見出し画像

Yoko Ichikawa「御前崎滞在レポート(まとめ)」



海と山の違い

海なし県人の海の旅が終わった。

静岡には地縁がないため、初めは御前崎がどんな場所が全く想像がつかなかった。私の生まれ育った場所は山に囲まれた場所だが、御前崎は正反対だった。

故郷との共通点を感じたのは、とにかく風が強いということ。上州のからっ風は非常に有名だが、冷たい風が体を鋭く突き刺すような、そんな寒さが特徴だと思う。

一方、御前崎の風は人を吹き飛ばすような力強さを感じた。同じ風といっても、海と山でこんなにも異なるのかと気がついた時は、非常に興味深かった。


自然と文化

御前崎について考える時、なぜかいつも和辻哲郎の「風土論」が頭チラついていた。賛否両論ある論考だが、自然と文化の関係性をよくまとめている。

御前崎で出会った皆さんは(全員といってもいいくらい)、エネルギッシュな方々ばかりで、きっと「御前崎」という場所で過ごされているからこそ、確固なアイデンティティが作り上げられているのではないか。そんな海風の力強さと太陽のようなエネルギー持ったを人々ばかりだった。


アートの可能性

御前崎はアートとの親和性が高い場所のように思う。博物館や美術館など、芸術文化を担うハード面はこれからかもしれないが、移住促進や教育、スタートアップなど、アートの掛け合わせは無限大だと感じた。

一方で、原発の存在は切っても切り離せないのも事実だ。この土地でアートをどのように活用すべきなのか。アートがこの土地で需要される意義は何か。アートの先にあるものは何か。今回の旅は、アートディレクターとして深く考えることが多かったように思う。


考え続けること

ただ一つ言えるのは、考え続けなければ、何も生まれないということだ。
 
「教育は国家百年の大計」という言葉がある。100年後に国を支える人材を育てるためには、長期的な視野を持って人を育てなければならないという意味だ。特に教育分野にいた人間だからか、私はアートにもそれに近いものを感じている。
 
「アート」という言葉の概念は、時代と共に変化してしまった。一人一人にとって“アート”があり、アートに対する答えは千差万別に存在する。特に日本においては、アートを考える機会や他者と議論する機会が少なく(非常に物悲しいが)成果が目に見えにくいアートを尊重する文化が醸成されにくい。

だが、アートは決して無駄ではない。アートこそがさまざまな課題を解決するために必要な考え方であり、全ての世代が身につけるべき感性だと思う。

“アート”は短期間で理解されるものではないが、“アート”がいらない人など何処にもいない。これからも長期的な視野をもってアートの可能性を考えていきたいと強く思った。


終わりに

「旅には忘れ物があるといい」。これは今回の旅路で出会った方の言葉だ。元々、地方創生のプロジェクトに携わる機会が多い人生だったが、今回の旅路を通じて、やはりやりがいのある分野だと思ったし、何か新しい挑戦のお手伝いができればと思う。
 
御前崎で出会ったすべての方々とのご縁を大切にしたい。今度行く時はどんな忘れ物を取りに行こうか楽しみだ。そしてきっとその時のも何かを忘れ物をしたいと思った。

この場をお借りして、この貴重な機会をくださったアーツカウンシルしずおかの皆さん、ホストのOMAEZAKI CLUBさん、アーティストの皆さんに感謝を申し上げたい。

何かご協力できることがあれば気兼ねなくお声がけください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?