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【小曽根真&塩谷哲】スペシャルデュオコンサート 2003/03/20 18:30-21:15 札幌コンサートホールKitara その3

アンコール

割れるような拍手の中、小曽根さんと塩谷さんが、しっかりと抱き合う。すばらしい笑顔である。拍手がさらに大きくなり、波がうねる。その時、アーティストもオーディエンスも、とてつもない高揚感と一体感の中にあった。一旦袖にさがったふたりがステージに戻ってきて、肩を組んでオーディエンスの拍手を受けた後、再びそれぞれのピアノの前に立った。

Mambo Inn (by Mario Beuze)
小曽根さんも塩谷さんも立ったままピアノを弾き始める。底抜けに明るい曲である。足を踏みならしてラテンのリズムが刻まれる。オーディエンスはクラッピングで応える。アンコールは、塩谷さんが参加する「熱帯JAZZ 楽団」のデビューアルバム『LIVE IN YOKOHAMA』から「Mambo Inn」。訳してみると、なんと「マンボのお宿」。楽しくないわけがないじゃないか!ふたりはいかにも楽しそうに弾いている。自分たちが心から楽しんでいる。小曽根さんから塩谷さんへ、塩谷さんから小曽根さんへ、その掛け合いが三回。興に乗った小曽根さんが、自分のピアノのボディを叩き始める。はじめは鍵盤の上、そして右サイドをズーッと叩きながら移動。ついには、塩谷さんのスタインウェイの左サイドを回り込んで、鍵盤の前に立った。本当にハプニングなのだろう、塩谷さんはうれしい困惑の表情を見せる。おっ、連弾があるかな?と思って見ていたら、塩谷さんは押し出されるように小曽根さんのピアノの前に移動して、ヤマハを弾き始めた。小曽根さんは最後にロマンチックな味付けをして、そのまま軽やかに踊るようなフィニッシュ。いまさら言うことではないが、やはり、ふたりのラテン音楽のセンスは最高だ。

塩谷さんがマイクを持つ。「音楽っていいですね」(拍手)
「最後の最後に、オスカー・ピーターソンを…。小曽根さんもそうですけれど、僕も、この人がいなかったらピアニストになっていなかったという偉大な人です。そのオスカー・ピーターソンの曲で『Hymn To Freedom・自由への讃歌』という曲をおおくりします。今日は、僕たちの最初のコンサートでもありますし、いろいろな意味で特別な日になってしまったわけですけれども、これからも僕たちは音楽を通じていろいろなことを考えて行きたいと思っています。」

02 自由への讃歌 Hymn To Freedom (by Oscar Peterson)
 小曽根さんが生まれた翌々年、1963年にザ・オスカー・ピーターソン・トリオとしてリリースされたアルバム『Night Train』から、オスカーのオリジナル楽曲が演奏される。日本語では「讃歌」と訳されているが、「Hymn」というのは讃美歌のこと。第一部で演奏された塩谷さんの「Pray」と通底しながら、「祈り」という今夜のもう一つの主題が強調され変奏されるのである。この曲にはイントロダクションがない。ファーストノートからはじまる美しい主旋律を、小曽根さんが万感の思いをこめて、非常にゆったりとしたペースで弾いてゆく。自らが空間に放った音を降り注ぐ啓示として全身に受け止めて、それでもまだ何かを希求するかのように天をふりあおぎ、頭部を小刻みに揺らしながら魂で歌い上げる讃歌。どんな状況に置かれても、常に希望に顔を向け前向きに生きる人間の姿が浮かび上がってくる。やがて、小曽根さんの情念が塩谷さんに手渡される。今夜身体の深部で起きたドラマを集大成するかのように、リリカルに歌う上げる塩谷さんである。この傑出したふたりのピアニストは、このkitaraホール集まった千数百人の前で、音を紡ぎ出せることに心から幸福を感じているように見えた。アーティストとオーディエンスの心がひとつになっていることを確信したとき、僕は体中が総毛立つほど感動していた。この曲は「Hymn」というタイトルにふさわしく、アーメンの旋律によるエンディングである。

