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片耳聞こえない音楽ほぼ未経験者が第九合唱に参加したレポ


■ 筆者について

  • 片耳難聴
    先天性内耳狭窄(脳内に聴覚神経が通っていない)により生まれつき右耳の聴力がゼロ。習慣的に右側への集中が薄くなりがち。
    単に当事者の一人であるというだけで、聴覚のことや補聴器などの知識はない。

  • 音楽経験
    子供時代はヤマハ音楽教室などごく初歩的な稽古ごととしてピアノや歌を習う。学校の合唱ではいつもソプラノで、ソロパートを歌うなどしていたので多分そんなに悪くなかった(と思いたい)。
    20代の時、大人趣味として3、4年ほど声楽の個人レッスンを受ける(オペラのコロラトゥーラアリアやブロードウェイソプラノが主)。
    ほんの少しジャズヴォーカルや作曲/DTMをかじったことも。ヴォーカルは受講2回目からすぐ上のコースに入れられたので多分そんなに悪くなかった(と思いたい)。
    第九については断片的に聴いたことはあったものの通して聴いたのは参加を申し込んだ後。ベートーヴェンについては好きな曲は好き、程度の知識。

■ 参加した演奏会概要

演目:ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調 作品125(4楽章のみ合唱あり)
アマチュアオーケストラ+合唱団80人前後。
合唱は、近隣の合唱団などに所属のメンバーが大半。経験不問の一般応募者が十数人(著者含む)、プロのエキストラが数人。
著者担当パート:アルト(女声低音)
合唱練習期間:10月中旬から週1回練習のち12月中旬に本番


片耳聞こえない音楽ほぼ未経験者が第九合唱に参加したレポ


7月 応募

たまのカラオケ以外10数年間まともに声を出していなかったのでメンテがてら何か歌う機会があればとほんのり思っていたところへ、とある学生中心の第九演奏会での合唱員募集を見かけて軽い気持ちで申し込んだ。パートは自己申告でアルトにした。(歌声をチェックして振り分けられる場合もあるらしい)

9月~ 予習


9月になって初めてまともに4楽章を聞いて「知らないところが意外にたくさんある!」と慌てて楽譜を買い(※)、音取りと歌詞の予習。暗譜の可能性が高いことも初めて知る。音感がすっかり鈍って音が取りにくくなっていることにショックを受けつつ合唱練習開始までにメロディと歌詞だけなんとなく覚えた。

(※)書店で見かけた別の版をとりあえず買って、あとで指定の版との違いを転記したものの気づかない細かい違いも多くてコミュニケーションノイズになるので結局買い直した。いったん口ずさみ慣れたところから微妙に変わるとやりにくかったりもしたのでちょっと後悔。

10月中旬〜 合唱練習開始

週1回各3時間の合唱練習開始。
合唱指揮の先生とピアノ伴奏を中心に、右からソプラノ、バス、テノール、アルトの並び。来た人からパート内の好きな場所に座る。

右耳が聞こえない=常に誰かの右側にいたい人生なので、慣習的に一番右側であるソプラノ以外の立ち位置だと少し落ち着かないことにこの時初めて気づく。
まずアルト内の一番右前に位置を取ってみた。すぐ右のテノールの声に圧倒されないのはメリットだけど、いざ歌ってみると自分の声が小さくて全く聴こえない。学校での合唱では経験したことのない状況だったけど、そうか周囲のレベルもモチベーションも声量も段違い(当たり前)。

次は一番左、つまり全体の左端に位置を取ってみた。自分の声がよく聞こえていいかなと思っていたら、自分が出している音・出すべき音がわからなくなって大混乱したり音程がブレて反対車線に突っ込む事故が発生。初めてのことで一瞬何が起きたのかわからず呆然としてしまった。あとで全体録音を聴くと声は小さくても音が外れると目立つこともよくわかり、「合唱ならプレッシャーが少ないだろう」という呑気な考えが吹き飛んだ。

問題と対策

思っていなかった事故、そして急遽入った仕事がますます忙しくなっていたこともあって辞退を考えたものの、メンバー不足、特にアルトの声量不足が言われていたのでなんとか対策を練ってみることに。

