Novelber2019:11 時雨

廊下を歩きながら、言葉を交わす男たちがいる。
携帯を片手に歩きながらもひょいひょい人を避けて行く方、それに続く方。

「時雨がさ~もうすごくてさ」
「時雨……ですか?」
「そう時雨」
「時雨、あんまりすごいイメージ、ないですけど……」
「なーに言ってんだよお前!時雨って言ったら幸運の象徴だぞ」

続いた言葉があったような気がするが、聞き取れない。授業後の廊下は騒がしい。
ただでさえ所属学科がとっちらかっていたセミナーのあとだからなおさらだ。

「俺、時雨煮しか思いつかないです」
「ああー時雨煮な。あれもうまいよな」

紫筑生は基本的に自転車に傘を引っ掛けているので、あまり雨の心配はしない。心配すると言えば傘が盗られることくらいだし、盗られ対策にダミーの骨をバキバキにした傘を引っ掛けている人間もいるくらいだ。六月の梅雨の長雨は鬱陶しいが、秋の時雨は言うほどでも、と思っていた。故に引っかかる。
幸運の時雨ってなんだ?

「東明ん家がたまに送ってくれんだけどさ、あれめっちゃ酒が進む」
「マジですか。いいなあ」
「今度来たらうちで飲むか」

雨に関する伝承なんかを思い出そうとしてみる。天叢雲剣が雨だか天気だかを司っているなどというけれど、別に幸運だとかいうわけでもないだろう。どちらかと言えば神格だ。
狐の嫁入りは天気雨のことだし、それで虹が見れたら確かに幸運だが、なんか違う気がする。

「いいんですか?」
「いいよ。ついでだしホヤも送ってもらうかな」
「ホヤ」
「ホヤ。」

時雨のことが引っかかったまま、話はとりとめのない方向へと進んでいく。いつもそうだ。西村は放っておくとどんどん言葉を紡いでいくし、その聞き手に回るだけで楽しめるだけの話力がある。――そう、いつもそう。自分は聞いてばっかりで。

「ホヤ食ったことある?多分ないでしょ、好き嫌い分かれると思うんだけど――」
「あの、先輩」

話を遮るのには勇気が要った。きょとんした顔がすっと笑顔になって、なになに?と聞いてくる顔を見る。

「あの、最初に言ってた時雨ってなんですか」
「あ?」
「幸運の……」
「えっ?時雨だけど……」
「だからその時雨が!なんなのかって!」

数瞬の間。

「……なんか会話が噛み合わねえなとは思ってたけど……」
「はい……」

時雨とはそもそも雨の降り方を指す言葉だが、時雨煮のようにその名を関するものも存在する。そして、それは、ひとつではない。
そういえばそうだな、と言った顔で、西村は言った。

「艦これの方……」

駆逐艦時雨。
日本海軍の白露型駆逐艦二番艦。呉の雪風佐世保の時雨と言われたほどの不沈艦。あのあとに雪風のカットインの話をしたから分かるかと思った、と言われたが、そこがちょうど聞き取れなかったのだ。

「……」
「……分かった!分かったから!俺が悪かったね今のは!でも可愛いからググって!」

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