においがけの有り難さ
今日は近くの神社でお祭りじゃないけど、そんな感じの事をしてました。
笛の音、太鼓の音が聞こえてきたのですが、これを聞く機会が減ったと思うと寂しくおもいます。
神名流しをしていたら、そのお祭りの人と勘違いしたらしく、写真を撮りたいとのことで撮っていただけました。その後祭りと関係ないとわかるとすぐにどこかに行ってしまいました。
それでも、相手のフォルダの中には天理教と書かれたハッピを着た私の写真があるわけです。
なにかの機会にその写真を通して、天理教の存在を認知してもらえるかもしれないと思うと有り難い限りです。
道中「天理教だってよ」みたいにヒソヒソ話しているのをチラホラ見かけるのですが、みかぐらうたのなかに「ひとにわらわれそしられて めづらしたすけをするほどに」とあるわけですから、それをさせていただいてると思うともったいなくおもいます。
明日からも何事も有り難い、けっこうと思えるよう過ごして行きたくおもいます。
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