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ラッセル・ウェストブルック2011 前編 体育のバスケ,NBAのバスケ/オクラホマシティ・サンダーとかいうチーム/デリック・ローズへの憧れとジョシュ・スミスへの浮気

2011年,高校2年生だった僕はマット運動が苦手だった。スポーツは好きでどちらかというと得意な方なのだが,「体育の授業」が不得意だったのだ。体力テストはBとCの境界あたりで,通知表の成績も5段階のうち頑張っても「4」しか取れないのが常だった。
その授業は「マット運動に合格できた人から次の競技に進む」仕組みだった。その年はマット運動の次にバスケをやることになっていたのだが,続々合格してボールをドリブルし始めるみんなをよそに,僕は一人で倒立前転をし続けた。写真部の寺西くんや吹奏楽部の島岡くんが合格したあとも卓球部の僕はマット運動をやり続け,みんなから1週間くらい出遅れてバスケの授業に入った。バスケはそんなに好きではなかったが,ようやくマット運動以外のことができるとなって,最高級のモチベーションでコートに立った。
中学生の頃からそうだったが,やはりジャンプシュートは入らない。それでも,ドリブルのスピードはけっこうあった(体力テスト全般は苦手だが,50m走や反復横跳びなどのスピード系の能力だけは人並みだった)ので,レイアップで突っ込んだら点が取れた。そして,パスを出して味方をアシストするのも好きだということに気づいた。こういう役割を担う選手をポイントガードと呼ぶことをのちに知る。
と,相手のシュートが外れる。真上に飛んでリバウンドをがっしり掴み着地する最中,目の端に前線に走り込んでいる同じチームの原くんが映り込んだ。僕は反射的に,アメフトのラインバックのようにボールを原くんめがけてほうり投げた。「ハンドボール投げ」が苦手だった僕の肩も,バスケットボールを投げる時には人並みに機能した。原くんは僕のロングパスをキャッチして,そのままレイアップで得点した。美しい。自分のプレーながらそう思った。「NBAみたいだったな!」という周りの声が聞こえた。「NBA、観てみようかな」と思った。その年の体育の成績はやっぱり4だった。

中国新聞のスポーツ欄を読んでいると、NBAでクリス・ポールという選手が10数アシストを記録してホーネッツというチームが勝利したという記事が乗っていた。10数アシストというのがどれくらいすごいことなのかまったくピンとこなかったが,遠い日本でしかも中国新聞で記事になるくらいだから,すごい選手には間違いないだろう。ちょうどNHK-BSでホーネッツの試合があるらしい。見てみることにした。目当ては噂のNBA選手,10数アシストでお馴染みクリス・ポールだ。ホーネッツの対戦相手は,オクラホマシティ・サンダーとかいうチームだった。
試合の内容はほとんど覚えていない。全く記憶にない,というのが正直なところだ。クリス・ポールの印象も全くない。僕の心に残ったのは,オクラホマシティ・サンダーのある選手だった。その選手のプレーに僕は目と心を奪われた。華麗なシュート,巧みなハンドリング,破壊的なダンク…ケビン・デュラントという名前らしい。ケビン・デュラントはいとも簡単に得点を重ね,試合を支配していた。NHKの実況・解説陣も絶賛していた。なるほど。NBAおもしろいな。バスケっていいな。ケビン・デュラントすげえな。そして,「ケビン・デュラント」の存在を知っているのは,生まれ育ったこの街において僕ただ一人なのではないかと思い,ちょっとした優越感に浸る。大事な秘密を抱えているような気分だ。その日,モバゲーのゲームに登録するとき,自分の登録名を「デュラント」にしてみた。

