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和々寺らおんとは何者だったのか?

はじめに


おんねこの第二次ブームが起きています。

X(旧Twitter)にある程度触れていればその名前くらいは目にしたことがあるかと思いますし、この記事まで来てくださっている方であれば作者であるらおん(旧和々寺らおん)先生やその作品の数々についてもある程度はご存じであると信じて、あえて細かい説明は割愛させていただきます。

ちいかわのパクリだろ!という意見が主に取り沙汰されていた昨年夏の第一次ブームとは少し変わり、今回のブームは先生にインスパイアを受けた有志によるファンアート、それらを発表するおんねこ専用(本来あってはならない概念です)アカウントの増加、さらには数コマしか登場しないモブであるはずの、おんねこ族の幼体やウッドン行きのタクシー運転手の方がよっぽど可愛い!と再デザインされ萌えキャラとしてフィーチャーされるなど、ある種異様な盛り上がりを見せています。

SNS発信マンガ戦国時代の徒花と思われていたおんねこですが、一年の時を過ぎた今ファンによって歪な形の実を結ぼうとしているのです。

良くも悪くも自らの思惑とは違う方向に事が進んでしまうのはいかにも先生らしく微笑ましいですし、私もXにおいてそんな先生の作品を擦ることはありますが、ここ最近の動きには手放しで喜べないでいるのが正直なところです。

そもそもパクリから始まった作品ですし、おんねこやその他のらおん作品が単なるインターネット面白コンテンツになることでこれまでの先生の悪行(無料で描いてもらった背景を断りもなく流用し、Kindle作品として今も発表していることなど)の数々がうやむやになってしまうことは絶対に避けなくてはなりません。また、一旦おんねこを捨てた先生が再ブームを知り、今になって権利を主張してくる可能性もゼロとは言えません。

ただ、笑っているだけではいけない。

そう考えた私は次のようにpostしました。

プチバズとすらいえない伸びですが、私のような弱小アカウントにおいてはまず見ることがない数字です。何より、これで世間が和々寺らおんについて考えるきっかけになったかもしれない。そう考えた私は、リポストしてくださったアカウントのその後の投稿を全て調べることにしました。

しかし、リポストの後に言及をしているアカウントはとても少なく、たまにあったとしても「そもそもこいつのことなんて知りたくないだろ」といったある意味至極真っ当な意見ばかりで、打ちのめされただけに終わりました。

そして最近になって分かったのですが、2023年12月現在のXではどうやら「おんねこ」「らおん」などのワードを入れるだけでインプレッション数が上がり、ある程度のいいねリポストが担保されるようです。世も末とはこのこと?

おんねこは、ただの淫夢になってしまうのでしょうか?

少なくとも私はそれを望みません。

昨年夏のこのつぶやきを見たときに感じた強烈な不快感と、強い憤りの炎は今でも私の中で静かに燃え続けています。

私の目標というか願いは、らおん界隈の考察の数々を見て自己理解を深めた先生が、これまでの罪を償い心から謝罪すること。そして、前途ある絵描き志望にとっての有害サイトであるテラストーリーズを削除することです。

そこで第一歩として、和々寺らおんについて掘り下げるこのnoteを書き始めた次第です。

私の中にある正義をテーマにしました。



今まで長文を書いた経験がほとんどない上に、年末という仕事などにおいても非常に忙しい時期の合間を縫っての(ちなみにこういった聞いてもいない言い訳が非常に多いのも先生の特徴のひとつです)投稿となりますので、読みづらい部分も多々あるかと思いますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。



イキリ発言

大好きな自己啓発書に影響されてか、先生はかつて意識が高い、というかそれを超えてもはやイキリの域に達しているpostを量産していました。

いったい誰に向けてなのか、マンガのテクニックに関しての講釈postも多く、それらのスクショと先生の作品画像を同時に貼り「口だけで全然実践できてないじゃねーか!」とイジるのがらおん界隈の風物詩となっています。

しかし私はあるときふと思いました。

「これって本当に先生の言葉なのだろうか?」

らおん界隈の方々にとってはもはや常識ですが、先生は誤植が多いです。

SNSのプロフィール文や作中のヒロインの名前など、絶対に間違ってはいけない場面でも誤字を連発する始末で、基本的に文章やマンガ等を世に送り出す際に推敲・校正の類を一切行っていないことが推測されます。

また、本当に先生の感情が乗った日本語は基本的に崩壊します。

落ち着いてください

比べてイキリpostの数々、内容のムカつきはさておき先生にしてはあまりに文章が整然としていないでしょうか?気持ち良くなりながら書いたとしたら尚更。

私の仮説としては「自己啓発書や技術書を読んだ人の感想文やpostを、先生がその意味や本質を半分も理解していないのにそのまま引用した。」です。それなら前述の言行不一致にも納得がいきます。