いろいろ分析するに、どうやら聴覚の入出力処理を合唱仕様にする必要があるらしい。自分の声vs周囲の音という意識を変えて、「自分の声をチェックする」のではなく「自分の声を含めたアルト全体のユニゾンをチェックしながら較正を行う」という意識へのシフトを目指した。これに際しては合唱団で何度も第九を歌ってきたような方が多くて基準がつかみやすかったり、先生が「音をよく聴いて」と細かくダメ出ししてくれたことも助かった(周りの方が「今回は比較的要求レベルが高い。初めてなのによくついてきてる」と励ましてくれたのも嬉しかった)。
慣れた人は当たり前にやっているように見えても、伴奏を聴く、指揮を見る、他のパートを聴く、と感覚をフル稼働しつつ正確に歌唱するのはなかなか大変。特に主旋律であるソプラノ(真横右に遠い)に合わせる点については、たとえあちらが声量十分でも心理的指向性の問題で難しくてテンポがずれがち。音程事故防止に気をつかったこともあって走り癖は最後まで苦戦した部分だったので、次善策/リスクマネジメントとして最低限指揮から決して意識を離さないように気をつけた。予習段階から「ここ合わせるの絶対気持ちいいよね」と楽しみにしていたような箇所はアンサンブルを意識できたので、耳どうこうではなく要はやはり準備次第なのだと思う。
合唱は他の音をよく聴くことが大事と言い聞かせて臨んだつもりではあったけど、ここでようやく具体的実践の入り口に立った気がする。

練習中はポケットにレコーダーを入れて録音し、休日出社に向かいつつ全体録音とあわせてチェック。ポケット音源ですら自分の声は埋もれていたけど、なんとか「普通に下手な人」の範囲には収まっているのを確認。すき間時間にはミスした箇所や不安定な箇所の原因分析や楽譜の確認をして次回の練習にフィードバックして、ということをやっていた。
私はいわば「楽器を持たずに練習に来た」くらいのレベルだったので、後で考えると合唱練習を休んででも自主練に時間を割いてもよかったのかもしれない。さらに時間があればボイトレを受けたりソプラノパートも練習したりしたかった。

11月中旬~ 練習後半、オケ・ソリスト合わせ

この頃には自分比で少し声も出るようになっていて、声がある程度出れば安定して自律走行してくれるから自信を持って歌えるように(あくまで自分比)。全体録音でも自分の声がうまく溶け込んで、ちゃんと合唱の一員になれた気分でちょっと感動(自分比です)。なんとか目処がたったので友人知人にも告知を開始。

本番1ヶ月前くらいにオケやソリストとの合わせが始まり、並び順も決まってくる。
合唱練習でのピアノ伴奏とは音環境も違うしアルト内での左寄り、しかもティンパニが近くて最初は不安だったけど、オーケストラは指揮の先生のもとしっかりと音楽を作り上げてきたことが感じられて合わせやすかったし、セルフ録音も悪くなかった(もうハードルを下げまくるしかない)。

最終的な位置は左端に近い場所。申し出れば変更可だけど、あれこれ変えてもっと歌いにくくなることもあり得るし周囲のメンバーが私に慣れる時間も必要になるので、ここまできたらどこでも歌うと覚悟を決めた(変更希望が悪いというわけではなく、あくまで自身の判断として)。隣の方が声量のある上手な方だったり大音量楽器が近かったりで自分の声が聞こえない不安はあったけど、一緒に音楽を奏でる仲間であり味方だという気持ちを持つようにした(cf.「宇宙服は俺等の味方だ」)。
なおもし大音量楽器の距離が近すぎて懸念がある場合は聴力保護のため配置変えを申し出るとよい。片耳難聴者に限らずだけど、スペアがない分慎重に。(ライブ用耳栓も選択肢に)

本番約1週間前になってやっと少し自主練の時間がとれるようになり、自宅のピアノでできるだけ音程を体で覚え込ませること、かつ相対的にも音を取るよう意識すること、他気になるところをいろいろ確認した。

12月中旬 本番前日→当日

前日リハでは本番通りにと思って思い切り歌ったせいなのか、前夜にしてのどが痛くなってしまうという初心者ならではのやらかし。
本番当日の午前中に自宅でウォームアップしたり直前リハでのどをセーブしながら録音チェックして、とりあえずやることはやったという気持ちで望めるようにした。

