ヒッチレース回想録 後編

5月27日午後4時、薩摩川内市串木野港入港。
ついにスタート地点下甑島を抜け出し九州上陸、ここからがヒッチレースの本当のスタートである。
鹿児島の先輩ぴーやまさんには連絡がつかず泊めてもらうことは叶わなかったわけだが、次に頭に浮かんだのが福岡に住む落研の先輩テシマさんだ。
そういえば、前回泊めてもらった時にテシマさんのお父さんが「今度はぜひ一緒に飲みましょう」と言ってくれていた。
その言葉を真に受けることにした私は、とりあえず福岡のテシマ家を目指すことにした。

さて、ここからいよいよヒッチハイクを開始した
……のかと言えば、実はそうではない。
克樹さんの息子の優斗さんが串木野港で働いているというので、彼の仕事終わりに桜島SAまで送ってもらえるように克樹さんが電話をしてくれていたのだ。
優斗さんの終業を待つ間見ていたフェリーターミナルのテレビでは、その日宮崎と鹿児島に線状降水帯が発生すると言われており、鹿児島泊ではなく福岡行きを選択したのは正解だった。
優斗さんの仕事が終わり車に乗せてもらう。
初対面だが、克樹さんという共通の話題があるのですぐに打ち解けた。
彼がヒッチレースに少し興味を示していたので、来年の参加をおすすめしておいた。

桜島SAにおろしてもらうと、天候のせいか場所のせいか、なかなか車が少ない。
何人か声をかけていると、一度断ったおばちゃんが九州自動車道の地図を持ってきてくれた。
ヒッチハイクを始めるSAで一番最初に手に入れるべきものじゃないか!なんで忘れてたんだ!と自分に驚きながら、ありがたく受け取る。
またしばらくすると、出てきたおじさんが私が目をつけていた久留米ナンバーの車に帰っていったので急いで追いかけて声をかける。
快く乗せてもらえて聞くところによると、コロナの後遺症で休職中で家族を残して一か月ほど日本縦断の一人旅の最中だという。
仕事や肩書、コミュニティなど、自分の役割や自分が何かの役に立っているという感覚が生きる張り合いになっているのだというような、彼や周りの人の実体験に基づいた深い話ができた。

彼はその日は熊本に泊まるというので熊本の手前のSAに下ろしてもらう。
するとそこには、大きなICの手前なので当然かもしれないが先ほどのSAよりも車が少ない。
少し福岡ナンバーもあるなと思っていたら、見る見るうちに熊本ナンバーばかりになってしまった。
最後の一つになった福岡ナンバーの車に乗り込もうとしているおじさんに声をかける。
「あー、家は福岡なんやけど、今日は仕事で長崎に行くんよ」
断られる。
とっさに地図を見て、
「鳥栖JCT(福岡方面と長崎方面の分岐)の手前のSAまででもいいんですけど……」
「それやったらいいよ」
乗せてもらう。
彼は店舗や事務所の工事の設計や管理をしているフリーランスだそうで、九州を飛び回っているらしい。
今日は鹿児島で仕事を終え、明日は長崎の現場の完成なのでそれに向かっている途中だそう。
私の事情も話すと、
「そんなん聞いたら女の子一人でほっとくわけにいかんし福岡まで送るよ」
となかなかの九州男児っぷりを発揮してくださった。
その時点で午後8時ぐらいにはなっていたと思う。
長崎の宿に、チェックインが遅くなるが1時までには着くという旨の電話をしているのを隣で聞いて、申し訳なさで身が縮む思いだった。
途中、SAでおにぎりと水も買ってくれる。
そこからなんと、高速を降りてテシマさんの家の最寄りの駅まで送ってくれた。
高速から「あそこらへんが俺の家」などと指さしながら……。
本当にすみませんでした。そしてありがとうございました。

