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軽度ミソフォニアの私が「音」ついて考えること。

日々元気に過ごしていますし、日常生活に支障をきたすというほどでもないですが、
一つだけ少し病気っぽいものを軽度ですが持っています。

最近この症状が病気の一つなのだということをしりました。

それは
「ミソフォニア(音嫌悪症)」というものです。

幼少の頃から、ある一定の音を聞くと
不安や不快感、それから鳥肌や悪寒がしたり、場合によってはイライラして集中できなくなることがあって、
耳を覆いたくなるようなことがあります。
それは、みんなよくあるもので自分が神経質なだけだと思っていたのですが
どうやら脳のどこかの処理がうまくいっていないようなのです。

黒板をガリガリする音をきくとゾワっとするー」みたいな類のものが
人より日常のあらゆるところに転がっていて。

例えば
・人があつい飲み物をすする音
・でっかいくしゃみ
・貧乏ゆすり
・机とかを叩いてリズム刻むやつ
・鼻歌
・咀嚼音
・食べるときにでるピチャって音
・口開けて食べてるのがわかる音
・歯ぎしり
・金属の食器などが擦れる音
・おっさんがご飯食べたあとに爪楊枝でシーシーするときの口から出る音
・ハイヒールで歩く音
・目をこする音
・ぼりぼり掻く音
・鼻をかんだりすする音
・生唾を飲みこむような音
・うがいする音
その他もろもろ

車のエンジン音とか、外で聞こえる雑音とか、水の流れる音とかは
全然気にならないのに、どうもある一定の「人間から出る音」「生理的なものを感じる音」っぽいのが特にダメみたいで。

昔はもっともっとあったけど、
大人になるにつれ少しずつましにはなってきました。

治らないという記事もみたことありますが、
なんとなく、ましになる人もいるのかもしれないです。

私は耳が多分昔から繊細で、小さい頃は絶対音感でした。
なので日常のいろんな音が耳をよくすませばドレミできこえてきていたり、
人がくちずさんだメロディーやテレビで流れた音をすぐに鍵盤で弾くことができるのですが、
その感覚が大人になるにつれ少しずつ鈍くなってきたのと同じように
ミソフォニアっぽい症状も軽くなっていったような気がします。

なのでもしかすると、音楽を幼いころからやっている人、
絶対音感や相対音感の人、あと潔癖症とかの人もこの症状にリンクしやすいのかもしれません。

一種の強迫観念や育ってきた環境も作用しているようで、
「普通、他のひとがいるところで、そんな音たてる?」
とか
「そんな音たてるのは周りへの配慮が足りないのではないのか」
とか、
これまで育ってきた環境の中で根付いている価値観なども少し影響しているので、
自分の物差しを少し客観視することを試みてみたり、
言葉にしちゃうと簡単になってしまいますが「許す」「仕方ない」っていうのを意識してみると、
受け入れられることが少しずつ増えてきたように思います。
(自分が軽度なだけなのかもしれませんが)

ただ、重度の方の記事などをよんでいると、
家族とごはんが食べられなくなったり、学校に通えなくなったり、
仕事を続けられなくなったり、離婚してしまったりなど、
本当に「音」が原因で窮屈な思い、辛い思いをしながら過ごして来られている人もいるのを知り、
少しでも世間に理解が広がればなと思いました。

甘えだとか、神経質だ、とか冷淡だ、という印象を持ってしまう人もいるかもしれません。

気にしなくていられるなら気にしたくもないし、自分のこの感覚を周りの誰かにわかってほしいとも思っていなくて、むしろそんなふうに感じ取ってしまうことを申し訳ない、と自罰的に思うこともあります。


ただひとつだけ。

ミソフォニアという病気どうこうに関わらず、
他人と共存するなかで、「音の配慮」というのは
最低限のマナーだとおもいます。
自分の出す音が、誰かの耳に届いているという認識を持った上で
身近なコミュニティでどう振る舞うか、どう聞こえているのか、少しだけ気をつけてみるだけで
誰かの心が楽になるかもしれません。

わたしの場合、歳を重ねるにつれて少しずつ気になる音は減ってきてはいます。どんな音でも耳を覆いたくなったりイライラすることはなくなってきました。

でも、違和感を感じたり無理だなと思うことからは変に踏ん張らず、逃げたっていい、と考えてます。

完全に綺麗な音しか聞こえない世界なんてないから
少しでもやわらぐ環境を自分で、自分のペースで少しずつ作っていけたらいいなとおもっています。



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