次に見たNBAの試合のことはよく覚えている。ハードディスクに録画して,何回も何回も繰り返して見た。マイアミ・ヒートというチームとインディアナ・ペイサーズというチームの対戦だ。ヒートはその年から「スリー・キングス」を結成し,覇権を狙っている強いチームらしい。一方のペイサーズはエースのダニー・グレンジャー率いる若手主体のチームで,ここ数試合でルーキー2選手が存在感を増しているとのことだった。
1Q,ペイサーズのシュートが外れる。ドウェイン・ウェイドがリバウンドをがっしり掴んだ。と同時に,レブロン・ジェームズが前線に走り込む。ウェイドはアメフトのラインバックのようにボールをレブロンめがけてほうり投げた。レブロンはウェイドのロングパスを空中でキャッチして,そのままレイアップで得点した。美しい。僕と原くんが体育の授業で繰り出した大技と一緒だ。「NBAみたいだ!」と思った。そして,これはNBAなのだと気づいた。
試合はヒートが勝利したが,僕の脳裏に2人の選手が刻み込まれた。一人目はペイサーズのルーキー、タイラー・ハンズブロー。ハッスル・プレーが随所で光っていて,華麗なだけがバスケではないことを知った。もう一人もペイサーズのルーキー、ポール・ジョージ。流れを変えるシュートを決めていて,強敵相手に立ち向かう姿に興奮した。やっぱりNBAはおもしろい。また次もNBAの試合を見ようと思った。

ウェイドとレブロンが見せたプレーに味をしめた僕は,その後の体育の授業でもロングパスを狙いまくることになる。一度成功したことは繰り返したくなる。みんなだってそうでしょう?そして,パスの数だけターンオーバーを犯すことになる。一度決まった大技に味をしめて繰り返すMVP受賞選手の存在を僕が知ることになるのは,もう少し先の過去でのことだ。

僕がその後の人生を通じてNBAを見続ける決定打となったのは,シカゴ・ブルズとボストン・セルティックスの試合だった。この試合でデリック・ローズという選手が大暴れをしていて,彼のプレーが僕の「バスケットボール」のイメージをひっくり返した。初めて見たNBAの試合では,ケビン・デュラントが華麗なシュートで他を圧倒していた。鮮やかな外角シュートこそがNBA的プレーなのだ。そういうものだと思い込んだ。しかしローズは違った。圧倒的なスピードで狭い隙間をこじ開けドライブで得点を重ねる。こんなことが可能なのか。今まで見てきたNBAは体育のバスケの延長にあるものだと感じていた。つまり,NBAは巧さ,高さ,力強さが違ってはいるけれど,体育のバスケもNBAのバスケも本質的には「バスケットボール」であることには変わりないと思っていた。でも,僕がいま目にしている「これ」は違う。「これ」は何か…別のものだ。「これ」は同じバスケットボールなのか?ローズのプレーを形容する言葉を,NBAを見始めたばかりの僕は持ち合わせていなかった。NBAを見るようになった今でもまだ見つけることができていない。高校生だった僕は「次元が違う」と言葉の意味を直感した。僕はローズのドライビング・レイアップに魅せられ,またローズの試合を見たいと思った。「またこの選手を見たい」,それは生まれて初めての感覚だった。
僕はその年のプレーオフを,デリック・ローズの所属するシカゴ・ブルズを応援しながら追いかけた。プレーオフで対戦したアトランタ・ホークスのジョシュ・スミスに浮気しそうになりながらも,ローズを追いかけた。ブルズはマイアミ・ヒート(ロングパスでおなじみウェイドとレブロンのチームだ)との対戦で劣勢に追い込まれたが,それと反比例してローズへの憧れが強くなった。山本浩二監督時代の広島カープを,アンディ・シーツを獲得したころの広島カープを応援した育った僕は,敗北に向かうシカゴ・ブルズを応援した。

シカゴ・ブルズはヒート相手にカンファレンス・ファイナルで敗退した。

東でブルズを応援する傍ら,西の対戦も BS NHK で観戦した。ダラス・マーベリックスとあうチームと,あのケビン・デュラントのいるオクラホマシティ・サンダーとの対決だった。当然僕は,NBAを見始めるきっかけになった選手であるデュラントのオクラホマシティ・サンダーを応援した。しかし,サンダーの足を引っ張る厄介な選手に,僕は腹を立てることになる。それはラッセル・ウェストブルックという名のガードだった。

続く。

※高校時代の友人の名前は仮名です。

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