会場のホールは配置の距離感や音響などそれまでの練習環境とはやや違うものの、特に違和感はなかった。ソリストの方々が中央に集まる配置になって、左耳を思い切り向けたいのに向けられないのが残念笑
左端は辺境にいる感覚になりやすいので、本番では目線を上げて客席とのエンゲージメントを図りつつ(逆にやりすぎないよう気をつけつつ)、オケや他の歌声を聴くこと、指揮を見ることに集中。指揮の先生は先生で我々とのエンゲージメントが熱い。一方で「次のフレーズはこう気をつける」と冷静でもいられた。自分の声が聞こえない不安やこだわりがすっと消えて、すべてが音楽のもと一体化する感覚、なんとか歌い切れたという手応えはあった。(当日音源はまだ聴いていないので、実はひどいことになっているかもしれない)

会場すぐそばのビアホールで打ち上げ。合唱員の出席予定者が少なくて残念だけど人見知りな自分にはちょっと楽かなと思っていたら全体打ち上げだった(そりゃそうだ)。
立食レセプションは未だに苦手意識が拭えないけど、話したことのなかった他パートの合唱メンバーやソリスト、学生さん達が気さくに話してくださったり、伴奏ピアニストの先生や指揮の先生、本番に来れなかった合唱指揮の先生にもお礼を言えたりと楽しい時間を過ごせた(あいかわらず会話下手だし、たくさんのお礼を言うべき方々に言いそびれたとも思う)。
あとで思い出すと自分が左側ポジションで話すことも多かったけどハードルは感じなかった。音楽指導者だったり歌が上手な方だったりでお話も聞きやすかったのかもしれない。

■ まとめ

  • 独唱と合唱はかなり勝手が違い、「自分の声と聴く」「他の音を聴く」のバランスが予想外に困難だった。この困難さが片耳難聴ゆえなのかどうかははっきりしないが、多少関係あるのではとなんとなく感じている。

  • 求められるレベルにもよるが、難しい点は工夫や準備次第で大部分は埋められそう。

  • 個人的な経験から思いついた心がけの例は以下。

    • できるだけ他の人・楽器の音を多くとらえられるような位置を取る(例:左側が聞こえるなら全体のできるだけ右側)。自分の声が聞こえにくくても他の音を聴くことが優先。

    • 「自分の声を聴く」のではなく、「全体の声を聴いて、その中に自分の声がきれいに混ざっているか」を確認しながら歌う。

    • とにかく個人練習をしっかりやって音程を体にたたきこむ。

■ Epilogue ー "Connect, George, connect."


ブロードウェイミュージカルをテーマに卒論を書くため年1回ニューヨークに行って週8回舞台を見て昼間は現地で知り合ったシアター好きとおしゃべりして演劇専門書店で本を買いあさるという学生生活を送っていた私からすると、コロナ禍で学生時代を送るのは本当に大変なことだし貴重な体験機会が失われる、それはこれからの社会にも長い影響を及ぼすということを考えていた。
だから音楽好き仲間を中心とした大勢の友人知人たちが彼ら・彼女ら若者を中心とした演奏会を聴きに駆けつけてくれた、それだけでも自分がここにいる意味があると思えて、舞台上でとても幸せな気分で3楽章を聴いていた。

初めてベートーヴェンの音楽に触れた記憶は、ある種の人生の苦境にいた時に付き添ってくれた伯父(シューベルト似)と一緒に聴いていた交響曲5番で、「まだ終わらないの?!」とつっこみを入れながら気持ちを紛らしていたというものだった。その頃の体験による人間不信やおそらく耳のこともあってか(特に事情がなくても多くの人がそうかもしれないが)、人と関わるのは疲れる、絶対人前に出たくないとひたすら願っていたのに、社会生活を営み年を経るうちになぜか真逆の仕事をしたり自分から飛び込んだりしている。

数は少ないながらも小さい頃いくつか親しんだベートーヴェンの音楽は平凡で器の小さそうなところも含めて人間のさまざまな面が投影されているように感じられて親近感を抱いてきたので(一般的な受け止め方なのかはわからない)、遅すぎる250周年のお祝いを個人的にしてあげられたこともよかった。
最悪の日も最高に楽しい夜も彼の音楽は余さず彩ってくれることをひとつ実感した体験だった。

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