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忘年会で死なないで/新年にまた会いましょう

このnoteを拝読してから考えていた内容を文字に落としてみようかな、と思いました

内容はタイトルのとおりで、本当に時系列でよくまとめていらっしゃるなと思います。

私は普段性格的にあまり感情的にはならない方なのですが、理不尽に対しての感情の発露は多いように思います。私の職業柄、医療機器 X マーケティングという仕事で全員が多忙なのと本社にいないことも多いため、今年はなんと社内ゼロ忘年会という偉業?が達成されました(私が呼ばれていないだけとか言わない)その立場から申し上げるんですが、忘年会でしか「普段の感謝を伝える」と場が無いというのはマネジメントの無能であり理不尽だと思っています

このnoteを読んだとき、直観的には「今すぐ転職したほうがいいのではないか」というアドバイスが浮かびました。ただ、私自身が“できない子”だった新卒後3年くらいの間にそのアドバイスをされたらどう思ったか、を考えて、そもそも他人のアドバイスを受ける心情でも立場でもないと思い直して、最後の文章「こんな社会に、生きる意味はどこにあるのか。」だけに応えるようなコメントを残した記憶があります。後日「初コメントお疲れ様です」みたいなnoteからの実績解除トロフィー🏆を頂いていました

自分自身も過去にできない子だった時に、忘年会だか新年会だかで尻を蹴られたり男同士でキスさせられたり(自分は異性愛者なのでこの表現を使います)するイベントを経験したことがあります。会に参加しないという手もあったんでしょうが、そのときは時間が合ってしまったんですね。流れがそうなる想像力は持ち合わせていなかったです。

「だから」忘年会に恨みがある、訳では無いんです。飲み会自体は普段話さないプライベートなこととかも話せたり、わだかまりのある相手と腹を割れたり、普段世話になってる人に御礼したりする場という意義はもちろんあります。参加を強制にしたり不参加者を村八分にするマネジメントがアウトなだけで「タバコ部屋で全部決まるから非喫煙者に喫煙を強要する」みたいな話だと思っています。

でも新卒のときに同じ状況になったら、私はどうしていたでしょうか。件の忘年会のあと転職活動できたかといえば全然できなかった。それは、ああ、"また"俺は人間関係築くのに失敗したのかという絶望感の方が大きかったからだと思います。そう、またなんだ。すまない。

友人は割と知ってますが、私は性格的に空気を読めるタイプではないので過去に幾星霜の人間関係を破たんさせ、怒られてきました。それでもそれが社会的に致命傷になっていないのは大学以前の話だからだっただけであり、仕事でそれやったらアウトでしょう。確実に。

そのアウトを仕事でやらかし続けた新卒3年間でした。故に"イジられる"要素が多かったので忘年会でもスケープゴートになったんだと思います。だから、自分が忘年会で感じてたのは「ああ、またやらかしたんだなあ」という感情と「はやく終わらないかなあ」という2つの思いだけでした。そこには前に進むポジティブさはほぼ無いですね。失敗体験だけがただ積み上がっていく状況に諦めの気持ちがありました。

だから、「はやくそこから逃げて」というメッセージは当時の自分には全く響かない、だって次でも同じことやらかすんでしょう?"俺"は。次なんて無いよ

自分に自信がつくのは成功体験あってこそです。だからキャリアの浅い人にこそ成功体験を積ませよう、失敗したらマネジメントが悪い、でも失敗につながる行動はきちんと修正してあげよう、当時の"俺"を俺が作ってはいけない。そういう想いをもってこれからもやっていこう、という気持ちが新たになったこの数日でした。整理する機会をありがとうございました。

全ての人に、大戸屋のチキンかあさん煮定食の写真を贈ってこのnoteを締めたいと思います。忘年会で死なないで、新年にまた会いましょう

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