ヒッチレース回想録 前編

5/25
午前0時、「わーい わーい 楽しいな 吉田寮祭 吉田寮祭」の歌声と共に吉田寮祭が開幕。
9日間、100を超える寮祭企画のトップバッターは目玉企画ヒッチレース。
申込み無しの飛び入り参加がデフォルトだが、くじ引きを終え、40人程の参加者が今年もなんとか各車に振り分けられた。

私の乗った車は、ドライバー2人に参加者3人。
初参加の去年乗った車も同じ人数だったものの、3列シートだったので随分快適に移動出来たのだが、今年は2列シート。
目隠しをした参加者3人が後部座席にぎゅうぎゅう詰めになる。
そのまま結果的には10時間の移動となった。

SAでもトイレの前まで目隠しで手を引いてもらう。

降ろされた所は港であった。
鹿児島県薩摩川内市串木野港。
渡された切符の行き先は下甑島長浜。
……読めない。
甑島と書いて「こしきしま」と読むのだそうだ。

憧れの離島スタートにご満悦。

ドライバーさん達に別れを告げて、いよいよスタート!
乗船すると椅子席と雑魚寝席があったので、後者の方で少し昼寝。
寿司詰め長時間ドライブの疲れを癒す。

下船前に次のアテをつけておいた方がいいかと思い、同乗していた母子に声をかけてみる。
しかし、上甑島の里という所の人だそうで、私が行く長浜のことはよく分からないとのこと。
「もし長浜でどうにもならなかったら里においで」と言ってくれた。
しまった!里の方が大きいならそちらで降りておくべきだったか……?
しかし渡された切符の行き先がスタート地点である。
母子に優しくしてもらって気分が上がっただけでも良い滑り出しだ。

午後2時頃、長浜港到着。
ヒッチレースは財布と携帯無しなので、この島から出るにはまずフェリー代を稼がなければならない。
案内所で何かバイトは無いか尋ねてみる。
民宿だったらついでに泊めてもらえるのではないかということで、おすすめされた民宿をいくつか尋ねてみる。
しかしどこも、そもそも誰も出てこない。
小さい集落には観光客も見当たらず、道には痩せた猫だけがたくさんいて、何匹かは触らせてくれた。
この様子では民宿の仕事は無いだろうと、もう一度フェリー乗り場に戻る。

すると、そこの所長さん(克樹さん)が声をかけてくれて、2世帯住宅の1軒が空いてるので泊まってもよいとのこと。
さらに、スナックユリという所なら雇ってくれるかもしれないということで、日が暮れたら行ってみることにする。
待っている間に、案内所の人がプリンと水をくれたり、掃除のおばちゃんが色々話しかけてくれて最後にはスーパーでパンなどを買ってくれたりした。

午後5時、仕事を終えた克樹さんとスナックユリを尋ねると、ママの睦子さんはとても優しいおばちゃんで、私が働くことを快く受け入れてくれた。
そのまま克樹さんの家に行き、夕食にお弁当をもらい、お風呂も使わせてもらい、着替えまで貸してもらった。

午後8時、克樹さんから借りた半袖短パン姿でスナックユリに出勤。
徒歩5分ぐらいの距離だが、克樹さんが車で送ってくれた。
お客さんは、地元の漁師のマコトさんとタツキさん、本土から赴任している消防署長さんの3人組。
漁師の二人は幼馴染、所長さんが赴任してきたのは今年の4月なのに、すでに長年の付き合いかのような打ち解け具合だ。
明日エビ漁があればエビの頭を取る仕事があるから来ればいいと言ってもらう。
24時半、上がり。
一緒に話して歌って飲んでいただけで4千円もらえてしまった。ありがたい。
帰りは睦子おばちゃんが車で送ってくれて、エビ漁の船が帰ってくる港を見せてくれた。

26日、昼頃に起きる。
克樹さんが買ってくれたパンなどを食べる。
外に出てみたが、特にすることもないので昨日見せてもらった港の方へ行ってみる。
ちょうどタツキさんに出会い、エビの仕事を一緒にさせてもらう。
タカエビという種類だそうで、食べさせてもらうと癖がなく身もしっかりしていて食べやすいエビだった。
頭を取る作業は単純作業でみんなと話しながらするとなかなか楽しかった。

