Novelber2019:08 天狼星

大日向深知は走っている。
【知識の坩堝・ご都合主義】(アーカイブマスタリ・アズユーライク)と名付けられた汎用性の高い能力で、一時的に“走り続けないと死ぬ”という属性を身に着けた。すなわちマグロ属、Thunnusだ。逃げ続けなければ死ぬのなら、常に動いていなければならないことにすればいい。速度も申し分ない。【知識の坩堝・ご都合主義】が汎用性が高いとされているのは、ひとえにその適用方法による。知識さえあれば何でもできる。極論、学べばいつでも核爆発を起こせるとも言われている。知識がそのまま力になる。完全に理解できるのなら、本を見ながらだっていいのだ。ただし、実戦でそんな悠長なことをしている暇があったら普通に死ぬし、だったら全部暗記すればいいだけなので、もっぱら『動物の学名を覚え』『その動物の特徴的な部分を抜き出す』というのが【知識の坩堝・ご都合主義】のお約束だ。汎用性が高く、学べばできる。多くの学生がこれを使えるが、果たして本当に実戦レベルかと言われると、そこまで“学んでいる”のは大日向くらいだろう。大日向深知は天才だ。疑いようもない天才だ。だからこそ、19歳で怪異対策群実務班の長をすでに5年務めているし、表向きの肩書もポストドクターだ。

「……鬱陶しいな、もう!」

それは【天狼星】と呼ばれていた。おおいぬ座最大の恒星、全天21の一等星のひとつ。その名を関する――神秘・怪異対策院の偵察部隊。こういうことがまれによくある。【天狼星】は有り体に言ってしまえば異能を人工的に搭載された動物、あるいは機械だ。古くから動物を兵器にする試みは各地で行われてきたが、動物を自在に操る能力が発見されたことで急速に技術革新が起こり、今では当然のように偵察・潜入は彼らの仕事だ。

「【天狼星の追跡】(シリウス・ビハインド)、鬱陶しいったらありゃしないぜ、ふふん」

そういう声は、欠片も鬱陶しがっているようには聞こえないのだ。
恐らく相手は紫筑の実務班長を追いかけているということすら知らない。大日向深知は固有のにおいと能力波形を持たないから、目視でなければ全く判別がつけられない。だから派手な格好を――いや、派手な格好をしているのは完全に威嚇だ。背が小さい分の。だから今は、正直に言うと適当に遊んでいるようなものだ。
そろそろだな、という直感がある。

「じゃあこれで、遊びはおしまいにしようぜ」

何故か突然。本当に突然、という他ないタイミングで、学内を走っていた回送のバスが横転する。執拗に追いかけてきていた犬二匹がそれに巻き込まれて下敷きになったのを見もせず、【死だけではなく】(ノットオンリーデス)大日向深知は、学内へと戻っていく。尻拭いもできないようなやつらがこんなものをよこしてくるわけがないのだから、早急に“安全地帯”である学内へと。

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