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【自己分析1】ひとりっこの生き方

本日で8回目のみちよsanのnote、前回もスキしていただいた方、誠にありがとうございました。嬉しいです♡

さて、今回のテーマは、【自己分析】ということで、以前にも【自己紹介】【備忘録】などもありましたが、それも広い意味では【自己分析】かもしれません。
みちよsanを成り立たせるものを3つ挙げるとすれば、ひとつは「音楽」、2つ目は今の仕事「人と関わる仕事」、そして3つ目というかとても根本的、生まれた時から決まっていた「ひとりっこ」、これが強く影響していると思われます。
昔から、「ひとりっこだから、、、」と言われるのが何より嫌で、そうでない性格、生き方を求めてきましたが、それを反発しすぎる性格傾向と、しょうがないかと開き直る性格傾向が培われてきたようです。これについて、文章化することで、客観的に自分を見つめられる時間に、本日はしたいと思います。

1)自分中心、自分勝手、自己満足、自虐的、すべて自分を中心に回っていると思う性格傾向
2)何でも一人でやりたい、人に頼りたくない、人と距離を置きたい
3)自分が少数派と思っているため、一人で頑張る人、少数派の人に心を寄せやすい
この3つがひとりっこの、というよりひとりっこであるみちよsanの傾向と思いますので、この3つを簡単に語ってみます。

1)について
ひとりっこについて、どうしても母親との関係が関わらざるを得ないですが、両親にとって、私は唯一の子ども、しかも、私の前には「兄」が産まれていて、でもその兄は1カ月で亡くなっていて(死因不明)、両親特に母親にとっては、産まれた私はどうしても死なせたくない気持ちが強く…ということで過保護に育てられました。大事に大事に育てられました。「自分を大事にする」、これを植え付けてくれたことには多大なる感謝しかありません。そして私は自分が満足すること、自分が納得すること、を強く求めるようになりました。これは「ひとりっこあるある」だと思います。
しかし、大切に保護してくれた両親から、私は離れないと、私は大人になれない、一人で生きていけない、こう思う気持ちが思春期から強くなり、挙句の果てに、「私はここに居てはいけない」、長い人間関係ができるとこう思うことがたびたび生じてきました。そして、10年近く続いた職を離れることが続いています。
人との関係がうまくいきにくいのは、ある意味「ひとりっこあるある」かもしれません。兄弟がいなくて、周りは大人で、周りから否定や無視をされると生きていけない気持ちが無意識にあり、結果、人の顔色を見てばかりで、人との関係は顔色ばかり見て気を使ってしんどい、ここから2)の話になります。

2)について
誰かに依存する、誰かに甘える、誰かに頼る、それは「ひとりっこだから、、、」につながると考え、甘えるシーン、例えば人前で泣くとか、そういうのを極力避けてきました。大人にとって甘えるというのは「愚痴を言う」こと、でもあり、私は愚痴を言うのも好きではありません。そして人との集まりで出てくる悪口大会、これも非常に嫌いで、人の顔色を見る癖は共感性を高めていいのですが、悪口を聴いていると、全部自分に言っているように思えて、だから、自分が一人でいる、他で知っている人が集まっている、これも全部、自分の悪口を言っているようにも思えたり…。これは被害的な自分。だから、人との距離は、「自虐的」に接することで親近感を持ってもらい、悪口を言われないよう、いい子いい子してきました。
でもまあ、もういい年になるとそれも疲れてくるので、人との関係は非常にシンプル、家族だけが話しできる相手、と割り切っています。他の人とは全然話をしないわけでなく、むしろ積極的に話して防衛しています。知り合いと一緒にいる時間を極力避けるのが居心地よく感じ、そうでなければ、「私がすべて取り仕切る」と、リーダー役を買って出る、ことが多いです。これがみちよsanぽいところ、何でも一人でやりたい、否定されたくないから共同作業は無理。その点、音楽という友を得たおかげで、音楽を通じて人と出会うことは非常にうれしい、音楽を一緒に奏でるのは非常にうれしい、、、これは元をただせば「ひとりっこ」から来ているのでしょう。

3)について
自分を少数派と思っているところからして、自分を唯一の存在、唯我独尊的な感じですが、たくさんの人に囲まれて、たくさんの人に認められて、たくさんの人に愛されて、、、そういう人にはあまり興味を持てない方です。自分は兄弟はいないは、子どもはいないは、今は両親も亡くなって親もいないは、ないものづくしだから人と会話して家族の話になるのが辛い、というか、そういうときは自分に意識を向けないで、人の話ばかり聴く、そういうスタンスを、今の仕事で教えてもらいました。そう考えると、ひとりっこという少数派だったから、少数派のしんどさにも寄り添えて、自分を分析出来て、自分のしんどさに向き合える理論を身につけられて、ようやく自分がここまで生きてこられたのではないかと思います。
両親が生きているときは、両親が死ぬ前に自分が死んではいけない、兄を失った時の辛さを再び両親に味合わせるわけにはいけない、と、とにかく元気で何の憂いも迷いも辛さをも見せない子どもでありましたが、今は、両親が別に世界に逝ってしまったことで、もちろん悲しいですが、やっと自由に生きられる、とホッとしています。それが「ひとりっこ」たるところでもあるでしょう。

思う以上に長々語りました。ひとりっこを生きてきた人がこれを読んで反発されるか共感されるか分かりません。子どもがひとりである親御さんはこれを読んで辛く思われたらスミマセン。ネガティブなことしか書いていなかったかもしれませんが、自由な発想、破天荒さなどは、「ひとりっこあるある」かもしれないので、どうか自分の子どもを「それでいいよ、大丈夫」と認めてあげてください。親に認められるのが無上の喜びと思いますので。

次回はもっと、緩やかな、気楽なものを書きたいな~。今回も長文を最後までお読みいただきありがとうございました。

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