この先のことについて、私にはある計画があった。
明日この島を出るつもりだが、鹿児島に住んでいるハングの先輩、ぴーやまさんの家に泊めてもらえないだろうか。
しかし連絡手段がない。
こういう時のためのSNS、誰かの携帯からインスタかXでぴーやまさんのアカウントを検索してDMをすればいいのだ。
これは私が以前スマホを落として対馬に行った際に実際に使った方法だ。
また同じことをする機会があるとはね。
漁師さんにお願いしてみたが、だれもSNSをやっていない。
やっとのことでマコトさんの息子のナオト君(私と同い年)にインスタのDMを借りてぴーやまさんに連絡した。
返事は……

帰ってこなかった。
後に聞いてみると、知らない人からのDMは許可していなかったそう。
そうなるとどうしようもないよね。

ともあれ、エビのお手伝いのお礼にバケツ一杯のタカエビとヒオウギ貝をもらって克樹さんの家に帰った。
すると今度は、克樹さんの仕事についてこないかというお誘い。
克樹さんは、フェリーの営業所の所長の他に下甑島の佐川急便の委託配達もしている(ちなみに中学バレー部の外部顧問もしている)。
その配達についてこないかというものだ。
もちろんついていった。
皆さんは、佐川急便が来た時にピロリという音が鳴るのを聞いたことはないだろうか。
配達伝票のバーコードリーダーの音だが、あれをやった。
私が伝票を見て次の家を伝える、克樹さんが荷物を届ける、私が伝票を読み取る。
この連携作業で下甑島の家を何軒も回る。
仕事体験としてはなかなかに予想外の部類で面白かった。
時間にして一時間程度であったが、克樹さんはそれが終わると「バイト代」と言って2千円くれた。
さらに「ついで」と言ってもう千円くれた。
驚くほどの大盤振る舞いである。

それからスーパーで夕ご飯の買い出し。
克樹さんは大食いなのだそうで、レトルトカレー、ハンバーグ、サラダ、さらに大量のお菓子を買い込む。
お菓子コーナーで私にも「どれがいい?」と言われ迷っていると、「迷ったらどっちも」と両方カゴに入れてくれた。
家に帰って二人でエビを剥き、私がお風呂に入ってから、2人でテレビを見ながら晩御飯を食べた。
まるで家族のように。

午後8時、今日も出勤。
漁師さんたちは来ておらず、3人組は所長さんだけ。
代わりに90近いおじいさんの二人組。
私の十八番は昭和歌謡なので、バッチリはまった。
後から自衛隊の二人もやってきた。
島には島外から赴任してくる人も多く、彼らを受け入れて回っているのが島の社会なのだということを実感した。
睦子おばちゃんの歌う歌は、沖縄系の歌の「〇〇島」という歌詞を全部「甑島」に変えて歌っていて、なんだかジーンと来てしまった。
雨風が強くなってきて、「今日は11時半まで」と3千円を渡してくれたが、明日帰ることを伝えると「ほなもうちょっとあげよ」ともう千円くれた。
その日は睦子おばちゃんがみんなを送ってくれた。

27日
帰りの船は午後2時。
それまで時間があるからと、克樹さんが車で島を案内してくれた。
甑島は、上・中・下3つの島からなっているのだが、それを繋ぐ大橋は片側から見ると橋が空に消えていくように見えて圧巻だった。
橋の中頃で車を降りて海を見てみると、曇天だというのに水は青く澄んでいる。
「甑島はマリンスポーツが楽しいから夏にまたおいで」と言ってくれた。

いよいよ出港。
帰りは自分で稼いだお金で2千数百円の切符を買って乗船する。
突然現れて仕事をくれと言いすぐに去っていく得体のしれない私を受け入れ、たくさんの無償の優しさを与えてくれた長浜の人々には感謝しかない。
ここまでで十分ヒッチレースを満喫しているわけだが、とは言えまだヒッチハイクもしていない。
ようやく九州上陸である。
いよいよここからが本当のヒッチレースの始まり!!!

……というところで、お時間でございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?