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この時期だから・・・その3

日付が変わるころ「下の様子を見て来よう」と🐵が言い出した。気付けば雨音は少し優しくなっており、雷鳴は遠くでゴロゴロときこえるだけになっていた。

停電中で真っ暗な中、携帯の明かりを頼りに階段を降りると・・・玄関部分も冠水し、階段の2段目あたりまで水が入っていた。

夜中の1時過ぎくらいだったろうか、雨が小康状態になったと同時に、ネトネトした粘土質の臭い土だけを残して溜まっていた水が引き出した。

新聞を配送してくるトラックから連絡が入り、全てが通行止めだから、うちのエリアに入れないと。ギリギリの所まで来てもらい🐵がトラックがいるところまで冠水していない道を探しながら新聞の受け取りに行った。

AM3:00配達員さん達から連絡入るがまず、ほとんどの配達員さんが家から出られないし、どうにか来たとしてもバイクでは配達できないので・・・お客様には申し訳ないが今日の配達は中止。

こんな時こそ、情報がほしいだろうに・・・本当に申し訳なかった。

夜が明けて明るくなったころに外に出た。町が・・・一夜にして町の風景が変わっていた。泥まみれ、瓦礫まみれになっていた。どこの家のだろうか、屋根やタンスのようなものが流れ着いている。川に住んでいた魚だろうか・・・たくさんの魚が横たわっていた。一番の衝撃は中学校校舎の一部が無くなっていた事。そして娘たちが最初に避難した体育館の下が削り取られ、基礎が剥き出しになっていた事。役場に避難してくれていてよかった。


歩いて回れる範囲だけ、ご近所さんに新聞を配り、町の様子を探った。

お隣さんは道路よりも低い位置に家があるので完全に冠水していた。私の親と同世代のご夫婦二人暮らし。平屋の家なので逃げるところもなく、テーブルに上がって難をしのいだとの事。まだ、家の中から出られない状況だった。

避難所は人がごった返していた。まずは役場へ行って娘と対面。連れて帰ってもいいが、学校側から「家が大変ならば、まだ避難所で預かる」と言ってくださった。電気もつかない、水も出ない家に帰るよりはと言うことで・・・娘と別れた。

町中が大混乱しているため、家から役場までたった700mしかないのに、車で往復1時間以上かかってしまった。

息子の学校からも安否確認の連絡があった。駅で足止めを食らい、帰って来れなかった事、友人の家にお世話になっていることを伝えると、さすがは私立!!「今日は休校になっているが、そのままの状態でいいからすぐに学校に来させてください」と「寮を一部屋用意します」と。「なんなら、ご両親も妹さんも一緒にどうぞ」との事。

有難い申し出ではあったが・・・「息子だけお願いします」と伝えた。

昨日、着たままの制服で下着の替えもなかったが、制服は学校側が用意してくださり、下着などはお世話になった友人宅のお母さまが用意してくださった。

その後、娘は被害の無かった友人のお宅でお世話になることになり、私たち夫婦は一日も早く新聞を配達できる状況を作るため、泥まみれの販売店、自宅玄関部分、車庫部分の掃除に徹することができた。

泥出し作業はとてつもなく大変な作業で、とにかく泥が重い・動かない・臭い・・・

夕方ごろに避難所に支援物資が届いているとの情報を聞き、お隣さんの分も含めて自転車で食糧調達に行った。




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