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母の主治医と話すことー手紙③

2021-1

ご無沙汰しておりますが、先生はお変わりありませんか。

パンデミックで渡航の自由が失われているから、500万マイルは延期になったでしょうね。
ワクチンは社会の救世主になってくれるでしょうか。

阪大病院薬剤部長だった美弥子が、薬学部の教授に着任しましたよ。
若い頃、二人でよく後藤先生のお噂をしていたのが懐かしいです。

私はテレワークが中心になり、運動不足なので3㎞/30分を毎日、1回か2回歩いています。
早く気楽に出歩けるようになるといいですね。

2021-2

コロナで海外旅行ができず、今年の年賀状は中止しました。
いつもは、台湾、香港、韓国から出していました。
現在、482万マイルで止まっています。
昨年は続けて2回、手術をしました。
コロナでうまく発見できたとも、いえます。 
早期発見が不幸中の幸いです。

2021-2

毎年、外国からいただく紀行の年賀状が来ないなあと思ってメールしたのですが、例にもれず巣ごもりのせいだったのですね。
482万マイルで止まってしまっているとは、落ち着きませんね。

それにしても二回も手術を受けていたとは!
医療が十分でないこの時期に、たいへんな思いをされたのではないですか。
コロナで早期発見って、肺のCTでも撮ったのですか。
とにかくご無事だということはわかるから、まさに幸いだったのですね。
先生が腰椎の手術をされたときのことを、思い出します。

病気自慢ではないですが、私は12年前に、未破裂脳動脈瘤のクリッピング手術を受けたので、オリンピックの夏にいつもアフターフォローのMRIをしています。
去年はオリンピックの延期に合わせて、検査も勝手に延期しました。
同じ頃に潰瘍性大腸炎を診断されて、アサコールで大改善し、おかげさまで、この寒いのにゴルフも大いに楽しめています。


2021-4

一昨年、勤務先の病院で白内障を手術した際、ついでに、泌尿器科から前立腺肥大の新しい処方を受けた。
3ヶ月処方なので、3ヶ月ごとに尿検査をする。
その定期尿検査で、昨年10月、異形細胞が見つかった。
実に偶然のこと、不幸中の幸いだった。
以前より血液検査や胸部レントゲンは定期的にしていたが、尿検査はしていなかった。血尿など症状は、なし。
10月末に膀胱癌でTURBT施行。イソギンチャクの乳頭がん以外に上皮内癌があった。上皮内癌は悪性化しやすく、膀胱全摘の可能性がある。
12月末より膀胱内にBCGワクチンを注入中。

膀胱癌の手術で入院中に、昔、喘息があったことを思い出して、ついでに、胸部CT検査をしてもらったら、肺癌が見つかった。
入院時の胸部単純写真では、はっきりせず。昔の胸部単純でも不明。
胸部CTの所見を知ってから、胸部単純写真を見ると、初めて疑いの所見に気づいた。答えがわかれば、見方が変わるものだと知る。
放射線の先生に訊くと、胸部単純写真のみでは診断は難しいとのこと。

たまたま撮影した胸部CTで肺癌が見つかったのは、2度目の不幸中の幸いだ。
コロナがなければ、海外旅行をしていて、検査はできなかっただろう。
12月に肺がん手術。肺を切除した分の肺活量の減少に未だ慣れず、ゆっくりしか歩けない。
BCG終了後にユーエフティ内服開始予定。

こんなわけで、5年後はどうなるか分からない。
人生は一瞬先は闇。父は97歳まで生きていた。母は95歳。私は90歳までは大丈夫と思っていた。

2021-5

どのような言葉を書けばいいのか、茫然と週末を過ごしました。

私にはどの用語も、一つ一つ調べないとわかりません。
せっかく丁寧に教えてもらっているのに、医療上のコメントをたった一言発するほどの理解もできません。

ただ先生が強いということだけはわかります。
ほんの4ヶ月の間に、こんなにたくさんの経験をしても、動じていない、冷静に客観視できる。
治療はどれもたいへんお辛いはずです、BCGワクチンですら。
その状態で肺の切除だなんて、早期発見だからといっても、治療の厳しさからいえば、どれほど不死身かを証明したようなもんです。
化学療法は、どちらにも有効だということですね。

