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関野佳介「聞いて話してを重ねる(5日目)」

2023年11月8日(水)
午前中、7月から中南米を旅している友人から電話があった。彼は今ペルーのアマゾンジャングルの地域にいるらしい。MAWの期間中私たちが「旅人」と呼ばれていることに興味をもっていた。たしかにどういうことなのだろう。昼ごろには前日の日記を書き上げ、今日も劇場へ。昨晩撮影した映像を見返した。結局16時ごろまで作業をしていて、なんとなくラストシーンの方向性が少し分かりそうな気配がした。でもまたすぐに見失ってしまうかもしれない。

noctariumを出て丹治さんの参加している展示に行く前に、マウント劇場の大家さんを訪ねに「はんこ屋さん21」に寄った。昨晩勝呂さんに劇場ツアーをしてもらい、映写室の備品や映写機を見て、どうしてもどのような人たちがそこで映画を上映していたのかが気になった。最初に受け答えをしてくださったのはお母さんで、お父さんは仕事中とのことだった。劇場の歴史の概要を説明してもらった。わたしたちが滞在しているマウント劇場があるマイロード商店街にはかつて、他にも御殿場中央劇場と御殿場新橋劇場があったとのこと。住民たちの間では「劇場通り」と呼ばれていたらしい。映画がテレビ代わりだった頃には、マウント劇場もかなり賑わっていたという。私が名刺を渡し、映画を作っていることを説明すると、裏で仕事をしていたお父さんも出てきてくれて、「昔はねえ…」と彼の見てきた劇場の様子を語り始めてくれた。時折過去を振り返りながら嬉しそうな表情をするのが、私もなんだか嬉しかった。劇場の運営や映写を家族で、二代目のお父さんも技師として映像を写していたことを教えてくれた。現役の頃は移動映写機とスピーカーを軽トラに積んで、小学校や地域のお祭りでも移動上映をしにいったそう。作品の上映期間は最盛期の頃で一週間程度で、期間が終わるとすぐにフィルムを次の劇場に郵送し、また別の作品が手元に届くという。映画がフィルムという物体の姿になって旅をして、人々に届いていた。現在では映画祭や上映イベントにデータで作品を提出し、選ばれれば自分自身が上映場所に招待される。そのためか映画が旅をしているというよりは、私自身が映画のおかげで旅をしているという感覚の方が強いかもしれない。

加藤ご夫妻との話を終え、Gotemba Apartment Storeに到着した頃にはトークショーが始まっていた。残念ながら今日は展示を見ることができなかった。堀さんは作家活動の他にも配送業で働いているという。自分が担当する配送区域を身体全体のように例え、自分が血液となって荷物を必要な場所に届ける。そのように認識して仕事をしているという話が印象的だった。ずっと籠って制作をするのも良いけれど、外に出て身体を動かすこともまた自分を世界と繋ぎ止める方法のひとつだと思う。堀さんが言っていた「雨の時は雨に濡れます」という表現が好きだった。アーツカウンシルの立石さんが、「アーティスト」や「現代美術」の排他的な印象に対して、実際に人として関係を築くことで考えが変わっていったという過去のホストの話をしてくれた。私たちを「旅人」と呼ぶところにも、そういう作家の近寄りがたいイメージを軽くする意図があるのかと想像した。

夜マウント劇場で開催されたGotemba Meetingでは想像以上に多くの人が来て、勝呂さんを手伝ってドリンクや軽食をふるまった。序盤は想像以上に忙しく、学生時代の飲食アルバイトを思い出した。会場の人数に比べると、実際に会話をすることが出来た人数は少なかった。勝亦さんが声をかけてくれて、私の滞在中の映像日記をスクリーンで流した。ここにいる人たちが記録しておきたいとおもう瞬間を、私が少しだけでも残せていたら良いなと思う。

ミーティング中は夕飯を食べていなかったので本当に空腹だった。何人かで抜け出し居酒屋で腹ごしらえ。その後HORAANAというピザ屋さんで、MAW関係者もそうでない方も混ざって結局夜中の1時半ごろまで話していた。最後マウント劇場に帰ってきて、勝呂さんが旅人3人と堀さん、ディランさんにお茶を入れてくれた。みんなで温かいマグカップを握ってソファに座る深夜2時過ぎ、旅も終わりが近づいていることを意識し始め、密かにしんみりとしていた。

映像日記はこちら⇩

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