ピアニストたちが鍵盤から指を離し、静かだが力強いラストノートがワインヤードに吸い込まれてゆく。その音を、愛惜を持って見送るために設けられた一瞬の間を置いて、オーディエンスから凄まじい拍手が湧き上がった。僕はフロアを両足で蹴っていた。立ち上がってステージ上のピアニストたちに、感謝と賞賛の拍手を捧げていた。嘘ではない。僕は四十三年の人生の中で、はじめてスタンディング・オベーションに加わったのである。若い頃、ポップスシンガーのライブで、オーディエンス全員がスタンディングのまま熱狂のオベーションに加わったという記憶はある。しかし、今夜は、静寂の中で語られる平和と自由を希求する讃歌を聴いて、思わず席を立ったのだった。立ち上がるその瞬間まで、スタンディング・オベーションなどは感情の表出に長けた欧米人のすることで、プロトコルの異なるシャイな日本人が、そしてその典型である自分自身が、まさかそんな振る舞いするなどとは想像していなかったのである。立ち上がってみてはじめてわかったことがある。スタンディング・オベーションは、あたりを見回し付和雷同して加わるものではない。もし、そうなら恥ずかしくてしかたがないはずだ。ステージの上のアーティストと、オーディエンスである自分自身とが一直線に向き合い、純粋に感動を共有したと確信したとき、大きな力に頭頂をひっぱられるようにして、腰を押し上げられるようにして、スッと立ち上がってしまう。実はとても孤独な振る舞いであったのだ。僕は右隣に座るmomosasakiさんの方を全く見ずに席を立った。しかし、気づいたら彼女も同じように立ち上がって、一心に拍手をしていたのである。左隣の女性も、前列の二人組も、ステージ右袖で金さんも、三階でCherryさんも、みんなスタンディング・オベーションに加わっていた。おそらく、半分以上のオーディエンスが立ち上がっていただろう。しかし、終演後Cherryさんが語ったように、座っていた人々のほとんども心の中で立ち上がっていたに違いなかったのである。感情は育ててゆくものだ。すばらしいアーティストによって育てられてゆくものだ。自分の中の感動のポテンシャルがある限界を超えたときにはじめて、僕たちは自由に感動を表現できるようになるのである。小曽根さんによって長い間感情のレッスンを受けてきた僕たちは、その夜たまたま、感動のポテンシャルが限界値を超えたに過ぎなかった。しかし、それは神の呼ぶ声、callingのように甘美で確かなものであった。僕のなかに新たな感情が生まれたことに、僕自身が一番驚いていた。

それにしても、美しい光景だった。ステージの上で肩を組み、スタンディング・オベーションを受ける小曽根さんと塩谷さんも、感動の表情を隠さなかったし、塩谷さんの眼にはうっすらと光るものさえあったのである。後で聞いた話だが、塩谷さんにとっても、生涯はじめてのスタンディング・オベーションだったのだそうだ。アーディストとオーディエンスという境界はもう存在しなかった。誰もが溢れ出る感動に身を委ねていたのである。

小曽根さんは終演後、「Hymn To Freedom」についてこう語った。「ふだんはどんなにセンチメンタルな曲を弾いても、自分自身は冷静なのだけれども、今夜の『自由への讃歌』だけは違った。弾いているうちにどうしようもなく自分が感動してきて、何度も涙がこぼれそうになって困った」と。魂と魂が真正面からぶつかり合うときとんでもない奇跡が起きる。たとえ一対一でも、二対千数百であっても、魂のシンクロナイゼーションは確かに起こりうるのだと、僕は確信したのである。

コンサート冒頭のメッセージで小曽根さんはこう語っている。「人間にとって何が幸せか、一番大事なことは何かと考えると、本当の意味で気持ちの通じ合えるコミュニケーションだと思うんです。小曽根真という魂と、塩谷哲という魂が、今日ここで本気で二人で向かい合って、どれだけお互いを認め合って、どれだけお互いを愛し合えるかという、それを皆さんに見て頂いて、そのエネルギーを少しでも傷ついた心を癒すために使っていただいたらうれしいです。」結論から言えば、この端的で率直な言葉が、このコンサートのAでありZでもある。小曽根さんは、お互いを深く認め合い愛し合うふたりのピアニストのドラマを見てほしいと、オーディエンスに依頼した。心が大きく偏見なく開かれ、集まったオーディエンスを心から信頼していなければ、この言葉はとうてい発することができない。内実がなければ、「愛」というほどむなしい言葉はないからだ。その小曽根さんの言葉によって、僕たちははじめから傍観者ではなかったのである。もちろん、小曽根さんも塩谷さんもプロフェッショナル同士だから成功する予感はあったとは思う。数度のリハーサルを経て確信に近いものもあったに違いない。だが、このkitaraホールでのコラボレーションは、ふたりの予想を大きく超えて、とてつもない化学変化を起こしていた。

