皆上強志

2006年に書いたコラムを再掲します。

『皆上強志』

以下のように、驚くほどたくさんのタイトルをとり続けている。

1986年 日本選手権
1996年 日本選手権
1998年 王位
2001年 名人
2002年 名人
2006年 名人

日本のポール=マグリエルとでも評したらよいのだろうか。
1980年代より、常に日本のバックギャモン界の先端を走ってきた。マッチイクイティテーブルを使い、ポイントマッチの戦い方を真剣に考えたのは、もちろん氏が日本で最初だ。
アメリカの雑誌「インサイド・バックギャモン」(Inside Backgammon)が1995年に行ったクイズコンテストで堂々優勝。
60点満点に対して、氏は58点を獲得。二位が51点だったからぶっちぎりの優勝といってよいだろう。1996年の雑誌の表紙には氏の名前が飾られた。
これらの実績から判断するに、当時、世界的なプレイヤーの一人であったと私は推測する。

私が皆上さんの名前を初めて見たのは、1980年代半ばのバックギャモンニュース紙上でだ。「日本選手権優勝 皆上強志」と書いてある。すごい名前だなと驚いたことを、今も忘れられない。
何せ“みな上がる 強し”である。まるでバックギャモンをするために命名されたようではないか。真剣に芸名のようなものかなと思っていた。

それから10年後の1990年代後半。
バックギャモンから長く離れていた私が、随分久し振りに日本選手権に参加した。大会終了後、私は皆上さんを捕まえて、質問攻めにした。用意しておいたポジションを見せて、あれこれと尋ねたのだ。
ポジションの数は20を超えていたのではないだろうか。初対面となる私に対しても、丁寧に、時には厳しい口調で自分の考えを忌憚なく述べる皆上氏。
あの日のレクチャーは私にとっての貴重な財産となった。

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