いつか新興宗教にハマりそうで怖い

卒論がクソほど進まないので他の文章を書きます。
 例の事件を受けて世間、というか私のTLでは新興宗教と政治の癒着が日々取り沙汰されているわけですが、その中で私は宗教を知った気になっていたなあと痛感しました。
 事件の数日前、件の宗教団体から何とかの平和に関する署名?をしてくださいって家に来て、断りつつ初めて聞いた団体名だったので調べてみたんです。その団体の思想や歴史の中にあった、週刊誌が報じた政治家との関係を読んで、何故日本ではいまだに「同性婚は生産性がない」とか「(DVから親子で逃れた人に対して)引き剝がしだ」などという言葉が政治家から発されるのか、やっと腑に落ちたのでした。うわ~無理やん、と思っていたところであの事件。犯人の動機に新興宗教が関わっているらしく、ご専門の弁護士さんや教授を中心に連日情報が流れてきます。(日々在日外国人へのヘイトに勤しみ、彼を崇め奉るみなさん元気かなって見てみると、警察の不手際と国葬で盛り上がってました。みなさんの嫌いな韓国人が作った宗教団体に、自分達の大好きな人が関わっていた事実には触れないんですね。「デマだ!」って騒いでる人も見かけなかったな。)
 その情報たちを見るに連れ、自分や自分の家族が新興宗教にのめり込むリスクは色々なところに転がっていたなとヒヤヒヤしたのです。

大学入学と同時に始めたボランティア活動

 若者が新興宗教に入信する第一歩は、サークルやボランティア活動だそうです。新しい環境に慣れない新入生を誘い、夏休みの合宿と称して外界と遮断し洗脳。真面目で物事にのめり込みやすい人の方が洗脳しやすいとかで、そういう人を狙っているとか。
 アイデンティティが欲しくてボランティア活動に参加しまくった経験のある私、これを聞いて「私だ…」と背筋が凍る。ボラやってることをアイデンティティにして、他の学生とは違うんだって思ってたくらいだもの。更に言えば部活。私のムーブはまさに団体の幹部だった。”信仰”が足りてない人への責め方とかね。
 人生史上一番リスクの高かった瞬間(暫定)は大学1~2年生。自分に自信が持てず、何かしなければと強迫観念にとらわれていた私に上手い言葉を1,2語かければ、きっとすぐに洗脳させられ、模範的な会員になっていたことだろう…。
 何故ボランティアにのめり込んだのか。たぶん、自分が生きることへの漠然とした罪悪感から逃れたかったんだと思う。所属してた団体が興味関心を軸にしていたから、罪悪感を軸にする私が耐えられなくなって、2年の最後に逃げた。一気に暇になった3年で自分の好きなことたくさんして、自分に自信持てるようになったから、4年で団体に戻った。手ぇ出したなら終いまでやる精神で、最後までやろうと。今でもその罪悪感は持ったままだけど、ちょっとは収まったし、ボランティアで償おうとは思ってない。

次に私が負うリスク

 罪悪感を抱えたままだから、仕事や日常生活において「贖罪」は続いてる。社会課題への解決意欲が高いのも、きっとこの罪悪感のせい。だからそこに付け込まれたら終わり。元来物事にハマりやすい性格なので、ハマったらどうしよう…毎日その恐怖に怯えてる。
 次のリスクは来年。生活環境が大きく変わって、きっとメンタルも不安定になる。いくら気を付けていても、向こうはあの手この手で人々を勧誘していくんだろう。まじでやめてほんとに。私がりひとくんにお金遣わなくなったら、殴る蹴る何でもしていいから、目覚まさせて。

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