僕は今まで、塩谷哲というピアニストの存在を知らなかったことを心から恥じる。この卓抜な才能とテクニックを持つピアニスト&コンポーザーは、正真正銘open-mindedな人なのである。輝かしい経歴と豊かな実績を持つ塩谷さんであるが、このコンサートでは自尊心の鎧を完璧に消して、小曽根さんとその音楽に向き合っていた。考えてみれば、無心の構えができるということ自体が既に達人の証拠だが、あの独特のニュートラルさは意識して作れるものではないと思う。おそらくは、塩谷さんも小曽根さん同様、夾雑物を捨てて音楽だけを純粋に見ることができる特別な人なのだ。音楽を心から愛し、生活と音楽とをアイデンティファイすることのできる、そんな神に選ばれた人間のにおいがする。

その塩谷さんが、小曽根さんの懐に身を投げ出すように全速力で飛び込んでゆくことから、このコンサートは始まった。小曽根さんは、その懐深いところで塩谷さんの音を受け止め、」励まし挑発して、塩谷さんに音を打ち返してゆく。こうしたとても高いレベルの対話に、まず塩谷さんが心から感動し、その結果リアルタイムで塩谷さんが変わっていった。そして、そのことを、実にたくみにオーディエンスに伝えてくるのである。事実、塩谷さんはこう振り返る。「客席でお客さんが感じているその同じことを、ステージで僕自身が感じ感動していたんです」。コミュニケーションから生み出されるエネルギーが、今度は小曽根さんを変えはじめる。小曽根さんもそのことをダイレクトにオーディエンスに伝えてくる。この驚くべきダイナミズム無限に繰り返され、ホール全体がえもいわれぬ高みにまで突き進んだのだろう。小曽根さんは、ただ一緒に小器用なプレイするだけで相手を認めるようなミュージシャンではない。小曽根さんとやることで、まず自分が輝きだし、その輝きによって小曽根さんをも変えるようなミュージシャンをパートナーとして求めている。音楽に対する要求はどん欲とで、だから評価はとても厳しいはずだ。その小曽根さんが、塩谷さんとのコラボレーションに震えるほど感動しているのである。嘘はない。愛は率直な感情である。こうして、この夜塩谷哲は、小曽根真の大切なパートナーとなった。僕たちも、二度とあじわえないすばらしいドラマに参加させてもらった。そしてそれは、一生忘れることのできぬかけがえのない経験だとなったのだった。

僕には忘れられないCherryさんの言葉がある。それは「小曽根さんの音楽に出会う前は、自分自身がコンサート会場でブラボーを叫び、スタンディング・オベーションに加わるなど想像したことすらなかった」というものだ。Cherryさんは感動を素直に表現できる自分自身の変化に心から驚いているである。前にも書いたが、僕自身も拍手をしながらCherryさん同じことを考えていた。そして、おそらく、あの場にいたおおくの仲間たちが共感する言葉だと思う。僕は、いままでのライブレポートの中で、小曽根真のレッスンという表現を好んで使ってきたが、それは音楽による深い感動が、魂の奥底にしまっていた感情を呼び起こし、人に新たな生命力に吹き込む小曽根さんの魔法のレッスンなのである。今夜は、塩谷さんという最高の媒介者を得て、愛することのレッスンを受けたのである。ホールから笑顔で出てくる人々は、知らず知らずのうちに新しい人生を生き始めている。僕自身も、そのひとりだった。

キタラライブレポート2003b

終演後、サインを求める長い列がロビーに出来た。小曽根さんも塩谷さんも、ひとりひとりと丁寧に言葉を交わし、サインをしてゆく。今回は、小曽根さんの列と塩谷さんの列は別々だったが、わがフォーラムの女性陣はなぜか塩谷さんの列に殺到し、僕たちから「裏切り者!」とからかわれた。会場のクローズの時間をすぎても、サインの列はやまず、おふたりは楽屋口でサインを続けたという。外に出てみると、札幌の夜は白く凍り付いていた。

終演後、すすきのジャズクラブで、小曽根フォーラムのオフ会が開かれた。なぜかこのオフ会は、僕たち遠征組ファンの動きを察知した小曽根さん・三鈴さんご夫妻がセッティングし予約を入れてくれたものだが、そうまでして感動をファンとともにシェアしてくれる小曽根さんが心から愛おしくうれしかった。そしてそこに、塩谷さんご夫妻も来てくださったのである。このオフ会は、結局朝五時まで続き、ふたりの天才的なピアニストの魂に触れる感動的でインティメイトな会となったが、なにしろ酒席のことでもあり、その概要はまた稿と文体とを変えて、あらためてご紹介したいと思う。このライブレポートでは、小曽根さんと塩谷さんの乾杯前のスピーチの一端をご紹介したい。