因みにこの考えに至ったヒントとして、2007年に亀◯史郎さんが息子に宛てた手紙の内容が「侍ジャイアンツ」に酷似していた出来事があります。興味のある方は調べてみてください。

先生が息をするように剽窃しているとしたら、もしかしたら本当におんねこをパクった自覚すらなく、謝罪してもらうのは不可能なのかもしれません。

初っ端からこのnoteの目的を否定するようで気持ちが暗くなりますが、めげる訳にもいきません。考察を続けます。



嘘松疑惑

昨年夏におんねこと並んで物議を醸した、先生の代表作のひとつ「最低男子力の底辺から這い上がる婚活日記。」

長いので、ネットでの俗称に倣って「おんねこ婚活」と呼びます。

主人公てっく(=先生)が婚活にチャレンジするおんねこ婚活ですが、この作品を描くにあたって先生は事実をかなり捻じ曲げているというのが私の見解です。

一例として、てっくが巨乳美女から誘われたものの、たまたま家でオナニーを二回済ませていた後だった為に泣く泣く断念した回。

独特の雌雄眼はらおんパースと呼ばれています

いかにもおっちょこちょいなエピソード…と流してしまいそうですが、私の中の嘘松センサーがこれに反応したのです。理由を二つ述べます。

①三十男が、女性と会う前に二回も自慰をするか?

このエピソードで、てっくが女性と会うのは前もっての約束でした。

性欲旺盛な高校生がデートの前に一発抜く、ならまだ理解できますが、おんねこ婚活を描いている時点の先生はとっくに三十路過ぎ。ちょっと信じがたいことです。

あまり想像したくないことですが、先生の性欲自体はむしろ弱めだと私は考えます。

というか、人生経験が乏しく他者からの承認を得られずに育ってきた為か、まだそのあたりが未発達なのです。

創作物において、やたらと女性とのロマンスを絡めたがる先生ですが、女好きというよりは、「僕のことを見てよ!」と母親の無償の愛を求めて泣く幼子のようなものです。また、性欲と連動すると言われている食に対しての関心も希薄。例外として卵は頻繁に登場しますが、シンプルに幼児性の表れでしょう。

②エピソードとしてボヤけている

先生の描く創作マンガは基本的に冗長で、結局何を言いたいのかがわからなくなりがちです。

対して実体験(オーダーミスをなじられた、回転寿司に連れて行ったことを指摘してきた女性の肌が汚かった、バレンタインチョコの渡し方が気に食わなかった)を基にしたと思われる話は、短い描写ながらネットミームを生み出す程の力があります。

今回のエピソードは前者に近いように思いました。


では巨乳美女なんて真っ赤な嘘?

それも違うでしょう。先生は全くないエピソードからエッセイ漫画を描けるほど器用な人ではありません。

この謎を解くには、性的未熟者でありながら過度に膨れ上がった先生の自尊心が関係してきます。

ソースは失念してしまいましたが、先生はこのおんねこ婚活を、モテない主人公のドタバタコメディとして描こうとしたそうです。タイトルの付け方からしてもそれは見て取れます。

しかし異常にプライドが高い先生は、本当にバカにされることには耐えられないのです。

決めつけで恐縮ですが先生のような、言葉を選ばずに言えば弱者男性が女性と接する際には、もっと惨めなシチュエーションが発生したり、時には人格を否定されることもあるはずです。

しかしおんねこ婚活においてのてっくの残念エピといえば、上手くリードできなかったり既読スルーされる程度で、あとは「肌が汚い」「年上すぎる」と一貫して女性を選ぶ立場の主人公として描かれています。

先生の女性蔑視は凄まじいものがあり、創作物において登場するのは基本的に従順で頭が弱く、男性(=先生)の至らなさを非難せずに無条件で受け入れてくれるヒロインばかり。たまに勝気な女性も出てきますが、せいぜい可愛くワガママを言ったりツンデレ気味だったりする程度。本当に生意気な言動をする女性は先生にとって我慢ならない存在なのです。

なお作中でみどりちゃんという女性といい仲になったてっくは「やましいことがあるからスマホを見せられないんでしょ」ともっともな指摘に対して逆ギレとも言える激昂を見せます。おそらくこれは実話でしょう。

話がずれてきましたが、このエピソードの真実として「女性を口説きたかったが挙動不審になり気味悪がられた」が、それを描くのはプライドが許さず「巨乳美女に誘われたが賢者モードのために断念」に改竄した説を推すのは、流石に底意地が悪すぎるでしょうか?

