関野佳介「からだと映画(4日目)」
2023年11月7日(火)
午前中は日記を書いて映像日記を作っていたら終わってしまった。丹治さん、勝呂さん、桜井さんとお昼ご飯を食べに、さかたみという串揚げ屋さんに行った。久しぶりの定食にテンションが上がった。
午後は丹治さんが展示の準備をするのでGotemba Apartment Storeへ。森谷さんが建物の最上階まで案内してくれて、そこからの富士山の眺めは今まで見た中で一番圧倒的だった。遮るものが何もない。森谷さんの話の中で、御殿場では家の設計上、トイレから富士山が見えることが多いということが興味深かった。山梨の人たちはまた違って、富士山を南側に見るらしい。生活の中での富士山の印象が、地域によって違うのだろうと想像する。
日没ごろ、ひとりでまた駅前の駐車場上の展望スペースへ。私はなぜかこの場所が好きで、最初勝呂さんに案内してもらってから3日続けて来ている。富士山を街と一緒に見られる感じが良いのだと思う。完全に暗くなるまで屋上でぼんやりと過ごし、宿に戻った。
今日夕飯を作ってくれたJPさんがとても面白い方で、会話をしているだけで笑いが絶えなかった。言葉選びや表現が、絶妙に面白い。でも彼はあまり自分自身のことを話さなかったので、そういうシャイな部分もあるのだろうなあと感じた。また会って一緒に時間を過ごしたいと思う人たちが毎日少しずつ増えているのが、この御殿場滞在で一番の嬉しいことかもしれない。
展示の設営を終えた丹治さんと安里さんが夜の10時ごろ宿に戻ってきた。予定より時間がかかったので、かなり疲れている様子だった。どんな展示空間になっているのかとても楽しみ。ふたりが夕飯を食べている間。勝呂さんが後ろのソファで眠そうに目を閉じていた。旅も半ばを過ぎ、仕事に加えてホストをするのも大変なはずで、彼もまた疲れがたまっているのかもしれない。毎晩遅くまでお酒も飲んでいる。
夕飯の後、國吉さんも誘って、初めてマウント劇場の3階4階、元々劇場の2階席と映写室だった部分を案内してもらった。2階席は高さ的にプロジェクターの位置と近くなるので、スクリーンが観やすかった。私は2階席から映画を観た経験がないので、嬉しい気づきだった。
4階の映写室にも入らせてもらった。自分が分かるようで分からない映画の設備に囲まれて、複雑な思いだった。私の場合はデジタルでの制作環境に置き換えて、「今でいうこれにあたるのかな?」という想像で解釈するしかなかった。でもそういった設備を見ることができて、どんどんのめり込んでいった。
他にも当時の上映方法の説明書きや注意点が掲載された紙、作品のアスペクト比によって映写機の調整をするグラフなどが残っていた。映写機レンズの焦点距離や角度、コマを送るスピード、そういうものを人間が測って調節して、やっと光を思い通りの形と速さでスクリーンに映し出すことができる。
やっぱり映画はもともと、身体を動かすものだったのだと改めて実感した。私が物心ついたときにはもう既にデジタルが主流だったので、フィルムを映写機にかけていた時代を直接は知らない。フィルムで映像を撮影した経験もない。よく「フィルムルック」といって、フィルムのような色合いをデジタルの映像でも再現することがある。しかし私はフィルムの質感を再現したデジタルの映像に、どこか空虚さを感じることがあった。やっぱりフィルムからデジタルへの移行で一番大きく変わったのは、見た目ではなく、映画に対する撮影や編集、上映、保管の身体感覚だったのではないかと思う。
劇場内ツアーが終わり、今日はお開きに。私は部屋に戻ってからも興奮が冷めないまま、映像日記の編集を始めた。一段落して寝る準備をしようと部屋の外に出ると、ふとこの興奮状態のまま劇場の様子をカメラに記録したい衝動に駆られた。私は再び部屋に戻って機材を準備し、キッチンやダイニングの共有スペースから撮影を始めた。
深夜の2時を過ぎたあたりでディランさんが戻ってきた。大学時代の友人と飲みに行っていたという。体調を崩していたみたいなので、少しでも元気になって楽しめているようでよかった。彼が御殿場に約4年ぶりに戻ってきたことで、勝呂さんがとても嬉しそうなのが私も嬉しい。
私はそのまま撮影を続け、少しだけ宿の外に出た。夜中ほとんど誰もいない通りでは、居酒屋やカラオケの看板のLEDが点滅し続け、マウント劇場をいつまでも照らしていた。劇場が呼吸しているみたいだった。3時半ごろ部屋に戻って就寝。
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