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非読書感想文 / 白銀の墟 玄の月 4巻

スヌーピーにこういう一節があった。主人公チャーリー・ブラウンが独り言を言うシーンである。

「この映画はもう20回も見たけどシェーンが戻ってきた試しがない」

最後にチャーリー・ブラウンは舌打ちをしてこのコマは終了する。



物語とは作品になった段階で絶対に変わることはない。もちろんリメイクや再解釈は存在するが、元の作品の物語が変わるはずがないのだ。


だが読み手にとっては違う。読んだ「つもり」の数々のことが浮かび上がってくることがある。雪解けの様に。何度読んでも都度新しい発見がある。だがそれはコロンブスの「発見」と似た意味なのだと思う。我々は厳然とそこにあったものにただ名前をつけているだけにすぎない。物語における発見とは単に見落としと記憶力の風化を「発見」と言い募っているだけであることが多いように思う。



今回白銀の墟 玄の月を通じて感じたのはまさにそのことだった。何度見ても新鮮な発見がある、と言いたいが2回目でわかったのは自分がいかに読み飛ばしていたかということだった。まずは20回読み込んで見ようと思う。20回でも読みたい作品である。本当にありがとうございました

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