いずれにせよ真相を知るのは先生ただ一人です。

ちなみにこのエピソードはKindle版では読めなくなっているようです。迷惑をかけたくないので名前は伏せますが、らおん界隈で名を馳せている方が自アカウントで全ページを載せていらっしゃるので、興味のある方は探してみてください。



デトロイト・メタル・シティ

メタルバンドのボーカル、ヨハネ・クラウザーII世として活躍する青年、根岸崇一が主人公のマンガ、「デトロイト・メタル・シティ」

松山ケンイチ主演で映画化され、私も公開当時劇場まで足を運んだほど大好きな作品です。

なんと言っても根岸のキャラ造形が絶妙なのです。線の細い見かけに隠された根性の悪さ、徹底した他責思考、度を超えた被害妄想、物腰こそ柔らかいもののその実尊大で、謙虚さとはまるで無縁の性格…

待ってください、これって誰かさんと似てませんか?

奇しくも、デトロイト・メタル・シティが映画化された2008年当時の先生と根岸は同じ23歳。先生がもし同作を読んでいたら一体どんな感想を抱いたことでしょうか。

いずれにせよ、根岸のようなキャラクターを意図的に創り出した若杉公徳先生の技量には本当に頭が下がる思いですし、それを地で行くらおん先生は天性のエンターテイナーなのかもしれません。


すみません、ここまで書いておいてなんですが、類稀なメタルの才能で商業的に成功し、好きなこと(ポップミュージック)への情熱を持ち、友人にも恵まれている根岸と和々寺を並べるのはやはり違う気がしてきました。

この章は無かったことにしてください。



そもそも実在しない?

プライドの塊のような先生ですが、意外にも(先生が言うところの)アンチとレスバをしたことはありません。

自分の作品に好意的なリプライをくれた人に対する返事も、ただのオウム返しや定型文のような内容が多め。まあ毎回捻った回答をする必要もないとは思いますが、ちょっと味気ないですよね。

以前に、先生とメッセージでやりとりをしたことがある方の話を伺ったことがあるのですが、やはり送信した内容をコピペしただけのような返信が多く、レスポンスも遅めだったとのこと。また、こちらの意図を汲み取ったりしてくれることは基本的になかったそうです。

先生がコミュニケーションを苦手としていることは想像に難くないですが、これらのエピソードを並べると、コミュ障を通り越してまるでポンコツな人工知能のような印象を受けます。

また、昨年夏のおんねこ騒動からずっと擦られ続けている先生やらお作品ですが、これを書いている今ですら、新たなツッコミどころが見つかっている有様で、しかも難癖や揚げ足取りではなくどれも真っ当な指摘ばかりなのです。これは本当に異常なことです。

YouTubeやTikTokなどのソーシャルメディアは、利用者がいかに多くの時間を自社のサービスを使うことに費やしてくれるかを重要視し、開発者がしのぎを削っているそうですが、これだけ人々の時間を奪い続けるWaWajiはそんな目的で開発されたbotなのかもしれない…!

世界の真実に気づいてしまった私は、半ば大真面目に「和々寺は人々の生産性を奪う為に某国が極秘開発したbotに違いない!」といった内容をpostしたのですが、反応をくれたのは一部の好事家のみでした。

いずれにしても、先生が人間の形をしていない可能性は捨てきれません。

話は変わりますが、「金田一少年の事件簿」の学園七不思議殺人事件という話に神保博士という戦時下のマッドサイエンティストが登場します。彼はバラバラに刻んだ兵士の身体を継ぎ合わせて完全な人間を作ろうとしたのです。

結局は、真犯人が秘密を隠すために流したデマだったのですが、いかにも戦後のカストリ誌にでも出てきそうな作り話です。

先生やその作品にはそういった雑誌や「見世物小屋」といったワードが似合うおどろおどろしさがあります。

実は黎明期のおんねこは、きっかけこそパクリではあるものの、デザインは今と違い、ストーリーも拙いながら先生なりのハートウォーミングにしようとした跡が窺えました。しかし途中からちいかわの二頭身デザインや喋らない設定などを半端に取り入れた結果、世間を騒がせる怪作になっていったのです。

不器用に他者を取り込みながら異形になっていく先生は、まるでつぎはぎの血肉で造られた不気味な生人形。

もしかしたら、神保博士の狂気の人体実験の副産物としての「試作品」が先生の正体なのかもしれません。



和々字





先生は対応していない文字を無視してまで凝ったフォントを使いたがります。

創作へのこだわりが皆無な先生にとってこれは珍しいこと。

というか、それならいっそ、あれだけなりたかったちいかわに倣って書き文字にすればいいのに…

そういえば先生が書いた文字って見たことがない気がします。せいぜい家電量販店の液タブのデモ機で通りがかりの親子連れに披露したというラクガキに添えられたサインのみ。

もしかして、本当に実体がないのでしょうか?

