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開業まで37年。開業したら6年で経営破綻した鉄道会社。千葉急行(現・京成千原線)はなぜ破綻したのか?(下)

開業した千葉急行電鉄

難産だった千葉急行線ですが、1992年4月1日、千葉中央ー大森台(4.2Km)間がやっと開業します。

小湊鉄道が免許申請をしてから37年経って開業の開業です。
本来であれば複線で開業すべきところ、乗客が少ないと見込み、単線で開業しました。

こちらは唯一の中間駅の千葉寺駅。
ホームは2面あるものの、線路は一本しかありません。

車両は、京成がリースをしていた、元京浜急行1029ー1032を塗装変更の上投入しました。新車の導入はありません。

開業したものの、開業から半年の利用人数は目標の6分の1程度の1日当たり3000人弱。平均の乗車率は約5%に過ぎませんでした。「昼間はタクシー1台で運べる乗客しか乗っていないこともある」と、当時の企画課長さんは苦笑していたようです。

延長。そして廃業

1995年4月1日大森台ーちはら台6.7Kmまで開業 します。


この時、京成3050形(3067-3070)を投入。またしてもお古です。そして同時に運賃を値上げします。この時点では、2000年3月31日までに複線開業を予定していました。

ちはら台まで開業したものの、千葉急行電鉄の経営は悪化の一途をたどります。

新たに開通した区間の線路などの代金約137億円を鉄建公団に25年間で元利償還しなければなりません。この負担が年間平均10億円で、部分開通区間分の償還金13億円を合わせると、償還負担は年23億円に達していました。

結局、1998年、千葉急行電鉄は自主廃業して、京成電鉄が千原線として運行を引き継ぎます。

なぜ千葉急行は廃業しなければならなかったのか?ここで、千葉急行電鉄の経営はどうだったのか見てみます。

千葉急行の経営状態

千葉急行は鉄道業と不動産業で成り立っていました。
開業初年度の1992年度は鉄道事業の収入が1.6億円に対して、費用が10.5億円。差引8億9000万円の赤字です。
費用10.5億円のうち、4.5億円は減価償却。つまり建設費用を分割したもの。
つまり、鉄道の運賃収入が1.6億円なのに対して、人件費とか動力費が6億円かかっていました。

一方で、不動産業は開業初年度の1992年度で鉄道業の10倍ほどの収入を得ていて、黒字も出しています。

鉄道業と不動産業の合算した営業利益は初年度黒字です。


1995年にちはら台まで開業して鉄道業の収入は倍増するものの費用も倍。相変わらず赤字です。
一方で、バブル崩壊の不動産価格下落の影響を受けて1995年度は不動産業の収入が減少。鉄道業と不動産業を合算した営業利益は赤字になります。

これだけ見ると千葉急行の経営は不動産業の好調を背景に順調そうに見えますが、問題は他にありました。

借金の金利の利払です。
鉄道建設公団から元利均等払で借りている金利を払う必要があります。利払いが重く千葉急行にのしかかります。

1992年から千葉中央-大森台間の鉄道施設分を、1995年からはちはら台までの鉄道施設分の金利を払っています。

当期損益は、ちはら台まで開業すると更に悪化します。
赤字は翌年に繰り越さなければいけないため、次期繰越損益も積み上がります。


よって、営業利益は出しているものの、金利負担が重く、会社としては開業以来ずっと赤字。ということになりました。

さらに、赤字が積み重なり、1994年には資本金より累積の赤字額が多くなり、債務超過に転落します。1995年に10億円を増資するものの、債務超過は解消できず、さらに経営は悪化していきます。

1998年に入り、運輸省が中心となって千葉急行の問題を関係者間で協議します。出資者の京成電鉄、千葉県、千葉市、市原市、住宅・都市整備公団と日本鉄道建設公団を集めて「緊急対策会議」を開催します。

そこで,運輸省案を提示して、基本的に合意を見ました。

この時点、1998年3月期末の債務超過額は約70億円。資本金は34億円で、京成が38.8%出資し筆頭株主。このほか千葉市12.7%、千葉県8.3%、住宅・都市整備公団8.3%、市原市4.2%などとなっていました。

千葉急行の破綻スキーム

千葉急行線は単線で開業していますが、営業している部分は千葉急行が、使っていない部分は鉄道建設公団が所有していました。

まず、千葉急行が所有する鉄道施設を鉄道建設公団に代物返済します。借金が返せないから鉄道施設そのものを鉄建公団に返します。
そして、譲渡を受けた施設319億円と鉄建公団所有の施設320億円を合わせて時価500億円に再評価します。この結果として、鉄建公団は147億円の特別損失を計上します。

そして、営業している単線部分を京成に譲渡します。京成電鉄は300億円、京成グループは150億円を支払って引き受けます。

一方、使っていない複線化施設は沿線自治体に譲渡します。


この結果、京成や自治体が出資した資本金、計34億円は全て紙切れになってしまいます。

京成は鉄道施設の譲渡の他に、1998年3月末時点で千葉急行への出資金13億1900万円、長期貸付金120億9700万円、保証債務6億8800万円を抱えていましたが、1999年3月京成電鉄117億2400万円を特別損失として計上します。ですが、所有していたオリエンタルランド株200万株の売却で90億円の特別利益を計上して、千葉急行への債務を帳消しにしました。

京成千原線として再出発

1998年10月1日 京成千原線として再スタートします。
この際、千葉急行の運賃はそのまま京成に引き継がれて、高額な運賃のままになります。また、ダイヤも変わりませんでした。

未開業の、ちはら台から海士有木までの免許は京成電鉄に引き継がれました。


千葉急行の約60人の社員のうち、京成からの出向を除く25人の社員は、京成電鉄グループが全員引き受けました。

千葉中央からちはら台までの複線化は4万人/日 になったら行うとされていますが、現時点では2万人/日です。

当然、海士有木までの延長計画もストップ。

ちはら台駅は将来は2面3線に拡張できる構造になっていて、追い抜きができるようになっています。


小湊鉄道海士有木までの工事施工認可は、申請期限延長申請を繰り返し、次の期限は2029年10月10日です。

この先、ちはら台から先の区間が建設されるかと言われるとなかなか難しいと思います。

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