テシマさんの家には春休みに一度遊びに来たことがあり、道を覚えるのだけは得意なので難なく辿り着いた。
午後10時、こんな時間にアポなしで先輩の実家に押しかけていいものか、一瞬ためらったが、前回訪ねた時の印象から来る、いけるという自分の直感を信じてチャイムを押した。
お母さんが出てきて、戸惑いながらもとりあえずは家に入れてくれる。
事情を説明すると、まだよく飲み込めていない様子ながらも泊ってもいいと言ってくれた。
お父さんが帰ってくる。
お父さんの方は玄関から私がいるのが見えた時から歓迎の姿勢を示してくれて、こちらが驚いたほどであった。
やっぱり「今度はぜひ一緒に飲みましょう」というあの言葉は本心だったのだと感じて嬉しかった。
テシマさんが帰ってきたころには、ご両親と私はテシマ家自家製のりんご漬けウイスキーでいい具合になっており、テシマさんからすれば、帰宅したら自分の後輩と両親が酒を酌み交わしているというのは異様な光景だったことだろう。
その雰囲気に乗じて私はさらに厚かましいお願いを重ねる。
「もし明日ももう一泊させていただけるなら、改めて腰を据えて飲みませんか?」
このお願いもありがたいことに受け入れられた。

翌日、テシマさんは昼からの出勤なのでそれに合わせて家を出る。
まず始めに向かったのはしまむらである。
島で克樹さんに着替えを貸してもらっていたものの、下着だけは替えておらず、裏表を2日ずつ、もう4日も同じものを着けていたのだ。
島で頂いたお金の余りで、しまむらで下着を、下のスーパーで明太フランスを買い、近くの公園で食べる。
私は食べたことがなかったのだが、以前テシマさんが明太フランスが美味しいという話をしていたのを思い出したのだ。
それからテシマさんおすすめの美術館に行ってみる。
私にはそんなにはまらなかった。

それからブラブラ歩いて天神のあたりにある友添本店という酒屋さんに辿り着く。
ここは前回福岡に来た時に見つけたお店なのだが、日本酒を中心に焼酎や果実酒など数えきれないほどの品ぞろえがあり、そのほとんどが4,5百円で試飲できるという最高のお店である。
島で稼いだお金で、テシマ家に泊めてもらっているお礼として何か買っていこうと思ったのだ。
すべての説明文にじっくり目を通し、惹かれた日本酒3種類と芋焼酎2種類を試飲する。
「あの、前も来てくれてましたよね……?」
驚いたことに店員さんが覚えてくれていた!
事情を説明すると、さらにおすすめの日本酒を数種類無料で試飲させてくれた。
結局、池亀というお酒を買って帰った。

帰るとお母さんが私の希望を入れてお魚を用意してくれていた。
魚と野菜を蒸したものと、イカと何かのお刺身。それからゲソバター。
まずは二人でビールで乾杯。
それからお父さんが帰ってきて池亀を開ける。
お父さんが2週間ほどバイクで東北旅に出ていた時の話をしてくれる。
バイクでしか感じられない風や景色の話を聞いて、バイクもいいなあと憧れてしまう。
また、聞けばご両親は大学の旅サークルで出会ったそうで、私と同じようなことをしていたのだと思えば今回受け入れてくれたことにも合点がいった。
テシマさんが帰ってきたころには、テシマ酒店(テシマ家のお酒のストックはちょっとした飲み屋並み)で飲み比べさせてくれた芋焼酎とウイスキーで、またもや我々はへべれけでした。
すまん、今度はテシマさんが休みの日に……。

翌日もテシマさんの出勤に合わせて昼頃に家を出る。
その前に地図を見ながら作戦を練った。
下道からヒッチハイクしたのではだいぶと気の長い話になってしまうが、もうすでに4日も経っている。
そろそろ帰る方向を目指してもいいのではないかと思い、少しチート。
最寄りのSAまで公共交通を使い、そこからヒッチハイクをすることにした。
須江SAも古賀SAもどちらも徒歩で入れるらしい。
前者の方が近いが、後者の方が大きいSAで車が多そう。
時間もお金も少しかかってしまうが、古賀SAを目指すことにした。
電車とバスを乗り継いで2時間弱、千円ほどかかった。

午後3時、古賀SAにてヒッチハイクを再開する。
車が多く逆に的を絞りづらい感はあったが、声をかけて2人目ぐらいのおじさんがつかまった。
保険会社の北九州支社の支社長さんで、博多の支社に出向いた帰りらしい。
2人の娘さんが京都の大学に通われているそうで、彼自身も関西人。
久しぶりの関西弁に懐かしさを覚えた。
小倉を通り過ぎて、門司のめかりPAまで送ってくれた。