そんな時、先述したらおん界隈の方が過去のpostから先生の書いた文字を見つけ出して下さいました。






………



やはり先生は今の独特フォントを使い続けてください。



先生と食べ物

これについて触れるのは本当につらい。

他人から相手にされなかった先生の人生の証左となるからです。

基本的に女性を見下している先生ですが、それは「女性×食べ物」の組み合わせでも顕著に表れます。

先生にとって食べ物は「自分が優位に立つためのツール」あるいは「恵んでもらう」ものでしかありません。「みんなで仲良く分け合う」経験をしないまま育ってきたのでしょう。(「女の子とたい焼きを半分こ」のシチュエーションが一回だけ出てきますが、先生が描くと、得られなった青春を渇望する中年男性の姿が透けて見えてそれはそれでキツいものがあります。)

おんねこの花見回、メインの三匹がお菓子を持ち寄るシーンでそれは確信に変わりました。


せっかくお菓子を持ち寄ってパーティー開けまでしたのに、こんな各々が独り占めするような置き方、普通しませんよね?

本当に、友達とパーティーとか一度もしたことないんだろうな…



ゲボプリン

「魚は殿様に、餅は〇〇(放送禁止用語です)に焼かせよ。」という諺があり、物事には適材適所があるという意味なのですが、もし私が先人だったら「おもちやき係」には間違いなく先生を指名します。

先生はマンガ歴の割にはあまり多作ではないのですが、その一方で自分の過去作を何度もリポストする、セルフいいねをする、アイコンの髪色を変える(?)などの謎ムーブには余念がないからです。

病的ともいえる落ち着きのなさでお餅をひっくり返し続け、きっと焦がさずに焼いてくれることでしょう。

食べ物繋がりで、有名なゲボプリン。

吐瀉物に見えることからその名前が付けられたのは言うまでもありませんが、先生が記載していたレシピ通りに作れば上手くいくはず。一体どうしてこんなことに?

もともとこれは卵液を焼き固める従来のプリンとは異なり、材料のマシュマロのゼラチンの凝固力に依存する製法なので、らおん界隈では「マシュマロが足りないまま作ったんだろ」という説が濃厚となっています。

私もそれには頷けたのですが、先述の落ち着きのなさや堪え性のなさに関係してくる自説を発表させてください。

お菓子作りは私も挑戦したことがありますが、数ある凝固剤の中でもゼラチンは完全に固まるのに特に時間がかかります。また、こういった熱いゼリー液などを冷やし固める際には、衛生上の観点や冷却時間の短縮などの理由からある程度粗熱を取って冷やしてから型に流し入れるのがセオリーなのですが、先生がそのような製菓の不文律を守れたはずがありません。網で漉すことすらしていないのか、画像を見るとカラザ状の白い塊が残っています。

つまり「雑な仕込みをしたプリンがなかなか固まらず、待ちきれずに無理やりほじくり出した。」がゲボプリンの真相ではないでしょうか。

何でもかんでも無駄にいじくり回し、自分の手で全てを台無しにしてしまう、和々寺らおんという男の愚かさと悲哀を象徴した作品に見えてきます。(そもそも何故これを載せようと思ったのでしょうか?)



さいごに

まだまだ先生に対して思うことはあるのですが、一旦これで終わらせてください。

本当に疲れました。

先生ネタを発信するのは確かに楽しいのですが、同時に精神や色々なものが磨耗したり、運気が下がっていくことも事実です。

プライベートな話で恐縮ですが、先生の存在を知って擦り始めた一年半前から今までの間、お金を盗まれたりといった不幸な出来事が明らかに増えました。また、このnoteを書いている最中に原因不明の体調不良にも見舞われました。

先生の歪な作品に長年触れ続けたことで、もともと良くなかった頭がさらに悪くなり、深い思索も全くできなくなっています。

「IQが一生下がり続けるに通ずる」とはこのことだったのですね。やはり正しいのは先生の方だったのかもしれません。

それでも私は年内にこれを書き上げることにこだわりました。

ディズニー並みに著作権にうるさい先生の迫害を受けて、一年前に削除に追い込まれたおんねこ動画の集大成「大晦日だよ!おんねこスペシャル」に捧げたい気持ちがあったからです。

また同じく名作である、らおん界隈の巨頭による和々寺考察の三部作noteも今は削除されています。

このnoteだって、いつ消されるかわかりません。

だからこそ、ここまで読んでくださった貴方にも、自分なりの和々寺考察を書いていただきたいのです。

冒頭でも述べたように、それによって先生が贖罪することがあれば、彼自身の手によって殺処分の最期を迎えたおんねこの魂もようやく成仏できることでしょう。

正直、そんな日が来るとは思えませんが…

おんねこは大事な子どもでは無かったのですか…?


最後になりましたが、このnoteを書くにあたってがんばれしてくださったアカウントの皆様、カフェモカを飲むためのスタバチケットをプレゼントしてくれた友人に心から感謝します。

駄文を最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。

それでは、どうか良いお年を。



























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