シャカールが実装された話

※多分にネタバレを含みます。閲覧は自己責任でお願いします。
※まだキャラストーリー4話分しか見てません。生温かい目で見てやってください。


 待って。こんなに早いと思わなかった。お前ホント、フライトどこ置いてきたんだよと突っ込む間もなくエアシャカールの実装は予告され、実行された。彼女は今ガチャの画面で舞っている。私は先にストーリーを読んでだめになっている。

 「ウマ娘 プリティーダービー」というゲームがある。
https://umamusume.jp/
ゲームの詳細は省く。実際にやってもらうほうが早いと思うし、十全に説明できる自信もない。あれ、これ艦これの時も言ったな。私の推しはアグネスタキオン。君も黄緑色に発光しよう。puipui


 ウマ娘の中で、ファインモーションとシャカールの関係性がなかなか琴線にクるものがあり、ファイン育成実装の少し前くらいからインターネットの海を流れてくるシャカファイないしファイシャカの作品を時に限界化しつつ、時に拝み倒しながら拝見・拝読させて頂いていた。ファイン実装時もそれはもう感情をグッチャグチャにされたものだが、遂にこのたびシャカールも実装と相成った。

 もともとガチャは引かざるを得ないと思っていた。ファインとの関係性もある。なにより、史実のエアシャカールは日本ダービーで、タキオンの全兄アグネスフライトにハナ差7センチで負ける。運営がフライトを実装するつもりかどうかはさて置くとしても、どう足掻いてもタキオンと関わることは必至だ。
 ウマ娘は各キャラの育成ストーリーが秀逸なのはもちろん、関わりの深い他キャラとの絡ませ方が時に憎たらしいほど上手い。タキオンのストーリーだってマンハッタンカフェの育成ストーリーを見て初めて完成すると私は思っている。シャカールのストーリーでも、カフェの程まではなくともタキオンは関わってくるだろう。というかすでに関わってきた。それはすなわち推しの新しい一面が見えるということ、推しの情報が補完されていくということだ。
 タキオンの情報も、ひょっとしたらカフェの情報も補完される。ファインとの関係性も更に見れる。シャカール本人のことも、サポートカードのストーリーとは段違いに深く知れる。ガチャを引かないという選択肢は無いに等しい。

 さてしかしちょっとした事情で明日──日付変わってもう今日だが──夜までガチャは引けない。けれどもシャカールのことは知りたい。TLの情報をシャットアウトすることも考えた。だが残念なことに、まあまあ無意識にツイッターを眺めるのが癖づいてしまっている。
 鋼の意志どころか絹漉し豆腐よりも軟らかい私の意志ではツイッターを封印するのは至難。どうしようかと唸っていたところで、引かずともストーリーをいくらか見ることができると思い出した。ならば急げとストーリーを読み、今に至る。

 率直に言おう。つらい。

 一つには、素直に見るとどっちに行っても地獄しか無いこと。もう一つには、──これはきわめて個人的な理由だが──トラウマをゴリッゴリ抉られること。ファインの時にもどういうわけかトラウマをゴリッゴリに抉られたので、なんだ君たちはというお気持ちだ。どうしてくれる。君たちの幸せを願わずにはいられなくなってしまうじゃないか。

 ストーリーを読む限り、シャカールはものごとをゼロとイチ──あるいは、〇と×、YesとNo、正と誤、等々と言い換えても良い──で見ている。そして、正解に固執している。
 シャカールにはゼロかイチかしか存在しない。それも、ゆらぎや確率、誤差といったものまですべて加味し計算したうえでゼロかイチか判じているのだと思う。シャカールは賢いから、そのくらいの不確定要素は織り込み済みだろう。
 シャカールは自らの理論と計算をロジカルだと言う。データと数式から導き出される答えは絶対だと。その計算結果が、ダービーにて7センチ差で負けるという解を導く。その答えを受け容れることができず、シャカールはもがく。
 自己矛盾だ。

 私も遥か昔、正しさに固執していた頃があった。自分の「正しさ」が瓦解したとき、随分な絶望を味わったものだ。或いは、ゼロとイチでものごとを判じるのは、かつて親しくさせて頂いた方によく似ている。その方も「正解」と自身の感情やありようとの齟齬に苦しんでいた。互いに良き理解者となれるかと思いきや喧嘩別れになってしまった後悔は、今も苦く残る。
 そうしたトラウマがシャカールの在り方と共鳴して、私の心を抉る。

 シャカールは「勝ちたい」と思っている。その感情はロジカルではない。いやそもそもレースの世界に身を投じようと決めた思いはどうか。理解してくれない相手の言葉を「ノイズ」と厭うことは。ノイズが消えていくのを最高だと喜ぶことは。シャカール自身の「目標」は。

 感情はきっとロジカルじゃない。イチでもゼロでもない、もしくはイチでありゼロでもあるような、グラデーションだ。
 数式以前の前提条件であるような、イチかゼロかでは計れないところを、シャカールはまだ無視したままなんじゃないか。そんな気がしている。そして、なるべく痛みの少ない方法で、そのあたりのところに気づいて欲しいと思う。

 けれども、どっちに転んでも地獄だということを、ストーリーの中でタキオンが教えてくれる。

 計算結果が正しいとする。シャカールにとって「答え」は絶対だ。ダービーには勝てない、という絶望が、そこにはある。
 逆に、シャカールがダービーに勝てたとする。それは計算結果が誤りだったことになる。シャカールはそれまでデータと数式こそが正しいと思ってきた。計算結果だけが彼女の拠り所だった。ダービーに勝てば、その唯一の拠り所が瓦解する。自分の価値観が、ありようが、丸ごと否定されたように感じるだろう。それもまた、絶望だ。

 シャカールは挫折するだろう。それをどう乗り越えていくのか、天才的な彼女がどう成長していくのか。メタなことを言えば、運営のことだからきっと感動的にストーリーを描き、紡いでくれているはずだが。
 自己矛盾の中でもがく彼女に、一縷の希望が兆すことを、切に願ってやまない。それはきっとシャカールを推す私たちにとっても救いとなる。

シャカールの育成に挑んだら、私の情緒はジェットコースターになった挙げ句、しばらくだめになってしまうことだろう。それはもう仕方がない。それでも、シャカールがどうにかして幸いを勝ち取ってくれることを、見届けたいと思わずにはいられない。

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