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長話をしようよ、

140の文字数に収まらず、
手紙に書くにはたりないくらいの
自分に話しかける言葉を
思い立ったら書いてみようと思う
分からなくなったら思い出すように
後ろから指先で触れるように。


なんで被写体したいと思ったのか、
何かを作ったり表したりしたくなったのかは、
前に彩翠展というグループ展(4人の撮影者+翠モデルとセルフポートレート)を
していただける機会があって
セルフポートレート枠で私も展示した時に
自己紹介とともに書き留めていた。

書かなかった過去と共に
いらない長話をしてみる。

小さい頃、旅行に行く際
サンリオのフィルムカメラをもらって
いろんなところをとった記憶があって
(とった記憶はあるけど、写真は残ってない)
その頃から撮るのが楽しかったのを覚えている
両親共働きだったのでおばあちゃんの家にいることが多く、一緒に公園に出掛けて俳句手帳をもらい俳句を考えたりもしていた。
そういう所から自分の気持ちを書き表したり、撮る事がたのしいという事を知ったと思う。

そのあと、写真が楽しくなったのは
自分の携帯を持つようになって、
自分の身の回りや空や、
風景を撮るようになってから。
いつも手元にあるから撮りやすくて、
あとから自分の好きなように壁紙をつくって
待ち受けにしたりしていた。
この頃にはブログが作れるようになって、
詩といえるかわからない言葉を書いては
記録として残していた。

高校後半くらいから自撮りをするようになった
そのままの姿より、自分の好きなものを四角の中に好きなように配置して撮ったり
勝手にイメージ考えて撮ったりしていた。
今もそこはあまり変わらない部分がある
自撮りを始めた頃は家の環境が不安定だったこともあって
それを発散したり、整理するためにし始めたんだろうな、と今は思っている。

3年生くらいの頃に父が双極性障害の躁の方になって
家の状態がさらに変化する
その頃私もいろんな経験、いろんな思いをして
それは大学生まで続く。
2年くらいの時父親が亡くなり、お葬式のあと持ち帰った百合などの花にパールなどのアクセサリーを配置して
淡々と写真を撮って待ち受けにしていたのを
今でも覚えている。
その時になると案外涙はでなくて、本当なのかどうなのかよく分からないままその時間は過ぎた気がするし、
父が薬や体調、精神的にも辛いのが続がなくなってよかったと思う部分もあった。

これを機に悩んでいた色々をリセットすべく、
いろんなもの絶ったり、つなげたりした
耐えられなかったんだと思う。
(何度も居なくなりたいと思い、
運転しながら事故を起こすのを想定したり
傷をつけられるかどうか試そうとした。
でも、どれもできなかった
自分で自分を傷つけることすら
出来ない位弱いんだなと
自分で気づいてしまったら、
途方もなくなってしまったのだ
そして、少しだけ旅に出た)

また、書きたくなった時に。

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