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セウォル号沈没事故から10年

今日でセウォル号沈没事故から10年のセウォル(歳月)が流れました。

あの事故の衝撃は今も忘れません。あらゆることがリアルタイムでした。事故はネットですぐに日本にも伝わりました。高校生たちがスマホからSNSなどを通じて“助けて”というメッセージを発信していました。映像にうつる高校生たちはパニックになっている様子ではなく、船室内に留まれというアナウンスに従って、大きく傾いた室内で、手に持ったスマホで家族などに連絡をとっていました。あの時、高校生を含む乗客たちはまだ生きていたのです。あれだけたくさんの高校生たちが自分たちが置かれている状況を発信しており、助けるのに十分な時間があると思いました。まさかそのまま助けられずに沈んでいくとは思いませんでした。

事故の原因についてはいろいろと報道がされました。曰く、積み荷を積みすぎていた。積み荷がきちんと固定されていなかったので急旋回によって荷物が片寄り、船のバランスが崩れてしまった。バラスト水(重りとしての水)が十分に積まれていなかった。船長は事故当時、操舵室に不在だった。代わりに三等航海士が操船権を握っていたがその航路は初めてで不慣れだった。等々。

他にも、船体が改造されていたとか、船体検査の不備であるとか、果ては韓国社会にある背景についてまで言及している説もあります。

たしかにそれらのことも幾つもある原因の一つではあるでしょう。韓国社会の体質の何かにも問題の目を向けなければいけないかもしれません。しかし、船が傾いた直接の原因は“急旋回”です。たしかに積み荷は多すぎたし、きちんと固定されていなかったことは事実でしょうが、急旋回がなければ積み荷が一方に片寄ることはなかったでしょう。

なぜ急旋回したのか。この肝腎なところが、その後の報道では伝わってきませんでした。福知山線事故のような事故なら「なぜそんな無謀な運転をしたのかと言われてもそれは運転士に聞いてみないとわかりません。そして運転士はなくなってしまっているのでわかりません」という話にもなるでしょう。ですが、セウォル号事故では船長も、当時舵を握っていたとされる三等航海士も操舵手も全員生きているのです。その人たちに「なぜ急旋回したのか」と聞けばよいだろうにと思います。

乗客が早くから救助要請をしていたにもかかわらず救助に時間がかかったり、船の救命設備が整っていなかったりと杜撰な話がたくさんありましたが、中でも船長が乗客を置いて真っ先に逃げたのは最も嫌な話でした。これでどうしても比較として思い出すのは今年1月2日に日本であった羽田空港地上衝突事故です。機体は全焼しましたが、JAL機の乗客367人は、客室乗務員の避難誘導のおかげで全員無事でした。機長は機内を見廻っていちばん最後に脱出しました。

また、羽田空港地上衝突事故では、JAL機の客室乗務員の半数が入社一年目の新人だったそうですが、セウォル号沈没事故でも新人の乗務員は客を助けることを優先してなくなったと聞きます。新人のほうがまともに職務を遂行するのだろうかと考えさせられます。

檀園高校のコ・チャンソク先生は、大学時代に人命救助のアルバイトをするほど泳ぎが得意で、事故当時は比較的脱出しやすい場所に居たにもかかわらず、最後まで子どもたちを助けることに奔走して、なくなったという話を聯合ニュースが伝えています(以下のリンク先記事)。

防げたはずの事故であり、助けられたはずの命であり、この先も忘れてはならないできごとだと思います。

以下の動画は生存者のインタビューです。



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