まず、小曽根さん。「僕が今日本の中で、心から一緒にプレイしたいと願うミュージシャンはそう多くはない。まして、同じピアノということとなると、共演する機会自体がほとんどないから、あの人と一緒にやりたいと真剣に考えたことすらなかった。しかし、SALTは違う。宮崎ではじめて演奏を聴いてから、僕はみすずにSALTと本気でやったらすごいことになると言ってきた。それから数年。ずっとラブコールをしてきたけれど、今夜やっとそれが実現して、こんなにうれしいことはない。ピアニストで演奏がうまい人はNYにも日本にもかなりいる。しかし、コンポーザーでピアニストというと僕を含め多くはいない。その意味でSALTは僕とよく似ている。もうひとつ似ているところがある。SALTも、ピアノでオーケストラの音が出せる数少ないピアニストだ。このふたりがやったら絶対すごいことになると思っていたが、予想以上のすばらしいものになった。あのスタンディング・オベーションには僕も心から感動したし、あのお客さんたちに対してアーディストとして責任も感じる。だから、今日をふたりのコラボレーションの第一歩としたい。また必ず一緒にやろう」。

次に塩谷さん。「僕は同じピアニストとして、小曽根さんのすごさがほかの人より少し具体的にわかるかもしれない。小曽根さんのピアノは、世界のトップ数人のそれで、僕はそれにとうてい届かないことを知っているから、共演することが怖くずっと緊張していた。でもコンサートに入ると、小曽根さんが僕の音を深いところで受け止めてくれて、まずそのことに感動したし、僕自身心から演奏を楽しむことができた。楽しむことで自信がついた。本当にありがとうございました」。(文責 mid-west)僕たちは、このふたりの天才の出会いに、心からの祝杯をあげたのである。

最後に後日談を少し…。Kitaraでのコンサートから約二週間後、僕たちは塩谷さんと再会することになった。Motion Blue Yokohamaで行われていたTRAVELLERSのライブに、小曽根さんはハモンドオルガンでゲスト出演していたのだが、そのラストステージを聴きに塩谷さん夫妻が現れたのである。アンコールで小曽根さんが塩谷さんをステージに呼び「僕の弟です」と紹介したのだが、ハモンドオルガンの椅子に仲良く座る二人の姿がとてもチャーミングだった。後で塩谷さんに「小曽根さん、塩谷さんのことを弟と呼んでましたね」と水を向けると、塩谷さんは笑いながらこう言ったものだ。「ハハハ、でも何がよかったって小曽根さんの指がすぐそこで見えたことですよ。もうものすごくはやいの。すごく得しちゃいました」。塩谷さん独特のテレもあるせいだろうが、塩谷さんは容易には言葉に酔わない人だ。そして、驚くほど真剣に音楽に向かい合っている。そんな心の構えが常にある。おもしろいのは、あのピアニスト塩谷哲にして、小曽根さんのこととなると、僕たちファンと同じレベルで話をすることなのだ。繰り返すが、塩谷さんはほんとうにopen-mindedなのだ。ただ僕たちと根本的に違うのは、次の瞬間塩谷さんは小曽根さんの指のはやさにまさるとも劣らないはやさでハモンドオルガンを弾いていたこと。やはり天才なのである。ほんものの天才は鎧を着ていない。そこで、僕はもうひとつ質問をしてみた。「あの札幌での夜ほんとうにすばらしかったですね。僕は一生忘れられないです。小曽根さんずっと一晩中塩谷さんに愛の言葉を語っていました。ほんとうにすごかったなあ」。塩谷さんはまた笑いながらこう言った。「ほんとうにすばらしい夜でした。でもね、僕がいちばんうれしかったのは、小曽根さんが僕の弾く音を、深いところできちんと受け止めてくれたことなんです。あんなにうれしかったことは今までになかったですね」。僕はこの言葉を聞いて自分の不明を恥じた。そして、心からのリスペクトの念をこのすばらしいピアニストに感じたのだった。音楽そのものに向き合うとはこのことだ。ミュージシャンとはこういう生き方なのだと、心の深いところで納得した。だから、僕はこの長いレポートを閉じるにあたり、この言葉を書き残しておきたいと思う。