ここでも声をかけて2組目ぐらいの初老の夫婦に乗せてもらえることに。
彼らが用事を済ませる間、デッキで関門海峡を眺める。
良く晴れて海がとても綺麗だった。
2人は退職して九州旅行に出かけていたそう。
自宅のある愛媛までの帰路で、しまなみ海道の方に曲がる手前まで乗せてくれることになった。
その車は自動運転が搭載されており、初めて乗ったのだが特別いいもんではないなと思った。
ただ夫婦は優しく、途中のSAでおにぎりと水、もみじ饅頭も買ってくれた。

小谷SAでおろしてもらい、また声をかけ始める。
しかし今度は、今回のヒッチハイクにしては珍しくなかなかつかまらない。
まずもってこのSAの直後の福山ナンバーが多いから、めぼしい車が少ないのだ。
そんな中入ってきた車はまたもや福山……と思いきや、なんと福井⁉
出てきたお姉さん2人組に急いで声をかける。
私のヒッチハイク経験の中では珍しく若者の2人連れだったが、1人のお姉さんがめちゃくちゃゲラで、私のお願いに大笑いしながらOKしてくれた。
2人は買い物を終えて出てくると、お好み焼きをごちそうしてくれた。
九州からは一直線で高速の道のりになってしまったが、さっきのもみじ饅頭といい、なんだかんだ広島感も満喫できていてありがたいことである。
それから車に乗り込む。
2人は看護師の先輩後輩だそうで、広島に野球観戦に行っていたらしい。
2人はよく一緒にでかけるそうで、職場の人とそんな関係になれるのは羨ましいことだと思った。

日も暮れてきて、京都に着くのは日付を回る頃になりそうな雰囲気である。
前回もそれぐらいの時間に京都入りしたのだが、夜中の下道ヒッチハイクは警戒されるのでほぼ見込みなしと言ってもいい。
また、京都の各ICから吉田寮までは結構な距離があり、私的には歩くのも渋い……。
ここで思い出したのが実家の存在だ。
そう、私の実家は京都の洛西にあり、貸してもらったスマホのグーグルマップによれば、桂川SAからは歩いて1時間半と出た。
桂川SAが徒歩で出入りできることもテシマ家で調べていた。
そうだ、今日はひとまず実家に帰ろう。
しかし問題がある。
深夜1時に家に着いたとして、両親が鍵を閉めて寝てしまっていては元も子もない。
もちろん、飲んでいるに違いないから車で迎えに来てもらうこともできない。
とりあえず借りたスマホから家に電話をかけ、鍵を開けておいてもらうようにお願いした。
知らない携帯からの着信だと出なかっただろうから、いまだに家電を使っていてくれたことは幸運であった。

午後11時半、桂川SAで別れを告げ、実家への帰途につく。
土地勘があるので1時間半の道のりも存外短く感じられた。

翌朝、父が車で出勤途中に母を地下鉄の駅まで送るのに便乗して同じ駅でおろしてもらう。
ヒッチレース最後の車は実家カーとなった。
そこからさらに三条京阪までバスに乗るというチートを重ね、最後は徒歩で吉田寮に帰還した。
5月30日午前9時40分、お土産話会当日の帰着は、今回のヒッチレース参加者の中で最後であった。


今回のヒッチレースの間、何度もその意義を感じることがあった。
それは、

・無償の優しさに触れることでその存在を信じられること、そして自分の中にもそれを持つ契機になること。
・何にでも対価として金銭を支払うという一般的な価値観を相対化できること。
・運(それは自分が持つ様々な性質によるもの)を含めた自分の生きる力に自信が持てること。
・自分の知らない所へタダで旅行できること。
・デジタルデトックスができること。

である。
これらのことは、これから人生を歩む上でとても大事になると思う。
このような重要な気づきを実際の経験を通して得られることこそが、ヒッチレースの最大の魅力である。

ヒッチレースは、私が参加していることからもお分かりの通り、京大生でなくても、さらには学生でなくても誰でも参加可能である。
このノートを読んで少しでも興味がそそられた方には、ぜひ来年のヒッチレースへの参加をおすすめする。

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