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久木田茜 龍山滞在レポート(まとめ)

MAWから無事に帰宅し、それからいつも通りの生活に戻った。
まとめレポートがなかなか書き始めることができなかったのは、この2週間の間に私の中に何か変化があるか期待したかということ。
龍山に訪れて過ごした1週間から、2週間という時間を経て思い返す一番のキーワードは私にとっては「自然と人工のバランス」である。
この自然物と人工物は、私が装飾物を通して表現したいテーマでもある。
だから、まあ結局自分の関心に引き寄せてしまっているのだが、この町の自然と人工のバランスについて改めて考察してみたい。

秋葉ダム
秋葉ダム近く
人工林

人工的な自然が覆う町

まず、私はこの旅の目的に何よりも漠然とした「自然」を求めている一面があった。現在いる人工的な棲家から全く異なる地としての自然を求めるには、人口400名ほど、かつ町の面積の90%以上が自然、という謳い文句の龍山が理想的だと思われた。

しかし、龍山町を覆う全体の景観のほとんどは、人工林とダムであると言っても良い。山と山の内側に住む人たちとそれを覆い尽くすような人工林。
そしてダムによって作られた天竜川のようでもある、人工湖・秋葉湖。
これらは人の手が介入した自然である。

特出した一面のなさ

ふとふと考えてみると、龍山という場所はこのような林業やダムの中に埋没した小さな里山である。
産業地としての人の出入りはあるが、それ以外は特に目立った一面がないような印象を受けるのはそのためなのかもしれない。
こういった人工林によって成り立っている土地に対して、無邪気に自然と捉えることに次第に違和感を覚えた。
なぜならこのような人工林は、美しく整えられて自然の持っているような混沌とした様子からはほど遠い存在だからである。
人工林によってできたこの町の自然は、一見没個性化して人が住みやすいように整えられているようにも感じた。
またダムの存在感は強烈である。
巨大なコンクリートの一面は無機質で、自然から遠いような物質的な印象を受ける。
上流から流れ込んだ土砂を日々運ぶダムの従業員とダンプカーの行き来。
これらは、日本における近代化が残していった、「いつまで続くかわからないゴミ処理」といった物語を創発させる。

しかし、足を踏み入れてみなければわからないもので、この人工林の間にさまざまな生態系が存在するのは確かだ。
それらは、山から見下ろす全体の景観に対してとても小さく囁くように存在している。

小さきものの囁き シダ・苔・鹿・民話

龍山には苔が多い
シダも多い なんだかよく探したウラジロ、、
民話をまとめている方からの資料を見させてもらう

町のほとんどが人工林とダムだから、もちろんそれ以上のものは見当たらないだろう。
とはいえ、こういった作られた自然の中にも、それぞれの持っている生命力を発揮するように小さな生態系はその土地にのびのびと生きている。

また、民話や江戸時代からの文化を復活させたぶかタコの行事などは、細々と人が守ってきた龍山の小さな歴史である。
このような文化は、不思議なもので現代においてはあまり輝きを増す物ではない。
このような江戸時代くらい?からの、魅力的な文化の断片は今後残しておきたいと思う人たちには大きな課題がある。
受け継がれた民話や文化は、現代で輝かそうならばまた人の手によって何らかの意味を持って機能すべきである。
守るだけでは、それらの持っている各々の役割は発揮されず、良くても博物館や資料館というアーカイブに収容されて終わりであろう。
守ろとうとする行為の裏側には、この町の担ってきた歴史を何かに生かすという目的を持たなくてはならない。

小さな龍山町から見えるもの

今回、龍山町という「やがてなくなるのかもだろうと思われる」町にきた上で分かったこと。
この町は小さい。
この小ささは、山と山の間にある地形だからこそ、山の上に登った時俯瞰してすぐ理解できる。とてもローカルで小さくて愛おしい町である。

この小ささ、というスケールが龍山のある意味最もとした魅力であると感じる。
人工林という整えられた自然の中で、小さな自然やひっそりと生きる小さな生命と文化と出会うことができる町だ。
このような全体と細部を持った構造だからこそ
親みを持てて、「私だけのお気に入り」を探せるのが龍山のいいところなのかも知れない。

以前の日記にも書いたが龍山町に小学校が廃校になった時点で、この町の発展や成長は望まれなくなったと言われている。
人口はどんどん減少し、若者はもっと賑やかな町に出て、老人ばかりが残るようになった。
これまでの文化の残滓を残しつつ、一部の若者たちが苦戦してこの町の復興に関わる様子はさまざまな課題を抱えつつも何らかの希望を感じるものはある。

MAWの日々は、素晴らしいおもてなしの日々で充実したなりにも、忙しい日々だった。
だからが故に、車でふらふらっと人工林の迷路に迷い込み、何らかの生態系と出会うことが私だけのお気に入りの龍山の関わり方だった。
また、この取り止めのない小さな歌の囁きを聞きに、龍山に行きたいと思っている。

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