すべてのドラマは、2003年3月20日、あの札幌kitaraホールのステージの上で起きたのだ。(了)

キタラライブレポート2003c

謝辞

小曽根さん、ほんとうにありがとうございます。感謝するのは僕のほうです。

申し訳ないのですが、ここに皆さんへの謝辞を書かせてください。

小曽根さん、フォーラムの皆さん、ほんとうに長い長いライブレポートを最後まで読んでいただいてありがとうございました。書きたかったことは、ほんとうに全部書きました。どのくらい書いたのでしょう?よくわかりません。(苦笑)掲載を許していただいた上に、途中で励ましの言葉までいただいた小曽根さんに、まず感謝したいと思います。ただ、このライブレポートは僕が書いたものであっても、はじめから僕だけのものではありません。これは謙遜ではないのです。一緒にライブを聴いたこのフォーラムの仲間たちとの対話がなければ、僕は少しも書けないのです。今回は、特にみなさんに助けていただきました。感謝の言葉を述べさせてください。

まず、めいさん。めいさんのHPに掲載されたすばらしいライブレポートを参照することがなかったら、とりわけおふたりの素敵なMCを再現することは不可能だったと思います。また、ライブご一緒しましょうね。で、またお互いのライブレポートでエールを交換したいと思います。

momosasakiさんは、小曽根さんの冒頭のメッセージを丁寧に文字に起こしてメールで送ってくださいました。僕はいつも書き出しに苦労するんですが、momoさんのおかげでスーッと書き始めることができました。僕たちはマイレージ組でしたが、札幌まで行ってほんとうによかったですね。ありがとうございます。

CHOOTさんは、ビエンヴェニドス・アル・ムンドのイントロに現れた小曽根さんの心の動きについて。貴重な示唆をくださいました。ご自身がピアニストだから、とても繊細な音の拾い方をするんですよね。ありがとうございます。


轟会長は、休憩時間に、二台のピアノ違いとkitaraホールの音響効果についてレクチャーしてくださいました。これがないと、遠征したって感じにならないんですよね。僕はうっかりスタインウェイ見落とすところだったんです。ありがとうございます。また遠征しましょうね。

Cherryさんが休憩時間に三階から降りてきて「midさん、今日はどうですか?」。そういうときのCherryさんって、本気で感動してるんですよね。今回は本編に何度もご登場願いましたが、小曽根さんのタンゴと、塩谷さんのスパニッシュ・ワルツの違いについての意見は、ものすごく参考になりました。僕のレポートどうでしょう?またお話しましょうね。ありがとうございます。


Sumikoさん、今回はご一緒できませんでしたが、マンボ・インの出自をあっという間に調べてくださいました。ほんとうにありがとうございます。レポートで、雰囲気はつかんでいただけましたか?

姫金さん、金さんはいてくれるだけで安心します。いないと不安です。だからこれからもいてください。金さんがいるだけで、レポートを書きたくなります。
ありがとうございます。

しなぞう。さん、別プロジェクトを中断してkitaraのレポートを書くようすすめてくださいました。いつも励ましたりしかってくれたりありがとう。HPの文章、すばらしかったです。今度は東京でふたりのライブを聴きたいですね。

そして三鈴さん、はしもとのロビーでkitaraの音響の変化について教えていただきました。しなぞうさんの文章にもありましたが、サウンドチェックにいつも立ち会っておられるのですね。それであんなお話を…。感動しました。ありがとうございます。

Keyさん、僕はオフ会で流されていた涙を忘れることができません。僕は塩谷さんご夫妻が大好きです。ありがとうございます。

そして、塩谷さんすばらしい感動をありがとうございます。おふたりの演奏を聴いているときには、あまりにもすさまじい音の散乱に、もう絶対書けないと思いました。それなのにもう…という感じです。とりわけ塩谷さんには、友達のような顔をして近づいて、いろいろ聞き出してしまいました。これにこりず、小曽根フォーラムのオフ会にも参加してくださいね。今度、BNにトリオ聴きにゆきます。ありがとうございます。

最後にもう一度小曽根さん。今回Open-mindedの意味を、おふたりに教わりました。ありがとうございます。感動は人を変えてゆきますね。オフ会のおふたりのおはなし、うまくまとまっているでしょうか?もしまずいところがあれば、是非お知らせください。心からの愛と感謝をこめて…。

midwest

Special thanks to masu.

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