めていると聞く。鈴木の背負うプレッシャーも半端ではないだろう。しかし、音楽の神に選ばれた彼女は、joyを振りかざして前に進む。
これからも鈴木瑶子から目を離せない。


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