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かずさ「三保チルべ」(6日目)

今朝、歩いていたときに落ちていた松葉をみて、ふと、筆にして絵を描いてみたくなった。

松葉を集めた袋。積まれていた。松の落ち葉は雑草などの栄養になってしまうそう。松葉かきをされている様子は毎日目にする光景だった。「三保の松原」はこうやって地元の人々の手で守られている風景なのだと実感する。
ふと、拾った松葉の先を揃えてみた
持っていたテープでとめてみる。もう筆っぽい。

このまま、すぐ描きたいと思い、ホストのOtonoさんの拠点「Otonoma」へ

コラボレーションスペースOtonoma
コワーキングスペース
内装も素敵
かわいいライト
清潔感のあるお手洗い
お花がたくさん
かわいい
とてもきれいなお手洗い

Otonomaのコワーキングスペースを使わせていただき、作った松葉筆で水彩画を描いてみた

わりばし、わごむ、テープで即席の松葉ふで。水彩絵具は近くのスーパーでかいました。
束なったまま落ちていた松葉は、そのまま使ってみました。
まつぼっくりがパレットにならないかな?とおもったけど、使いにくかった。。ので、お手拭きの袋をパレットに。
松葉の先が紙をこする音が「しゃっしゃ」ときもちいい。
完成しました!

楽しくお絵描きできたので、外に繰り出すことに。レンタル自転車をお借りして、GO!

レンタサイクルもしているOtonoさん。借りてみました。
まだ展示を見ていなかった「みほしるべ」に。
駐輪場のそばに松のあかちゃんが。かわいい。
エントランスです
Otonoさんの行っている音声ガイド事業。展示を、ガイドを聴きながら、じっくり堪能。
屋上からまんまるい太陽が。
天女まる子ちゃん。
2階では、松の木でつくった楽器が。とてもあたたかい音色。差し込む光と音に包まれて、あたたかい気持ち

そのまま駐輪所に自転車を止めて、海へ。
この日は風が強く、波の音が昨日よりも力強く感じた。富士山は隠れているようだ。

今日はくもり
ふと、落ちている小枝をみて、筆に使えそう、と思い拾いました。
こちら。
カスタム!

筆を置いた石のそばに「はちまき石」があった。


はちまき石。初日に教えてもらったので、あ、はちまき石だ、と、目が合う。

はちまき石は海岸にごろごろ、転がっている。見つけて願い事を書くと、願いが叶うと信じられている、と初日に地元の方に教えていただいた。

みんなの願い事が書かれた石。
初日に書いた石と再会。
羽車神社
落ちている願い事。

わたしの願いはなんだろう。
わたしは今、もっと自己と向き合う必要がある、と感じている。
それは、直前に開催した個展「藁う手」を通り抜けて今、感じていることだ。

しばらくお腹に乗せて、目を閉じる。石の重さと、背中に、日光で温められた石の温もりを感じながら、波音をきいていた

わたしは以前からよく、アーシングをすることがあった。
裸足になって、海や川、沼地に立ち、足の裏から身体の電気を放電する、アーシング。
だけど、三保に来て、三保の皆さんの日々の「保全」活動に触れて、ここで「排毒」行為はしたくないと思っていた。
そもそも、聖地、と呼ばれるような土地に来て、エネルギーをチャージする、という意識がわたしにはなかった。わたしは今まで、全身から感じとる壮大な自然の風景の中にいると、自分の異物感を感じていたと思う。そして、アーシングをして、自分の悪いものを、排出する。
それは2つの意味で、今は違和感がある。
1つは、神聖な地に不浄なものを浄化してもらおう、という考え方が、おこがましいことだと感じていること。
もう1つは、わたし自身の存在は、不浄なものではない、と受け入れたかったからだ。

一度、わたし自身の存在をそのまま「わたし」が受け入れることから、自己を見つめたい。
だから、アーシングをやめた。裸足になって、松林の中で「碗琴道」をしたときも、海辺の石の上にいるこの時も、裸足でただ、感じ取っていた。
「ちゃーじ」
と小さくつぶやいてみたけど、きっと波の音が飲み込んだ。

わたしは、この「いし」を見届けることにした。松葉筆ではちまき石に富士山を描いた。石を波打ち際に置いて、見失わないように注意深く、観察する。
波は、いつも同じではなかった。
わたしが油断すれば、足元まで来て裾を濡らす。もっと油断すれば、きっとさらわれる。
わたしは石をみる。
何度も何度も、泡だった波が石の姿を隠した。その石を見続けた。

やがて、この石の姿が現れる。

(なお、環境に配慮した水彩絵の具を使用しました)


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