私にできることが何もないのが残念ですが、ずっと応援していたいです。

どうかまた聞かせてください。

2021-6

あなたが病気について話されたので、私もしっかり書きました。私の肺癌の5年生存率は7割。
しかし、膀胱癌は上皮内癌なので、予後がはっきりしなくて心配です。膀胱全摘になると大変です。
昔の腰椎椎間板ヘルニアの手術、今回の2回とも手術当日の痛みがPTSD状態です。手術翌日からの痛みは何とか耐えられました。
病院の褥瘡予防のコンニャクマットは背中が蒸れて困りました。次回はエアーウイーブを持参しようかな。

自分が勤務した病院で高血圧と前立腺肥大の薬を漫然と内服しながら、ずっと海外旅行をしていたらどうなっていただろう。
肉眼的血尿で気づくほどまで進行していたらどうなっていたか。
胸部レントゲンで診断されるほどに大きくなった時には、手術は無理だっただろう。 
私の知り合いで肺癌で手術できた人はいない。

コロナも胸部CTでないと診断できない。
私の胸部CTを見たら、まさか、肋骨の仮骨の影に重なり、肺癌があった。
というわけで、昨年の10月からあっという間に4か月過ぎた。

また、何かあればメールします。

2021-7

先生のことを考えていると、次々と起こる日々の悩みごとが取るに足りないように思えて、つい苦笑したりしています。
ふつうなら見えない早期発見で肺はうまくクリアしたというのを、何度も何度も想像してみるのです。
尿検査も同じですが。

私は47歳のとき、なにげに受けた脳ドッグで何かの瘢痕が指摘されたので、D病院の脳外科に写真を持って受診しました。
すると、瘢痕は追究しなくてよいが、別途の脳動脈瘤があり、いつ破裂するかも知れないと説明されました。
破裂の可能性は年1%、80歳までに1/3が破裂、予防手術による死亡率は1%、、、というようなことでした。
そのときの衝撃の激しさというのは、言葉を借りるならPTSD状態です。
自分は健康だと思っていたので、そんな致死的な説明は、急にはどうしても受け容れられず、自分でも調べようとするのだけれども、調べるだけで嘔吐してしまうほど、神経を傷めてしまいました。
破裂するとも限らないのに、破裂の可能性と同じリスクの手術を、健康体に加えるなんて、と。
産まれたときからあったのかも知れないじゃないの、と。
なんで脳ドッグなんか受けたんだろう、異常が見つかった時にどうするかという覚悟をしないまま受けるのは間違っていた、と。
すっかり別の病気になってしまっていたように思います。

本当にいろいろあって、結局4年半後にK病院で手術を受けるのですが、その頃には覚悟も固まっていました。
手術はお医者さんがしてくれることなので気楽でしたが、手術前の脳内カテーテルは目がちかちかしたり身体が熱くなったりするのを報告する責任があったので、とてもたいへんでした。
こんにゃくだかテンピュールだか知らないですが、とても気持ちのいいカヌーのようなベッドに寝ていました。
でもぎっくり腰のような症状が出て、カテーテル後の止血の間は脂汗たらたらで息を詰めて腰痛に耐えました。
今思えば、ボルタレンかロキソニンでも入れてもらえばすんだのかも知れないのに。

ということで、一番辛かったのは告知のときだったわけです。
だから素早く受けいれて、科学的に対処する先生の姿勢が、本当にすごいことだと思うし、そうでなければならないんだと改めて思う。

こんなことを話していても、先生の話し相手にも慰みにもならないですが、もう化学療法が始まっているんじゃないかと、気にもなって。

気分のよいときにまた何か書いてください。

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